android OS は、バージョン4が入っています。2.3あたりとはずいぶん変わったという話だけど、2.3を知らないので、良くわからない。
それでも昨日初めて使った割には基本操作は簡単で、設定もそれなりにいじれるのでそこそこ良く出来ているんじゃなかろうか。
ファイル操作は windows のとはやっぱりちがうので、まだもひとつ感じがわからない部分もありますが、ただ見るだけならあっという間に出来るようになりましたよ。指でめくって進む分、ねらったファイルを見るのはとても便利だ。逆に、多量のファイルから、狙ったファイルを探し出すのは画面に巨大なモニターを使えるwindowsの方が便利。その辺、1つのフォルダにかたっぱしからファイルを入れるのはやめましょう、ということでしょうかね。
windows よりもう少し、細かめに分けるよう心がければ便利かも。
不思議な欠点も。フォルダに入ったファイル。ギャラリーというアプリで表示順がファイル名に沿わず適当にバラけてしまう現象発生。不思議だ。ちゃんと名前順になるものもあるので原因不明。あと、手でめくって操作するぶんには問題ないんですが、ファイル名順スライドショーにすると、終わりから順にさかのぼってファイル再生するのはどういうことか(ランダム再生もあり)。どうりでこのギャラリーという動画・画像再生アプリがサムネイル生成のときファイル名の下のものから(数字なら大きいものから、アルファベットなら z から)読み込み始めたわけだ。絵や写真ならいいけどマンガがばらばらになったり逆になのは困るなあ。
wifi を off に(インターネットには使わないから)してから、20分くらい動画を再生して大体バッテリーが5パーセントくらい減っているので、カタログスペックでの動画再生連続6時間というのは、実際問題なさそう。すごいね。音はスピーカーからはそれなりに。イヤホン・ヘッドホンジャックからなら特に問題なく普通の音が出ます。
onda vx610wを選んだのはTVコンポジット出力があるから。最近の中華パッドはみんなminiHDMIなのだ。いずれはそっちのほうが便利ってことになるんだろうけど、いまのところカートゥーンのオフ会で、みんなで鑑賞会をするときコンポジットのほうが便利なのであった。4極ミニプラグ-3ピンプラグのコンポジットなので、今うちにあるケーブルが使えるかなと思ったらダメだった。そのうちまた秋葉原にいってケーブル買ってこないといけないな。
ところで Higher Power というのはアルコール依存症克服のために提唱された、「自分自身を越えたより強い力」という意味の言葉だそうで、今では他の「依存症克服のための12のステップ」の会でも使われるようになっているそうです。今の自分自身ではどうにもならない現状から抜け出すためのより確かな力。the higher power of lucky では、ハード・バンの町でアルコール、過食症、ニコチン(タバコ)などの依存症克服のための集会がひらかれていることになっています。ハード・パンには普段の生活で依存したくなるようなものは何もないからちょうどいいんでしょうね。
はたして、Lucky は彼女の求める Higher Power を手にすることが出来るでしょうか。
日刊モンスター・ハイ。
4日目の今日は、ラグーナ・ブルー。
そうです。半魚人です。
「大アマゾンの半魚人 the creature from the black lagoon」のタイトルでおなじみの怪物。一般にはタイトルの「大」がとれてアマゾンの半魚人で通りますね。ドラキュラ、フランケンシュタインの怪物につづくユニバーサル映画のつくりだしたモンスターですが、人狼のような民間伝承モンスターではなく、フランケンシュタインの怪物やドラキュラ(は小説の主人公)のような原作つきのモンスター。半分人間で半分魚だけど人魚じゃなくて半魚人。住処がアマゾンなので淡水魚人だし。人魚はいまや、伝説の生き物とはいえモンスターではありませんからね。ユニコーンがモンスターでないのといっしょ。
日本でも着せ替え人形の「バービー」で有名なマテルが展開するキャラクター・ファッション・ドール・シリーズ「モンスター・ハイ(high は high school の略ね)」。人形だけではなく、ウェブアニメも製作され、マテルのオフィシャル・サイト(アメリカの、ですが)で公開されている。
お分かりのように、Frankie は、フランケンシュタインの怪物がモデル。他にも、吸血鬼、狼人間、ミイラの怪物、半漁人など、モンスターをモチーフにしたキャラクターがドールとなっていてアニメにも登場する。
小説「monster high」はこの世界観をモチーフに、独自のストーリーを展開している。キッズも含めてヤング・アダルトまで(だいたいティーン、中・高校生向けと考えてください)の女の子向け小説で、日本で言えばちょうどコバルト文庫あたりがターゲットにしている層に近いといえるんじゃないかな。
問題なのは、普段こいつらの行動はそれほどおかまっぽくはないということですね。ゲイだから。せいぜい男のおしりをさわるくらい。男らしいスーパーヒーローなんだけど、スーパーパワーを発揮しようとすると思わずゲイライクな組みポーズをとってしまうというのがすばらしすぎるポイントだということですね。
本人たちはわかっているのかわかっていないのか微妙なところもナイスです。
ゲイ・デュオ:「what are you looking at?」
ヴィラン:「nothing」
という悪党どもとのやりとりも、「あれ、ペリーどこいった?」レベルなのがすごいぜ。
Michel の一家は冬の終わりに持ち主のいなくなった古い農場へ引っ越してきた。荒れた敷地に建つぼろぼろの納屋で Michel は、埃と蜘蛛の巣、虫の死骸にまみれやせ細った人、あるいは人に似た何か、を見つける。暗く古い納屋で見た幻かと思われたそれの元を再び訪れた Michel は、それの世話を始める。やがて同じ通りに住む Mina と親しくなった Michel は「彼」を納屋から Mina のおじいさんの遺した屋敷に移し世話しようとするのだった。一方、生まれたばかりの Michel の妹、まだ名前も決まっていない赤ん坊の妹は、重い病気を抱え、母とふたたび病院に戻っていく。死んだも同然の状態から再び生を取り戻していく「彼」と、生を受けながら死と戦わざるをえない妹。学校へ行かず、母に教育を受けながら、独自の価値観で行動する Mina 。これまで当たり前だと思っていた学校や友達とのわずかな心のずれ。こうした彼らとの関わりが、Michel の生への視点を変えていくのだった。
とても面白かったのだが、そのお話はなんとも説明が難しい不思議な小説。これまで暮らしていた家から新しい家族のために新しい家に引っ越してきた Michel の家族。古く荒れ放題のその家で、現実とは思えないものと出会い、また、確かにそこにいながら、Michel が知っている生活とは違う生き方をしている Mina とも出会う。生死をさまよう幼い妹と、これまで知っていた世界と知らなかった世界の間をさまよう Michel はある意味リンクしているともいえる。この小説の雰囲気は何かに似てるなあと思い出したのは「北風のうしろの国」。ちょっと前に呼んだ「great blue yonder」もある意味似た雰囲気。このへんイギリスファンタジーの伝統なのかもしれないと思ったりしました。単にあらすじや設定だけでは図れないという小説、物語というものの面白さが味わえます。
作品中、何度も出てくる「肩甲骨は翼の名残」というのが翻訳版(創元推理文庫版)の題名になっていたんですね。翻訳本は本屋で何度か目にしていたのだけれど、タイトルがぜんぜん違うので気がつかなかった。翻訳で読んでなくてよかった。今はまだ翻訳本で読んじゃったものは読まないようにしてるんです(そのうち読みたい、と)。原書で初めて触れるほうが他人の訳にとらわれないからいいんじゃないかなと思ってるもので。これからも気をつけないとね。
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17:20
中華パッド 続報
ユーロ2012の試合終了までサッカー見ながらいじっていましたが、とうとうバッテリー残量が15パーセントになって、インジケーターが赤くなったので、ついでに眠いので終了して寝ました。
バッテリーは、買った時点で85パーセント程度の残量だったので、まるまる5時間使って、7割減。満充電なら6時間稼動は楽勝ですね。
今朝おきてから、充電してみると、満充電まで3~4時間程度(途中しばらく目を放した隙に満タンになっていたので正確にはわからない)そんなもんでしょうか。もうちょっとかかるかな?とか思っていたので大変けっこうなことです。
モバイルはバッテリーが命ですからね。長く使えて、早く充電できるのはいいことなのだ。
もちろん充電しながらでも操作はできるので、じっと置いておかなくても平気。
置いておくといえば、使うとき常に手に持っているのも面倒なので、なにかしら適当なスタンドが必要であることは間違いない。100円ショップあたりでちょうどよさげなスタンドをさがすことにしよう。
軽いから腕が疲れるほどではないが、寝転がって動画をみるいい方法はないものか。う~む、だんだん不精な要求がでてくるものだ。
android OS は、バージョン4が入っています。2.3あたりとはずいぶん変わったという話だけど、2.3を知らないので、良くわからない。
それでも昨日初めて使った割には基本操作は簡単で、設定もそれなりにいじれるのでそこそこ良く出来ているんじゃなかろうか。
ファイル操作は windows のとはやっぱりちがうので、まだもひとつ感じがわからない部分もありますが、ただ見るだけならあっという間に出来るようになりましたよ。指でめくって進む分、ねらったファイルを見るのはとても便利だ。逆に、多量のファイルから、狙ったファイルを探し出すのは画面に巨大なモニターを使えるwindowsの方が便利。その辺、1つのフォルダにかたっぱしからファイルを入れるのはやめましょう、ということでしょうかね。
windows よりもう少し、細かめに分けるよう心がければ便利かも。
不思議な欠点も。フォルダに入ったファイル。ギャラリーというアプリで表示順がファイル名に沿わず適当にバラけてしまう現象発生。不思議だ。ちゃんと名前順になるものもあるので原因不明。あと、手でめくって操作するぶんには問題ないんですが、ファイル名順スライドショーにすると、終わりから順にさかのぼってファイル再生するのはどういうことか(ランダム再生もあり)。どうりでこのギャラリーという動画・画像再生アプリがサムネイル生成のときファイル名の下のものから(数字なら大きいものから、アルファベットなら z から)読み込み始めたわけだ。絵や写真ならいいけどマンガがばらばらになったり逆になのは困るなあ。
ファイルマネージャーでも逆さに並んでいるものがある。どういうことなんだか。順番を直す方法があるのかもしれないが、まあそのうちなんとかしましょう。もしかしたらファイル名をもっとシンプルにリネームすればいいだけかもしれないけど。
とにかく今日も元気に動画・画像再生してくれている。あとはSDカードにファイルを移動しておけば、いちいちPC立ち上げなくても動画や資料画に当たれるのでありがたい。電力不足のおり、節電にもなるよね。うむ、これはまた、いいことだ。
ところで、今日は久々の ル・マン24時間レースの生中継ですね。放送開始は今夜10時、スタートから明日の朝6時、フランスの日没まで延々8時間の中継には男気を感ぜざるを得ません。もちろん寝るまで付き合うぞ(もう歳だから最後までという気はない)。どうせなら24時間中継すればいいのにね。オレは日曜の朝起きて真っ暗闇の中継(コースの大部分はフランスの田舎の公道なので照明がないから)をやっていたらそれはそれで見ると思うよ。たぶん。
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01:03
中華パッド・速攻レビュー
てなわけで、ってどんなわけか。
秋葉原にいって念願(そこまでいうこたねえか)の中華パッド、7インチタブレットを買ってきたよ。
onda vx610w。
こないだは9千円以上だったのにいきなり1500円近く値段が下がっていたので、ふと気がつくと買っていた。おそろしいことだ。おかげでmicroSDカード32BGやらUSBホスト用ケーブルやら買って、おまけでクッションケースといまいち使えない静電タッチペンももらえてほぼ一万円ぽっきり。
すばらしきかな中華パッド。
android os は初めてなので、タッチパネルの指使いだとか、フォルダやファイルの並べ方などいろいろ工夫の余地はありそうだけど、目的であるメディアプレイヤーとしては要求を十分満たしてくれる優れもの。
動画めちゃくちゃきれいだ。今720pのmkv再生していますが、めっちゃくちゃきれい。きれいすぎ。AVIもmp4も今のところ問題なく再生。FLVはモノによるみたいなので、ちょっとばかり試してみないといけない。プレーンなmpeg2データはダメみたい。そこはちょっとがっかり。なにかのソフトでaviかmp4にエンコードしないとダメかな。VOBだといけるらしいので、TVを録画したDVDからVOBを抜いてあとで試してみよう。
どっちにしろ、動画がきれいなことは間違いない。
ファイルマネージャーから再生したら m2p の mpeg2 ファイルも問題なく再生されましたよ。ただしアスペクト比4:3に設定してもどうも720:480で再生されてるらしくやや左右に伸びた画面だけど。まあがまんできるていどなのでいいか。なんにしろ加工なしでmpeg2が再生できたのでOKってことで。
しかし液晶が最近流行のIPSでないので、角度変化には弱い。タブレットの画面を何人かで見ようというのであれば、最近のIPS液晶をつかったタブレットのほうがいいですね。
静止画を表示したとき微妙に青が出ているクールな色合いになるようだけど、わたしは平気。でも白ははっきり白にでるので、そこんところは大丈夫。動画になると、アニメの再生ではまったく問題なし。実写も特別色味が変わっているようには思えない。とにかく動画再生は完璧だ。
今年出る中華パッドは次から次にIPS液晶になっているみたいですよ。値段は変わらない。おそろしいことだ。その点でみるとvx610wは去年のマシンなので、ここんとこの新型の発売ラッシュに押されて値段がさがったわけかな。わたしにはvx610wを選ぶ理由があったので、これはもうありがたいことです。
動画の絵はきれいなんだけど、再生中のシークバーの反応がいまいち。つーか操作のコツが掴みづらい。そのへんちょっとマイナス点。シークバーのカーソルが捕まえられればどこへでもするする移動できるので、そのへんは及第点。
画面アスペクトが16:9なので、HD動画の再生は完璧だが、jpegなどの画像はやや縦横比が(縦にも横にもできるので)狂ってしまうのがちょっと微妙。だがまあ、我慢できないほどではないので、いいでしょ。
画面そのものは機体を縦にした場合やや縦に長く横につぶれた(16:9なので)文庫本サイズ。ためしにマンガも表示してみましたが、問題なく台詞もちゃんと読めます。トーンも特につぶれた感じもしないし、場合によりけりでモアレになるときもあるものの、大体の場合普通に灰色に見える。
日本のマンガに比べてコマと台詞が小さい現在のバンドデシネ(ヨーロッパマンガ)などはちょっとつらいかな。あれはもともとA4くらいで読むのを前提にしていますからね。でも拡大縮小が簡単に出来る(静電マルチタッチパネルなので指でひょいひょいとね)ので、まあOKかな。正直を言えばバンドデシネなら9インチクラスのタブレットのほうが読みやすいのは間違いない。
縦横はGセンサーで普通のタブレットやスマートフォンのようにみたく勝手に切り替わります(手動切り替えも可)。一昔前の中華パッドみたく画面の縦横がいきなり切り替わるなんてことはなく、一瞬間をおいて(ここんところ中華だからね)ぬるりと回ります。拡大縮小はぬるぬると自由自在。スクロールもぬるぬると良く動きますよ。
wifi を off に(インターネットには使わないから)してから、20分くらい動画を再生して大体バッテリーが5パーセントくらい減っているので、カタログスペックでの動画再生連続6時間というのは、実際問題なさそう。すごいね。音はスピーカーからはそれなりに。イヤホン・ヘッドホンジャックからなら特に問題なく普通の音が出ます。
おそらくCPUがあるのであろう部分がすぐあったかくなりますね。冬には懐炉がわりになるやもしれぬ。この部分はなるべく持たないようにしないといけないかな。
onda vx610wを選んだのはTVコンポジット出力があるから。最近の中華パッドはみんなminiHDMIなのだ。いずれはそっちのほうが便利ってことになるんだろうけど、いまのところカートゥーンのオフ会で、みんなで鑑賞会をするときコンポジットのほうが便利なのであった。4極ミニプラグ-3ピンプラグのコンポジットなので、今うちにあるケーブルが使えるかなと思ったらダメだった。そのうちまた秋葉原にいってケーブル買ってこないといけないな。
手に持つと、最初は、あ、軽いというほどでもなく、それなりの厚さの本を持つような感じでしたが、今では(といってもまだ3時間くらいしかいじってませんが)手もなれて、ほとんど重さを感じない。これならマジどこでももっていけるな。
付属品はUSB給電口のついた家庭用コンセント差込プラグ。そのUSBから給電するための標準USB-miniUSBのケーブル。このケーブルで、モバイルバッテリーからも簡単に充電できそう。それにステレオイヤホンと、中国語なのでさっぱりわからないマニュアルの小冊子。簡素なものですね。
まとにかく、満足です。値段を考えれば完全に満足です。
これが(本体だけなら)8000円だもんなあ。恐るべし中華。しかも最新のタブレットはさらに性能を上げて、IPS液晶に、CPUダブルコア化してるし、android ならメーカー製タブレット買う意味ある?みたいな気がしないでもない。
つーか、なんだったら予備にもう一台買ってもいいくらいだ(買わないけどね)。
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21:10
洋書読み
the Higher Power of Lucky
author Susan Patron 読了
カリフォルニア、モハベ砂漠の古い鉱山跡にある、人口43人のハード・パンの町。10歳になる少女 Lucky は、町外れのトレーラーハウスに、フランスからやってきた彼女の父の最初の妻であり現在の彼女の保護者、Brigitte と住んでいる。町の風鈴博物館で行われる「依存症克服のための12段階」の会 (twelve-step group )の集会を覗き見てから、Lucky は彼女自身の Higher Power を見つけようと決めていた。でもそれがいったいなんなのか、まだ彼女自身にもはっきりとはわからない。
Lucky の父は、フランスで結婚した Brigitte と別れた後、アメリカに戻り、Lucky の母と再婚。二人の間に Lucky が生まれるが、しかし子供が欲しくない父は、Lucky の母とも別れ、その母もある嵐の翌日、事故でなくなってしまったのだった。父の顔も知らない Lucky は砂漠の町でたった一人取り残されてしまうが、父はフランスから Burigitte を呼び寄せ、鞄ひとつでやってきた Brigitte は、言葉もろくにわからないままその町で Lucky と砂漠の町で暮らすことを選んだのだった。
それから数年。Lucky は Brigitte がフランスへ戻ろうとしていることを知る。自分を捨て、Brigitte はフランスでの彼女自身の暮らしを選ぶつもりなのだ。その日から Lucky は、家出を計画する。いつかその兆しが見えたとき、誰にも知られずに行方をくらまそう。そうして、自分が Brigitte や、母の葬式にさえ顔を見せない父や、ハード・パンの人々にとっていったい何者なのかを確かめようと考えるのだった。しかし、その兆しが見えたその日、砂嵐が町を覆い、近所に住む少年 Miles が行方不明になってしまう。Lucky は、砂嵐の中、Miles を探すのだった。
冒頭から、アメリカ中西部の寂れた町と、普通でない境遇の登場人物で、なんだかヴィム・ベンダースが映画にでもしそうな雰囲気のいい感じ。子供拒否の父に、死に別れる母とかなり悲惨な境遇の Lucky 。しかし、もともと寂れたハード・パンの生活しか知らない Lucky は、それをそのまま受け入れているのだが、依存症克服の会で耳にした Higher Power を自分も得たいと考えるようになる。Lucky をとりまく人物像もおもしろいっていうかすこし変なヒトばかり。普段はまともな Brigitte も、哺乳類以外の小動物が大嫌い。縄の結び目に天賦の才を持つ友達。依存症克服の会で自身の体験談を披露する男、などなど。
印象的なシーンはいろいろあるが、Lucky たちがある家で聞くラジオがいい。カリフォルニアの交通情報。人口43人。ほとんど何もない町のラジオから流れるのは、道路を流れる大量の自動車と、事故による渋滞のニュース。それもアメリカ。ここもアメリカ。
前半はヴィム・ベンダースだが、後半は児童向けらしい展開になって一安心。
しかし、一応子供向けなんだよね、この小説。2007年度のニューベリー賞受賞作。すごいな、ニューベリー賞。もっとも大人が選ぶ本なので、子供がどう思うかは子供が読んでみないとわからない。でも児童向けでも十分な読解力を要求する作品が書かれているというのはたいしたものだと思うんだな。
ところで Higher Power というのはアルコール依存症克服のために提唱された、「自分自身を越えたより強い力」という意味の言葉だそうで、今では他の「依存症克服のための12のステップ」の会でも使われるようになっているそうです。今の自分自身ではどうにもならない現状から抜け出すためのより確かな力。the higher power of lucky では、ハード・バンの町でアルコール、過食症、ニコチン(タバコ)などの依存症克服のための集会がひらかれていることになっています。ハード・パンには普段の生活で依存したくなるようなものは何もないからちょうどいいんでしょうね。
はたして、Lucky は彼女の求める Higher Power を手にすることが出来るでしょうか。
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05:46
96th INDY500
第56回インディアナポリス500マイルレースが先ほど終了。
予選19番手スタートの佐藤琢磨選手は、レースがスタートすると着実に前走車をパスし、一時トップにまで進出。以後チップ・ガナッシの2台とトップ集団で周回を重ね、199週目の第1ターンで、リーダーのダリオ・フランキッティのインをつき2ワイドでターンに入るが、リヤからブレークしそのままウォールにヒット。結局17位でレースを終えた。
しかし、レース前にはシボレーエンジン勢に対してやや不利だったホンダエンジンの佐藤選手だったが、燃費のよさとドラフティング(スリップストリーム)が効きタービュランスの中でも安定性のいい今年のマシンダラーラDW12の特性を生かした、完璧なレース展開で、あと一歩で優勝というところまで戦った。
勝者以外はすべて敗者であるインディ500で、勝てなかったことに変わりはないが、しかし、見事な戦いだったのは疑いようがない。
佐藤琢磨選手の優勝はもう目の前だ。
それにしても、ダラーラDW12はいいマシンですね。
最初見たときはなんだかおまんじゅうみたいなフォーミュラカーだなと思ったのだった。しかしオープンホイール車のリスキーな弱点を克服しようとする試みも見事で、それが実際に効果を発揮しているところがいい。後ろから見るとなんだかグランチャン・カーみたいで意外と好きだ。おまけに乱気流に強く、ドラフティングがコンピューターゲームみたいに良く効くとなればレースは混戦必至。常にチャレンジを続けるアメリカン・レースのいい面がそのまま発揮されいる名車ではなかろうか。
一方、F1モナコGPは、スタート直後の混乱に巻き込まれて小林選手は早々にリタイア。あれま。また今度ね。
とはいえレッドブルのウェーバー選手が優勝し、ここまで全レースで優勝者が違うという、15年位前のCARTみたいなことになってるので、シーズンとしては面白いんじゃないかな。
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08:04
Agent Kalaschinikov
Robotboy の ゲスト・ヴィラン、女スパイ Agent Kalaschinikov と Dr.Kamikaze's girls。
「Robotboy」は、イギリス・カートゥーンネットワークで放映されたガキんちょアニメ。Dr.Moshimo の作り出した 万能ロボット Robotboy 。しかし悪の科学者 Dr.Kamikaze は Robotoboy に目をつけ、世界征服の道具として利用しようとする。Dr.Moshimo は少年 Tommy に Robotboy を託すのだった。人間の世界で人間のために役立つロボットとして、Tommy やその友人たちと共に Robotboy はさまざまなことを学んでゆく。というのがプロット。ちょっとなつかしい6、70年代の日本のアニメみたいでしょ。2000年代はアメリカやヨーロッパのTVアニメ製作が日本のTVアニメーションに猛スピードで追いつき、おそらく一部を除き、ある意味追いついた10年間だったといえるんじゃなかろうか。「Robotboy」もそんな日本に追随しようとしたアニメのひとつ。
黒服のキャラクター、Agent Kalaschinikov はその名の通り、バリバリのロシア訛りでしゃべる女スパイ。悪の科学者 Dr.Kamikaze に雇われて、Robotboy を手に入れようとするがあえなく失敗。去り際に、目的達成の暁には Dr,kamikaze と結婚するつもりだったと問題発言。ええ、じじい趣味(Dr.Kamikaze は子泣き爺みたいなチビのじいさん)なのか~?しかし、2度目の登場では、Dr.kamikaze の目の前で、いい男とカップルだったという、これだから女スパイは信用できない。
他の3人は同じエピソードにでてくる Dr.Kamikaze の取り巻き娘たち。じいさん、いい年して毎晩この娘たちとああんなことやこおんなことをしているのかと思うと、博士、一緒に世界を征服しましょう、と思わずにはいられない。でも、出てくるのは最後の1カットだけなんですけどね。
それはそれとして、このエージェント・カラシニコフ(以下エージェント・K)。デザインが「Jane Blonde sensational spylet」のジェーンとそっくりではじめて観たときはびっくり。「Jane Blonde」は、洋書読み日記でも書いたことがありますが、ニュージーランドの作家 Jill Marshall の少女スーパースパイ・アクション物の小説。扉絵にジェーンのイラストが載っているんですが、それが、エージェント・Kとそっくり。どうなってんの?と思っていたんですが、本にはイラストレーターが誰だか載っていない。一方、Robotboy のキャラクターデザインは、「Jane Blonde」とはまったく関係なさそうな人。これはお手上げだと思っていたのだけれど、今日、アマゾンをのぞいてみたら、アマゾンは作家とイラストレーターの両方を記載しているではないか。これだ、と早速「Jane Blonde」をみてみると、イラストレーターは Chris Barbutt 。この人のブログを見ると、「Robotboy」の背景デザインに関わったと書いてある。キャラクターデザインについてはわからないが、エージェント・Kが基本一回限り(後にちらっと再登場)のゲストキャラだったことを考えると、Chris Barbutt がデザインしたと考えてもよさそうだな、と真実はわからないものの半分納得したのでありました。
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22:30
洋書読み
A to Z Mysteries The Bald Bandit
author Ron Roy 読了
ハロウィン前日。グリーン・ローン銀行で強盗が発生。ハロウィンの仮装の準備をしていた Dink の家に、探偵を名乗る口ひげの男がやってくる。銀行に雇われて、現場でたまたまビデオを撮影していた赤毛の少年を探しているのだという。ビデオには犯人が写っているのだ。もしその少年を見つけてくれれば探偵は報酬として一人100ドルを約束した。Dink と Josh は、早速 Ruth Rose と一緒に赤毛の少年を探し始めるのだったが、グリーン・ローンの街でそれらしい少年は一向に見つからない。いったい赤毛の少年はどこに?そして強盗犯はどこへ?
大型連休中、紀伊国屋が洋書20%OFFだったので、つい買ってしまいました。AtoZミステリーズの第2巻。みるからに怪しい男の口車にほいほい乗ってしまう Dink と Josh もどうかと思うが、人間お金には弱いものなんだな。それでも、目的達成のための Dink の発想力と、姿を消してしまった赤毛の少年の謎、結局事態を収拾する Ruth Rose の機転は今回も快調。
さすがにこのレベルの本では知らない単語は1個くらいしか出てこないので、安心。それでもやっぱり1個くらいはあるんだな。今回はtrample(ばたばたと足音をたてる、足音を立てて歩く、などの「踏むことで音を立てる足の動作」という動詞)。こういう日常動作動詞が山のようにあるのが英語のいいところというか面倒なところ。
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05:28
洋書読み
Heck Where the bad kids go
author Dale E. Basye 読了
Milton は、品行方正、勉強熱心な目立たない少年。盗癖のある姉の Marlo の起こした騒動に巻き込まれ、ショッピングモールのマシュマロ像の爆発で二人とも死んでしまう。二人が意識を取り戻した場所は Heck 。素行不良の子供たちが18歳になるまですごすあの世の矯正施設(もっとも Heck には普通の時間の流れは存在しないのだが)。本来良い子の Milton は、最後の時、Marlo に盗んだものを押し付けられて、姉ともども、Heck に送り込まれたのだった。得体の知れない悪魔たちが管理する Heck。到着早々、脱走を試みる Marlo だが、あっさりつかまってしまう。納得のいかない Milton は、姉の巻き添えであることを主張するが、Heck の管理責任者、悪魔のBea "Elsa" Bubb は聞く耳を持たない。Heck に送り込まれたほかの子供たちと共に男女別に更生プログラムを受けることになる2人だったが、生まれ着いての不良少女 Marlo は、いきがかり上いい子ちゃん扱いに。根っからのまじめ人間の Milton は、問題児扱いされてしまう。Marlo から再び脱走計画の連絡を受けた Milton は2人から少し遅れてHeck にやってきた少年 Virgle と共に、3人で脱走を試みるのだが・・・。
不良娘の姉とまじめ人間の弟が送り込まれた Heck 。悪魔や神々が管理し、歴史上の「ワル」い人間(の霊?)が更生プログラムの教師を務める。人の言うことをおとなしく聞く気などさらさらない身勝手な Marlo と、まじめ一筋の人生を短いながら送ってきて、こんなところに入れられる覚えはさらさらない Milton の Fauster 姉弟は、食べることに自制心のない少年 Virgle といっしょに悪魔たちを出し抜いて Heck からの脱走を図るのだった。設定はかなりおかしいが、割とまともな学園コメディでもある。なぜか、Milton と一緒に Heck にきてしまったペットのフェレット、Lucky も脱出の鍵を握るのだった。
わりとすらすら読める部分と意外と読みづらい部分があったのだけれど、文章に修飾が多くて、舞台の状況が掴みづらかったHeckのせいかもしれない。お話は面白く読めました。脱出劇の最後には感動的(?)な場面が待っているのだけれど、そのあとがまたよかったりして。しかし、問題はこの小説も第1巻だということ。続巻を読まなきゃならない本がまたひとつ増えてしまった。困るなあ。
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08:49
食
観測可能な地域ではみなさんご覧になったでありましょう。
なんといっても太陽の明るさにはびっくりですよ。
ほとんどの部分が月に隠れてしまう金環食状態でも直接見ることが出来ないわけですからね。すごいなあ太陽。
部分食の状態ではほとんど周囲の明るさも変わらない。
前見た皆既日食の時も完全に隠れるまではほとんど明るさに変化がなかったものなあ。
私のいる地域では金環食になると流石に異常を察してか、にわかにカラスが騒ぎだしそこいらを飛びまわりました。家の人がいなくなった(日食を見に外へ)せいか、どこかの猫が鳴いてましたよ。
もうこれで生きている間に日食を見る機会もあるまいかと思うと(北海道に行ってまで見るつもりはない)、感慨もひとしお。あとはあの世に行く前にもう一度大洋ホエールズ(現Dなんとかベイスターズ)の優勝を見られるかどうか・・・。
とまあ、月曜日は日食フィーバー(死語)だったわが国ですが、今日は例のとにかく高い塔が営業開始とか。今年東京は忙しい一年なんだな。
前々日の日曜日にはイベントに、またカートゥーン本を作って参加してまいりました。相変わらず今時の日本のアニメは見ていない常態なので、どの本をみてもさっぱりネタがわからない私は本は買いませんでしたが。まあ、私の本を他の人が見てもさっぱりわかるまいからお互い様ってことでいいんじゃあるまいか。しかし、いいかげん毎度イベントに行って何も買わないというのもどうかと思うんですけどね。楽しみ半分だなあ。
お隣になったのは、昔からの知人の方で、あれま、こんなところ(少々失礼な言い草で申し訳ない)でこんにちわといった次第。いつもは机に向かって座っていると特に話す相手もいない(たまに知り合いが訪ねてくれたりあるいはこちらから出かけていくような場合は除く)わけですが、今回は適当に話す相手がいてよござんした。
実はその前日、寝る前にいきなり録画用PCがうんともすんとも言わなくなって大弱り。あれこれいじったり、結局交換用パーツも用意できないので、あきらめて配線を直して別のPCを復活させたりしている間に寝る時間がなくなって、またまた睡眠不足の状態で出かけたのでありました。うむ、さすがにそろそろ年齢的に、寝不足でイベントにいくのがつらくなってきたぞ。
眠気と戦いつつ、イベントが終了すると、また別の知人とそのお友達の方々の打ち上げについていって、ご苦労様でした会。久しぶりにアルコールを入れたら寝不足と空腹のトリプルパンチでふらふらでした。でも食べ物は美味しかった。
今はもう若い時ほど物欲というものがなくなっている(本は別)私ですが、最近無闇に欲しいのが、タブレットPC。特に7インチの中華パッド。
普通の人のように外出中にいつでも望む時にインターネットに接続という状況にはめったにならない(おそらく年に5回くらいと思われる)ので、携帯性のいい5インチ、いわゆるスマートフォンが欲しいとは思わない。年にたった5回かそこいらのためにスマートフォン買ってもなあ。みたいな。
携帯するネット接続機としてのタブレットではなく、どんどんたまっていくバイナリデータの読み出し機としてタブレットが欲しいわけです。
早い話、動画再生と、画像データを見る機械が欲しい。
特に最近は画像資料をネットから拾ったり、ファンアートを描くときは動画からキャプチャーしたりするので、以前のように紙の形でないわけですよ。とすると、あ、あれどんなデザインだったっけ、という場合、PCに電源がはいっていないと、電源投入してパスワード入れて、立ち上がるまで待って、という手間がかかるわけ。絵を描く場所とモニターの位置が違うので、いちいちモニターを見るために体を動かさなくてはならない。その点タブレットはスイッチポンですぐ手元で見られるのが便利ではあるまいか。ましてや、現在動画はPC録画なので、絵を描きながら時々眺めるということが出来ない。いちいち首をあさっての方向に向けるのは面倒でしょ。これも画面はPCよりずっと小さいが、手元に置いておけるので、便利。そして、もっと重要なのは老眼が進んだために、絵を描くときは近視用メガネをはずし(あ、普段メガネをかけています)、その位置からPCを見るときにはメガネをかけなくてはいけないのが面倒すぎる。この点も手元で見られるタブレットならメガネをはずしたままでもOKではあるまいかと。
実際こないだのイベントで絵を描く際、知り合いのところに行ってスマートフォン(その人は5インチのスマホを使っている)で動画を再生してもらってキャラのデザインを確かめさせてもらいました。でも5インチは絵(動画)を見るには流石に小さい。
さらに今後自炊する本のデータをいつでも手に持って見られるいわゆる電子図書の役目も果たせる。7インチタブレットの大きさは、機械はB5弱、画面はA5サイズ程度なので、十分マンガも読めるじゃないか。
なんだいいことだらけだな。
しかし、タブレットにも弱点がないわけじゃない。それは結局PCなのでいつかは壊れる、ということ。本はそう簡単には壊れない(破れない、というほうが日本語的にはよろしいですな)が、PCはやっぱり5年だよね。
そんなわけで5年でパアになってしまうだろうタブレットに大金は賭けられない。そこで中華パッド。
7インチだと1万円程度のものがあれこれいっぱいある。なんだ、一台1万円なら2、3台買っとこうかとか思ってしまうとかけるお金は高いメーカー製といっしょになってしまうのでそういうことをしてはいけない。
よりどりみどりだといいたいが、わたしの知人はたいてい有名メーカーのタブレットを持っている人間ばかりで、安い中華パッド持ちがおらず、使用感のモニターがいないという不便な状態なのだ。人のことを何だと思っているのかという態度で申し訳ないが、やはり初物に手を出すときはなにかしら人身御供がいてくれれば便利なことは確か。そういう物好きな人間がいて、あれこれ失敗してくれればこそ、我々後に続くものが大いに助かるというのはこれはもう世の中の真理であるといわざるをえない。がしかし、今回はどうも、自ら試しに買ってみるしかなさそうなんだな。しょうがないなあ。
とはいえ、まだ買ってはいないんですけどね。夏までには一台くらい買ってみたいものだと思うんであります。
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21:25
アドベンチャー・タイム
とうとうはじまりました。
「刑事コロンボ デジタルリマスター完全版」の2週目。また1年(とちょっと)毎週コロンボが観られるのだ。いい世の中だ。
じゃなくて、「スーパーナチュラル」第6シーズン。最終戦争が意外とあっさり終わったのでどうなることかと思ったけど、結局今まで通りじゃんみたいな雰囲気でさすがアメリカドラマだぜと思ったり思わなかったり。
じゃなくて、「アグリー・ベティ 第3シーズン」の続き。始まったとたん一ヶ月も中断するというのは珍しいよね。このまま再開しなかったら「トゥルー・コーリング」の第2シーズン以来だななどと思ったりもしたけれど、でも無事再開。した途端またもや怒涛の展開で、さすが南米原作夜のソープ・ドラマ(と書くとなんだかひわいだが、ぜんぜんそういうわけではないのだ)。次から次に問題発生で悩み多きベティの明日はどっちだ。
じゃなくて、必殺シリーズ最大の問題作「翔べ!必殺うらごろし」。やっぱり変だこのドラマ。オカルトネタなんだけど、そこんとこもう少し煮詰めていれば、日本版「スーパーナチュラル」(「Xファイル」でも、「ミレニアム」でも、「事件記者コルチャック」でも、「フリンジ」でもおすきなタイトルと交換可)になっただろうになあ。脚本陣がいまいちオカルトを扱いかねていたのは明らかなのが残念だ。そういうところが日本と欧米ドラマの違いかな。日本のドラマにはSFは似合わない(ていうより、SFマインドをもってる脚本家が日本には極々稀な例外を除いてほとんどいない。これが文化の差によるものなのかどうかは、そういうことを研究している専門家、そんなのいないと思うけど、が明らかにしてくれるだろう)のかもしれない、というか似合わないという例の一つ。あ、SF・ファンタジーかどうかということは、作品の面白さとは別問題ですから。
じゃなくて、「アルカトラズ」。表向きは囚人が他の刑務所に移送され1963年に閉鎖されたアルカトラズ刑務所。しかし、真実はちがっていた。ハリウッド一のとりつかれ役者サム・ニールも出演する話題のミステリー。お金かかってます。(今時のアメリカドラマじゃあたりまえか)いちいち面白いこと考えつくなあアメリカドラマ。2話だけではあまりに謎が多すぎていったいどう転んでいくのかさっぱりだけど、まあいまのところは面白いぞ。
じゃなくて、「アドベンチャー・タイム」。あ、やっと戻った。とうとう日本カートゥーンネットワークで日本語吹き替え版放送開始。カートゥーンネットワークが観られる人は必見なり。最新のアメリカン・カートゥーンの狂気のようなハイ(すぎる)センスと真面目なばかっぷりが十二分に味わえます。
もう何度も観ているのでいまさらだけど、やっぱり面白いよ。吹き替え版は英語版より、ちょっとゆったり気味というかやわらか目に喋っていて耳にあたりがいいのでこの辺日本向けかもしれない。原語版はシャキシャキとしていて、けっこう台詞回しも容赦ないからね。でも翻訳の人はたいへんだろうなあ。第1シーズン最大の問題作「tree trunks ツリー・トランクの冒険」も放映されて、見た人すべてが呆気にとられたに違いない。子供の頃から飽きるほどアニメを見ていた私も、これを見た時には最後に「え?!」と思わず声を出してしまったほどのキレまくったオチです。最高。こんなのありか?いいんです。それを可能にしているところが「アドベンチャー・タイム」の面白さなんですよ。
アメリカでは「アドベンチャー・タイム」と時をおなじくして始まった、ヤング・アダルト向け「アドベンチャー・タイム」ともいうべき「レギュラー・ショウ」も日本にこないかなあ~。ハードルは高そうだけど面白さは折り紙つきだ。「アドベンチャー・タイム」が評判良かったらぜひひとつ、どうすか日本カートゥーンネットワークさん。おねがいしますよ。
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04:20
普通の日記
は、ほとんどつけていないのでなんなんですが、たまには何か書いとかないといかんか、いかんのじゃあるまいか、というわけで。
大型連休から早一週間。
連休初日にコミック1というイベントに出たわけですが、あとは特別なことは何もせず(部屋の整理ぐらい)いつもの通りの日々だったので、連休も何もないね、という感じ。まあ、毎年そうなんですけどね。
でも連休最終日はカートゥーン関係のお仲間(いつの間にかヘビクラブという仮称らしきものがついていた)と「アメコミ・ただ配り」の日に行ってきました。たしか、これは去年も書きましたね。今度は本だけでなく、美味しいものも食べよう会だったので、多少イベントらしき雰囲気。
アメコミのお店は川の近く、あれは何川?隅田川?そう隅田川のすぐそばだったので、今回は晴天なればと集合時間よりやや早めにいって川沿いをたらっと散歩しました。近くの公園では、ご近所一同でバーベキューだったり、親子連れで芝生の上だったり、野球場では少年野球だったり、まるで絵に描いたような平和な光景が。ううむ、油断ならぬわ、おそるべし大型連休(こういう感性はよろしくないですな)。また、隅田川はといえば、次から次へと観光客を乗せた川船が通り過ぎたり、ジェットスキー(水流ジェットで前進する水上バイクね)をブイブイ言わす人たちがいたりで、意外と賑やかで、なんだそうか、道具さえあれば好き勝手に行き来できるものなのか、などと思ったのだった。例のでっかい塔、スカイツリーですか、あれも見えました。つーかまあ、大きなビルが邪魔しなければ都心からは大抵どこからでも見えるよね、あれは。ビルさえなければ多分うちからでも見えると思うな。東京タワーが見えるんだから見えるはずだ。
で、ただ配り用お試しアメコミ本をもらって、ダメそうな100円均一バーゲン本を試しに一冊買って(ビニール袋に入っているのでその場で中身を確認できないのは「リーフ」という薄いアメコミ本のお約束なので、帰って見てみるとダメでしたよええ、ダメだったとも。なんていうか、実際、いまいちな創作同人誌みたいだったよ)、ヘビクラブ(仮称)の方々とお店をあとに。
次はすぐ近くのBrothersというハンバーガー屋さんでハンバーガーなのだ。これがめちゃくちゃ美味しいのだ。1000円バーガー(リッチ・バーガーという類のものだそうだよ)なのだが、値段分おいしいのでこれでいいのだ。そこいらへんにうじゃうじゃあるファスト・フード・バーガーとは比べてはいけないものなのだ。毎日食べたらどうかわわからないが、たまに食べるには十分満足できるものなのだった。毎日食べても平気なのはC&Cのカレーくらいだと思うな、私的には。カレー好きだし。いや、実際に毎日食べたことはありませんが。
とにかく美味しいバーガーのあとは、花の都の大通り、銀座へ移動してパセラでおまちかね変なDVDを見る(鑑賞というほどのものではないと思うな)お時間なのだ。前のエントリで書いたジ・アンビギュオスリ~・ゲイ・デュオほど破壊力のある作品はそうそうあるものではないのだが、今回ものんきな未来ヒロイック・ファンタジーや、フーディーズTVでやってる、猛スピードでおいしい店食べ歩き料理紹介のアメリカの料理番組で楽しめました。30分で3つの店を食べ歩き、料理と店と客と調理風景と経営者を紹介するせわしない番組だが、料理はめちゃくちゃ美味しそうなのだった。料理番組だもんね。
その間あれこれ無駄話もするわけですが、この日の前日にあったコミティアに行ってきたという話も聞きました。なんですか、漫画同人誌即売会とかいいながら、いまや半分位イラスト本だとか。まあね、確かに漫画を描くより絵を書くほうがずっと楽だけどね。最近はコンピューターのおかげで綺麗な絵を描くのが手軽になりましたからね。そのデーターから本もすぐできちゃうしね。でも創作漫画同人誌即売会なんだからみんな漫画描けや、みたいな。言うだけなら苦労はいらないからなんでも言えるな。
DVDのあとは美味しいもの後半戦、ドイツ料理のシュニッツェル(ドイツ風ハムみたいに平たい牛肉のカツレツ)を食べよう、なのだ。バーガーがまだ少々お腹に残っているが、ここまで来てシュニッツェルを食べないわけにはいかない。ソーセージもだ。というわけで、銀座の繁華街を素通りして、JRガードしたのドイツ料理のお店へ。店内はなんとなくドイツ風。壁のそこここに貼ってあるポスターもドイツ。でも店員さんは普通の格好だったので、山がちな南ドイツ風民族衣装というわけにはいかなかったのだった。残念。でも料理はかたっぱしから美味しかったのでOKだな。豚の骨付きぶった斬り肉スープ煮込み(料理の名前は忘れました)などを見ると、ああ、ヨーロッパの人は殺した動物の肉を食べるのだなと改めて思うのだった。でも美味しいからいいや。皆それほど量を食べるわけじゃなく、とりあえずあれこれ注文した割に意外とお安く上がってこれまたよござんした。
もう喰えないって状態でお店を出て、解散。いや、お疲れ様でした。
家に帰ってMotoGPの中継をみて、お腹にすこし隙間が出来たころヘビクラブ(仮称)のお仲間にお土産ですともらったお饅頭の仲間のようなお菓子(名前は忘れた。こればっかりですね。むっちゃ甘かった)を食べて寝る。
お腹いっぱいで寝たのに、翌朝起きるとぺこぺこなのだった。
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20:32
Agents in disguise
Kitty and Dadley disguise as Trixie and Veronica.
T.U.F.F. Puppy のキティとダドリー。ふと思いついて描いてみました。新しい机も絶好調(意味がわからないな)。アメリカでは第2シーズンも好調(?)のようすだけど、日本にゃこないんだよ~。ニコロデオンのバカ~。
今日は朝からどかどか雨が降りましたね。
おかげで野球が中止(それは昨日のことだけど)になって、予定されていた今日の録画中継が中止となり、代わりに見逃していたWTCC第5・6戦を放送。ばんざい、いやっほう。というわけで昼間は、第7・8戦とあわせてWTCC中継二本立てのツーリングカー・レース三昧。
第7・8戦は、なんと初のスロヴァキア開催。国の名を冠したスロヴァキアリンクでのレースでした。
スロヴァキアって知ってますよね。
お隣(前はチェコ・スロヴァキアという一つの国だった。1993年にそれぞれ分離独立)チェコのブルノ・サーキットはMotoGPも開催される素晴らしいサーキットですが、新設のスロヴァキアリンクもなかなかどうして、丘陵地を利用して作られた全長6Kmのサーキットは、比較的平坦でありながら途中3つの丘を登り降るというユニークなレイアウト。道幅も広くエスケープゾーン(グラベル)も広い。このへんは近代型。高速で突入する3つの丘はけっこうピーキーで、WTCCのマシンでも頂点で車が浮くくらい。F1あたりだと飛んでしまいそうで(80年代には道が上下するレイアウトのサーキットでF2で空中舞い上がり事故があった)かなり危ないんじゃなかろうか。でもツーリングカーなら大丈夫。FIAGT1も開催予定なのでこちらも楽しみ。
時計回りのサーキットは全体がおにぎりのようなレイアウト。メインストレートから中速の第1コーナーを回ったあと直線・高速コーナー直線をつないでいく。それぞれの短いストレートにある2つの丘をこえると、右へぐるりと回り込みイン・フィールドの連続中・低速コーナー区間へ入って、さらに丘。再びぐねぐねと曲がりくねったあとに短い直線からぐるりと回り込み最終コーナーからメインストレートへ戻るというレイアウト。なんだかブラジルのインテルラゴスを裏表ひっくり返したような雰囲気でもある。
第7戦は、セアトのガブリエル・タルキーニ(おや、なつかしいと思う人もおいででしょう。F1でも走ってましたあのタルキーニです)が、第8戦はシボレーのロブ・ハフがそれぞれ今季初優勝。毎度WTCCならではのスタンディングで殴り合いのようなガッツンガッツンいわす(実際接触当たり前なので音がする)バトルが展開されました。
WTCCには日本開催(鈴鹿)のレースからホンダがシビックで参戦予定。久しぶりのワールド・チャンピオンシップ・レース、頑張ってもらいたいですね。
インディでは先日のレースで佐藤琢磨選手がとうとう3位表彰台獲得。次は優勝ですね。今月末にはインディ500。楽しみです。そうだ、ジャン・アレジもインディ500に出るつもりらしいよ。奥さんよく許したなあ。
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03:07
Cleo de Nile
Cleo based on Monster High Fright Song PV
日刊モンスター・ハイ。
5日目の今日は、クレオ・デ・ナイル。
ミイラ男(女の子だけど。この怪物の「なんとか男」とか「なんとか女」っていう名称は本当に困るなあ)ですね。
クレオは学園のクイーン。ゴーゴン(メドゥーサはその三姉妹の末妹の名前。ちなみに現存するギリシア神話では上の2人の姉には名前がなく、作品ごとに適当な名前で呼ばれる傾向にあります)のデュース(だからデュースは男の子ですよ)と公私が認めるベストカップル。
エジプトの高貴な血がそうさせるのか、普段は自分が世界の中心で一見お高くとまった女王さまですが、じつは意外と忍耐強く面倒見がいいという割といい人。人の上に立つからにはかくあって欲しいものですね。
モンスターの出生の古さから言えばミイラが一番でしょうか。エジプト4千年の歴史が相手ではせいぜい1、2千年かそこいらの吸血鬼、人狼、魚人間(半魚人ね)は比べ物になりませんね。ましてや、わずか200年のフランケンシュタインの怪物をや。
とはいえ、やはりメディアの力は偉大だ。吸血鬼、フランケン(いまではすっかり「シュタインの怪物」はとれてしまっていますね)、狼男が怪物御三家。新参者としてゾンビをふくめて四天王でしょうか。
現在アメリカでは、1994年の映画「インタビュー・ウイズ・バンパイア」のヒットから、新吸血鬼モノとでもいうような、ゴシックロマン風メロドラマ・ヴァンパイアが大流行。21世紀になってからも吸血鬼小説や吸血鬼ドラマがいっぱいです。その2年前にはフランシス・フォード・コッポラ監督作の「ドラキュラ」が公開されてますね。ゲイリー・オールドマンがドラキュラだよ。ゲイリー・オールドマンはいいよね。わたしは極悪非道の小心者役者No1だと思っています。「レオン」とか、「フィフス・エレメント」とかね。でも出演作では「蜘蛛女」が一番好きだな。おっと話がそれましたね。
現代ゴシック・ホラーな吸血鬼映画としてヨーロッパでも最近「僕のエリ」がヒットしましたね。
ミイラもちょっと前の映画「ハムナプトラ」(1999年)シリーズで復活しました。
フランケンシュタインの怪物もあの世界一の役者馬鹿ロバート・デ・ニーロが演じた原作にそった映画「フランケンシュタイン」(1994年)で復活。
狼男は、ちょっと古いけど「狼男アメリカン」(1981年)が近代狼男映画では最高なんじゃないかなあ。一般的にはマイケル・ジャクソンの「スリラー」ですかしらね。あ、ジャック・ニコルソンも「ウルフ」で狼男やってましたね。これも1994年なんだ。1994年は怪物復活の年だったんですねえ。
そうなると、半魚人の復活がないのがちょっと寂しいな。だれか半魚人映画撮ってくれないかしら。
いつのまにやら映画の話になってしまいましたが、ま、そんなところで。
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01:58
Lagoona Blue
Lagoona based on Monster High Fright Song PV
日刊モンスター・ハイ。
4日目の今日は、ラグーナ・ブルー。
そうです。半魚人です。
「大アマゾンの半魚人 the creature from the black lagoon」のタイトルでおなじみの怪物。一般にはタイトルの「大」がとれてアマゾンの半魚人で通りますね。ドラキュラ、フランケンシュタインの怪物につづくユニバーサル映画のつくりだしたモンスターですが、人狼のような民間伝承モンスターではなく、フランケンシュタインの怪物やドラキュラ(は小説の主人公)のような原作つきのモンスター。半分人間で半分魚だけど人魚じゃなくて半魚人。住処がアマゾンなので淡水魚人だし。人魚はいまや、伝説の生き物とはいえモンスターではありませんからね。ユニコーンがモンスターでないのといっしょ。
ただ、アメリカの人は、魚は水の中で泳いでいればみんなひっくるめて魚だと思っているようで(ま、そりゃそうだけど)、淡水魚か海水魚かあんまり気にしていないフシがありますね。アニメでは金魚が平気で海で泳いだりしますからね(そういやユニバーサル映画の「メガピラニア」も海でぴちぴち泳いでいたし)。でもまあ、マンガだからね。
ラグーナはモンスター・ハイの水泳部のキャプテン(反則じゃないのか?)。ペットのピラニアと仲良く泳いでいます(プールで放し飼い。反則だな)。困った人(怪物だけど)を放っておけない人情家。
アニメ版では怪物だとバレバレ(ラグーナは手足にヒレついてるし)ですが、小説版ではみんないちおう怪物だとわからないような格好をしています。ラグーナも一見人間の女の子。いったいどういうわけで半魚人が人間に見えるのか、今後の展開が気になるなあ。やっぱり半魚人じゃなくて人魚って設定なんだろうか。それじゃつまんない~。
話は変わりますが、半魚人という名詞を考え出した人は天才だな。
「どうしますこの怪物の名前。ラグーン・クリーチャーとかアマゾン・モンスターじゃなんのことかわかりませんよ」
「半分魚の人間なんだから人魚なんじゃない」
「いや、この顔は人魚じゃないでしょう」
「じゃ、魚人」
「ひっくり返しただけじゃないですか。土人(死語)みたいでどうかなあ」
「じゃあ、半分魚で半分人なんだから半分魚人」
「じゃあ半魚人ですね」
「いいよ、もうなんでもいい」
という企画会議だったことは十中八九間違いあるまいと洗面器。
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09:47
Clawdeen Wolf
Clawdeen based on Monster High Fright Song PV
日刊モンスター・ハイ。
3日目の今日は、クラウディーン・ウルフ。
Wolf に e が付いてないのがはっきりしていてよろしい(実際に Wolfe という人名があります。前のエントリでも書きましたが、これらの末尾のeは固有名詞・呼称だよ、というしるしで発音はしません)。
わかりやすいですね。狼人間。ワーウルフ(英語・人狼)、ヴェアヴォルフ(ドイツ語・人狼)、ルー・ガルー(フランス語・人狼)あるいは、ライカントロープ(狼男-ギリシア語の狼+男性の意)です。
吸血鬼と同様にモンスターの名門。
最近の映画ではおおむね吸血鬼の敵役になってますね。
これで、フランケンシュタインの怪物、吸血鬼、人狼(普通は狼男と書きたいところですが、キャラが女の子だからねえ。ワーウルフには男女の別なし。ルー・ガルーは男性名詞だけど、女狼人間もルー・ガルーなわけだからややこしいな。)と怪物御三家がそろったでがんす。
それはそれとして、クラウディーン。アニメではドラキュローラの親友(らしい)で、鏡に映らないドラキュローラ(吸血鬼だからね)のお化粧直しの時なにくれとなく面倒を見ている様子ですよ。ワイルドなクラウディーンとお嬢様なドラキュローラのコンビというわけですね。
今までの中では一番シンプルで描きやすいし、現実味のある装いですよね。頭の上に出ている耳は別として。それにいざ描いてみるとけっこうかっこいいデザインだなと思ったりして。
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04:03
Draculaura
Draculaura based on Monster High Fright Song PV
Monster High の、ドラキュローラ。やっぱりPV版。
名前でお分かりのように、吸血鬼。ただし、血を見ると卒倒してしまう完全菜食主義者。大丈夫なのか。
しかし、最大の問題は、彼女の個人名がドラキュローラだということ。つまり、ファミリー・ネームはなんなのか?ということ。
アニメ・シリーズでは、クラウディーンと、小説ではラグーナと仲がいい、育ちの良いお嬢様。吸血鬼はモンスターの名門ですからね。
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11:44
Frankie Stein
Frankie based on Monster High PV version
てなわけで、Monster High のフランキー・スタイン。
これは Monster High の主題歌 Monster High Fright Song のPVに出てくるアニメーション版のフランキー。
基本デザインは、マテルの公式デザインがほぼそのまま動くフラッシュ・アニメーションのウェブ・アニメ・シリーズと同じだけれど、PV版は、トラディショナルな手描き動画の2DCGアニメーション。そのため、デザイン画がそのまま動くフラッシュのようなわけにはいかず、あちこちデザインが改められています。それでもこの服のパターンがそのまま2D手描き動画にのって動くのだからCGの技術も日々すすんでますね。TVアニメなどによくあるような「切抜きに貼り付けた」風ではなく、体の動きにあわせてパターンが動くわけです。
しかし一番の違いは肌の色。マテル・ドール、フラッシュ・アニメ版は青白い肌ですが、PV版は、小説版に描写されているような緑色の肌。小説を読んだあとでは緑の肌も意外といけてる感じですよ。
PVのアニメーション・パートを製作したのは PepperFilms というアニメーション・スタジオで、どうやら、CMなどのアニメーションを主に手がけているようです。そのため非常に凝ったつくりのアニメーションを得意にしているアニメ職人スタジオみたいですね。それにしても、PVのアニメーションはちょっと出来が良すぎますね。日本のTVアニメーションでキャラクターが踊ってるのとはやっぱり一味違うなあ。
単にキャラが良く動くというだけでなく、ライティングが思い切っている。ライティングといってもアニメだから実際にはカラーリングなんですけどね。
また背景の動かし方も含めてカメラワークもいいすよ。
それにしても、このデザイン。はじめはめんどくさそうだなと思ったけど、いざ描いて見るとあっさり終了。あれ?ってくらいシンプルで、良く出来たデザインだなと改めて思いましたんですのよ旦那さん。
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04:39
洋書読み
Monster High
author Lisi Harrison 読了
Frankie は、閃く電光のなかで目を覚ました。彼女は科学者である父 Victor と母 Viveka が生み出した娘、といっても15歳の少女として人工的に作り出された人造人間なのだった。
Melody は、天性のその美しい歌声とは裏腹に醜く突き出した鍵鼻を持つ少女。しかし彼女を襲った呼吸困難によって歌えなくなってしまう。鼻の整形手術を受け、家族と共にオレゴンのセーレムに引っ越してきたのだった。
人造人間 Frankie は、やがて年相応の少女として、そして、やがては「普通人」に混じって暮らしていかなくてはならないその方法を覚えるため、学校へ通うことになる。彼女は、緑色の肌、体をつなぎ合わせる縫い目、活動エネルギーを充電するための首に突き出した金属ボルトを隠して、セーレムの街のマーストン高校へ。
Melody は、かつてはその異様な容姿から、まともな友達などいないありさまだったが、過去の彼女を知らない新しい街で、人並みの学園生活を送ることを望みながら姉の Candace と共にマーストン高校へ通うことになる。
Melody は、登校初日の騒動から、Cleo に目をつけられるが、ボーイフレンドを争ってその Cleo と対立する Bekka と親しくなる。一方の Frankie は、Lala と Blue 、その二人の親友 Cleo と Claudine らと友達になる。
しかし、Melody も Frankie もまだセーレムの街に隠された秘密を知らない。やがて2人は、それぞれの立場でその秘密に立ち向かうことになるのだが・・・。
日本でも着せ替え人形の「バービー」で有名なマテルが展開するキャラクター・ファッション・ドール・シリーズ「モンスター・ハイ(high は high school の略ね)」。人形だけではなく、ウェブアニメも製作され、マテルのオフィシャル・サイト(アメリカの、ですが)で公開されている。
お分かりのように、Frankie は、フランケンシュタインの怪物がモデル。他にも、吸血鬼、狼人間、ミイラの怪物、半漁人など、モンスターをモチーフにしたキャラクターがドールとなっていてアニメにも登場する。
小説「monster high」はこの世界観をモチーフに、独自のストーリーを展開している。キッズも含めてヤング・アダルトまで(だいたいティーン、中・高校生向けと考えてください)の女の子向け小説で、日本で言えばちょうどコバルト文庫あたりがターゲットにしている層に近いといえるんじゃないかな。
何しろ女の子向けだものだから、たとえモンスターが主人公でも、基本男の子を巡っての女同士の争いや、人気者派閥の争いなど、学園ドラマの要素がそろっている。読みながら、そういうガールズ向けの映画やドラマの映像がそのまま浮かんできましたよ。そういう意味では実によくできてる。また、ファッション・ブランドや、アイドルの実名も連発で、今(2010年発行)女の子に人気(と思われる。わたしはアメリカの女子中・高生ではありませんからね)のアイテムがてんこ盛り。もうきらきらしちゃってしょうがないという内容ですが、ストーリーも意外と面白い(失礼)のであった。
玩具・アニメのキャラクター・ノベライズという性質上、登場キャラクターが最初っから多い、というハンデがありながら、それぞれうまく処理してある。主人公を Frankie と Melody の2人にしているところがうまいやり方。特に Melody は原作とまったく違うキャラクター(設定そのものがまったく違う)になっているという大胆な改変がなされているのだけれど、それがうまく働いていますよ(注・下記追記あり)。
しかし、問題が。さあ、Frankie と Melody の運命は、次回に続く、で終わってるんですよ~。ええ~そんな~。第2巻も読まなきゃならないではないか。つーかもう4巻目まででてるよ。知らなかった~。
追記
調べてみると、小説が出版された2010年にはアニメおよびドール・キャラとしてはまだ Melody にあたるキャラが出ていません。小説の Melody にあたるキャラクター・ドール Meowlody のリリースは2012年なので、小説版の方が先になるんですね。ということは小説に登場する Melody と Candace 、Jackson Bekka などは小説オリジナル(あるいは商品企画がまだ完全に出来上がっていなかったか)のキャラクターで、それに相当するドール・キャラクターが後から出来た、と考えることが出来そうです。実際、キャラクター・ドールでは Meolody の姉妹は双子の Purrsephone で、Candace という名前のキャラは現在のところ見当たらないですからね。ドールが小説のキャラクターを改変して取り込んだということになるのかもしれません。
あ、そうだ、先日のエントリで ambiguously なんて単語見たことないと書きましたが、ほら、何の偶然か、この本に出てきましたよ。形容詞の ambiguous が。おかげで意味不明でなく、ちゃんと理解できました。ありがとう、ジ・アンビギュオスリ~・ゲイ・デュオ。
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02:30
20年ぶり
世間ではバブルだなんだと騒いでいたころ買った電気スタンドがちゃんと点灯したよ。
小型で持ち運びできそうな按配の電気スタンドが欲しくて買ったものだった。複数のフレームが中折れ式に組み合わさっているタイプのスタンドをなんと呼ぶのか知らないが、アニメファンになら、「ルクソーJr型」で、そうでない人には「Zランプ型」で通るかもしれない。しかし実際にはなんと呼ぶのだろうか。いざとなると正式名称がわからないものが意外と多いのに気がつかされるなあ。それはおいといて。
そのスタンドは小型だけれど、どこでも使えるように、机の天板にクランプで挟むタイプではなく、スタンド・ベースにフレームを差し込んで固定するタイプ。このスタンド・ベース。直径15センチほどの丸い台座なのだが、フレーム+ランプ部を支えるためにかなり重い。おそらく2キロ近くあるのではなかろうかという、ようするに金属の塊。これが邪魔で邪魔で。使わないときはね、邪魔でしょうがなかったのだが、どういうわけかいつでもそこにある。ふと気がつくと、ああ、いたのかペリーってくらいそこにあり続けていたのだったが、ついにその本当の力を発揮する時が再び訪れたのだった。
気がつくと3月はぜんぜん絵をアップしていないのだったが、実はずっと暇があれば部屋の片付けをしていて、絵を描く時間がなかったのだった。現在暮らしている部屋は、16パズル(正方形のフレーム内に0から15まで数字のついた16個の小さな正方形のブロックがならんでいて、そのうちひとつをはずし、あいたスペースにブロックを移動させて数字の順にブロックをならベ変えていくというあれです)に17個のブロックがある状態。さすがにもう人間がまともに暮らす状況ではないと遅まきながら気がついて、いらないものを日々捨てまくりなのだった。
だいたい引っ越してきてからいままで一度も目にしたことがないものなどは、あってもなくてもまったく困らないではないか。と、理屈ではわかっていてもいざ手に取り目にすると、とっとくか、とか思ってしまう。
それでもせっせと整理を続けて1ヶ月(それまでもちょっとずつやってはいたんですけどね)、ようやくスペースができたので新しい机を入手。これで椅子に腰掛けて机が使える状態が復活した。え?いままでどうやって絵を描いていたのかって?説明すると長くなるのでその質問は却下。
とにかく、新しい机に向かって作業するとなるとそこに灯りが必要だ。
はなしが戻りましたね。
そんなわけで、20年ぶり(実際はもうちょっと長い期間)に、新しく買ってきた電球を付けて、スイッチを入れると、おお、点いた。点いたよ。昔は白熱灯だったが、今では丸い形の蛍光灯。LEDもあったけど値段が倍くらい高かったから蛍光灯でいいやみたいな。それでも白熱灯にくらべればずっとエコではあるまいか。以前は40ワットくらいの白熱灯がついていたと思うのだが(小型だから)、12ワットながら60ワット相当の蛍光灯となって、小型のスタンドとは思えないくらい明るい。めっちゃ明るいわ。大きさも新しい机にちょうどいい。
というわけで、絵を描く準備が整ったので、今月はいくつか新しい絵をアップできるんじゃなかろうかと思うのですよ。dAの方もはじめたばかりでまるまる一ヶ月ほったらかしだし、やっぱり絵は描かないと本人に断りなしに勝手に下手になってしまいますからね。困ったものです。
あ、そうだ、今日今年初めてモンシロチョウを見たよ。
桜も咲き始めたし春なんだなあ。
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01:05
ジ・アンビギュオスリ~・ゲイ・デュオ
~なのは、ちょっとゲイっぽくってことで。
問題なのは、普段こいつらの行動はそれほどおかまっぽくはないということですね。ゲイだから。せいぜい男のおしりをさわるくらい。男らしいスーパーヒーローなんだけど、スーパーパワーを発揮しようとすると思わずゲイライクな組みポーズをとってしまうというのがすばらしすぎるポイントだということですね。
本人たちはわかっているのかわかっていないのか微妙なところもナイスです。
ゲイ・デュオ:「what are you looking at?」
ヴィラン:「nothing」
という悪党どもとのやりとりも、「あれ、ペリーどこいった?」レベルなのがすごいぜ。
何を書いているのかさっぱりだという方もおらりょうからちょっとだけ。
先だってのオフ会で拝見したスーパーなアメリカアニメ「ジ・アンビギュオスリ~・ゲイ・デュオ」はエースとその相棒ゲイリーという2人の筋肉もりもりで股間もリッチなスーパーヒーローのゲイ・デュオが、悪魔のようなストレート・ヴィランたちの悪事を砕きまくるというか、もう腰砕けに砕きまくるスーパーなアニメ。ゲイ・デュオならではの必殺技の数々は悪党のみならず視聴者も悶絶すること間違いなし。
ひとたびコミッショナーから連絡が入ればぺ○ス・モビル(勝手に名前をつけた)を駆り現場に急行。○ニス・モビルは、いざとなればエレクト・モード(勝手に名前をつけた)で空も飛び、先端からびゅびゅっとああもうびゅびゅっとばかりにビームを発射するスーパーなメカなのだ。ビルの壁などひと破りってくらいに硬いのだ。
馬鹿だ。馬鹿すぎる。
伝説のコメディ・バラエティ「サタデー・ナイト・ライブ」内で放映されたアニメ。本当にろくでもない番組ですね「サタデー・ナイト・ライブ」(注・誉めてます)。1996年の作品のくせに6・70年代へなちょこスーパーヒーローアニメのふりをしています。12話もあるのか。どうかしてる。本当にアメリカの人は世界で一番に「下品で馬鹿」が好きな人たちなんだなあとあらためて寒心じゃなくて感心してしまいます。ていうか、表現の自由ってなんてすばらしいんだろうかと勘違いしてしまいます。
ambiguously なんて単語きいたことねえよ、と思って調べた結果、意味は形容詞 ambiguous の副詞形で、「曖昧な状態で・不確に」なんだってさ。みごとなネーミングだ。
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23:53
洋書読み
Skellig
author David Almond 読了
Michel の一家は冬の終わりに持ち主のいなくなった古い農場へ引っ越してきた。荒れた敷地に建つぼろぼろの納屋で Michel は、埃と蜘蛛の巣、虫の死骸にまみれやせ細った人、あるいは人に似た何か、を見つける。暗く古い納屋で見た幻かと思われたそれの元を再び訪れた Michel は、それの世話を始める。やがて同じ通りに住む Mina と親しくなった Michel は「彼」を納屋から Mina のおじいさんの遺した屋敷に移し世話しようとするのだった。一方、生まれたばかりの Michel の妹、まだ名前も決まっていない赤ん坊の妹は、重い病気を抱え、母とふたたび病院に戻っていく。死んだも同然の状態から再び生を取り戻していく「彼」と、生を受けながら死と戦わざるをえない妹。学校へ行かず、母に教育を受けながら、独自の価値観で行動する Mina 。これまで当たり前だと思っていた学校や友達とのわずかな心のずれ。こうした彼らとの関わりが、Michel の生への視点を変えていくのだった。
とても面白かったのだが、そのお話はなんとも説明が難しい不思議な小説。これまで暮らしていた家から新しい家族のために新しい家に引っ越してきた Michel の家族。古く荒れ放題のその家で、現実とは思えないものと出会い、また、確かにそこにいながら、Michel が知っている生活とは違う生き方をしている Mina とも出会う。生死をさまよう幼い妹と、これまで知っていた世界と知らなかった世界の間をさまよう Michel はある意味リンクしているともいえる。この小説の雰囲気は何かに似てるなあと思い出したのは「北風のうしろの国」。ちょっと前に呼んだ「great blue yonder」もある意味似た雰囲気。このへんイギリスファンタジーの伝統なのかもしれないと思ったりしました。単にあらすじや設定だけでは図れないという小説、物語というものの面白さが味わえます。
作品中、何度も出てくる「肩甲骨は翼の名残」というのが翻訳版(創元推理文庫版)の題名になっていたんですね。翻訳本は本屋で何度か目にしていたのだけれど、タイトルがぜんぜん違うので気がつかなかった。翻訳で読んでなくてよかった。今はまだ翻訳本で読んじゃったものは読まないようにしてるんです(そのうち読みたい、と)。原書で初めて触れるほうが他人の訳にとらわれないからいいんじゃないかなと思ってるもので。これからも気をつけないとね。
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