ちーずブログ
新田真子
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Penn Zero Part-time Hero
というわけで、世間さまではStar vs. the Forces of Evil で盛り上がってますが(日本では一部だけど)、流れに逆らって(逆らうのって大好きです)ディズニーXDの「Penn Zero Part-time Hero」を見てみたよ。始まった時期が冬だったからいきなりクリスマススペシャルという変則スタート。 前に紹介した通り、様々な異次元世界へジャンプしてその世界の危機を救うペンと仲間たち。ディメンジョンジャンプすると、その世界の住人に変身というか、乗り移って変身する。だから変身相手が人間とは限らない。 クリスマススペシャルは北極圏世界でサンタクロースにかわって、クリスマスを救うお話。 フルタイムのヒーローであるペンの両親は多次元世界を渡り歩いて悪と戦っている最中でペンは叔父さん夫妻の家で暮らしている。両親とは離ればなれだが次元間通信機で連絡をとることができる。あれ、これって「バーバリアン・デイブ」じゃん。 でも、デイブと違って、ペンの仲間はたよりになるよ。 絵がものすごい。これまでほとんど見たことがないような美術デザインでビックリ。キャラが2Dカートゥーンライクなデザインだからもっと平面な画面かと思ったら背景には3Dを多用、キャラも含めていわゆるアニメ塗りではなく全体にグラデーションがかかったような色設計で、2Dと3Dの中間に見える。この背景とマッチするようにキャラクターの色設計ができている。キャラクターのアニメーションがしっかり3Dでの位置把握ができていて、たとえば歩く動きでも地面平面上のどこに脚を踏み出しているか、体がどの向きでどのように空間を移動しているかをちゃんとやっているので2D なのに3D感が強い不思議な画面になってる。かといってフル3DCGとはちがって2Dカートゥーンならではのちゃらんぽらんな(言葉は悪いが、平面画ならではの嘘のこと)も忘れていない。漫画だからね、嘘は必需品ですとも。 オリジナルだ。キャラも含めてけっこう独特の美術デザインなので好き嫌いはありそうだけど、そのオリジナリティーは抜群にいい。レギュラーエピソードでも毎回これならすごいことだ。毎度、カートゥーンはいろいろチャレンジしてるなあ。 クリスマススペシャルだったから、レギュラーでどのようにお話が展開するか、キャラクター描写がどうかまではまだちょっとわからないけれど、必要な部分はいちおうちゃんとできてる。もうちょっと突っ込んだキャラクター描写が出来てくるとぐっと面白さが増すだろう。異次元世界にはその世界のルールがあるので、いざというときには我々の世界の常識ではなくてその世界のルールで行動する必要がある、たろえば魔法ならその世界では魔法が働くためにはどのような条件が必要なのか、働き方にはどのようなルールがあるのかなど、ちゃんとやってみようとしているので、これが毎回うまくいくようならとてもいいこと。 Sashiは期待通りかわいいぞ。 Starほど華やかな感じはないがとても挑戦的な作品になりうるので期待したい。Pennもはやく日本に来てくださいね。 追記 よくみたら、キャラクターも3Dモデルだな。これにかすれた画材風の主線をつけてるんだ。ということは2Dで十分なシーンの背景以外はほとんどフル3DCGI作品だったのか。やられた。これはすごいな。 つまり日本の作品でいえば「団地ともお」と同じ手法(アニメーション技法は違うけど、「ともお」ってキャプチャで動きつけてますよね)。それでこの画面の質の差。この辺が手間隙かけてチャレンジングなものを作っていこうとすること(成功するとは限らないが、将来へ向けてのデベロップメントにはなる)と、アニメは安上がりな番組製作の手段だとすること(キャプチャーだと3DCGIアニメーターの育成にはならないんじゃないのかなあと)の目で見てわかる違いなんだろう。
程度の問題
big giant huge large vast enormous gigantic extensive colossal monstrous いずれも大きいという意味の形容詞 普通は(日本での)最初の2つとlargeくらいですかしらね。 量的体積的な大きさと面積的大きさ=広さ、という意味で学校でも習いますね。 でも実際のところそこから下の単語の方がよく使われる傾向にあると思いますよ。特に huge enormous vast はよく出る単語。言葉はちょっと大袈裟なくらいが丁度良かったりするのは日本も外国もいっしょ。 小説では作家によって、enormousばっかり使う人や、あれこれ使い分ける人など色々。 big 大きいこと。基本的形容詞なのでほとんどなんにでもつかえる、便利な言葉。ただし面積には使わない。 giant 大きいこと。big よりちょっと意識的に大きいんじゃねということが言いたい場合の言葉。具体的な体積や見た目の大きさの場合が多い。名詞だと巨人のこと。 huge 大きいこと。かなり大きい。こりゃでかい!という場合に使う。bigの拡大版みたいな言葉。だから抽象的なものにも使える。 large 広いこと。面的な大きさ=広さの場合にはこれ。big house だと見た目に大きい家、large house だと床面積の大きい家=広い家。あれ、まてよ、容積が大きいときにも使うな。服や飲み物。ポテトの量。心が広いときもどっちでも可。 vast 広大なこと。large の拡張版。こっちは面積専用。見渡す限りみたいな広さを表す。そこいらの公園や運動場ではとても足りない。北海道の原野とか西部の荒野とかアマゾンのジャングルとかシベリアのツンドラ、アフリカのサバンナ、太平洋ひとりぼっちなど。 enormous 大きいこと。huge と同じ。うわ、でっけーという場合に使う。小説だと出現度がかなり高い。具体的なものに使う場合が多い。 gigantic 大きいこと。なんとなくgiantっぽいと思ったらそれは正解。もとはギリシア・ローマ神話のギガンテス(巨人)だから。いや~大きいなあ、という場合に使う。 extensive すごく広いこと。vast と同じ。extendは引っ張って伸ばすことでその形容詞化。だから超広(ひれ)え~じゃん、と言うときに使える。面積だけでなく範囲の広さにも使える。 colossal 大きいこと。colossus の形容詞化。colossus (コロッサス)はロードス島を守っていたという巨人像のこと。だから人物が大きいという場合にも使える。 monstrous 大きいこと。モンスター並に大きいんじゃねということだから不気味なほどにでかい。でかこわじゃん、ゴジラじゃん、という場合に使える。大きさだけでなく怪物のように極悪非道、けしからん、不気味でおぞましいという意味でも使う。その意味では最近のゴジラは失格。
名前の流行りは洋の東西を問わず
以前、20世紀の終わりから21世紀の始めごろにAshleyという名前の女の子のキャラクターがカートゥーンや役者に多く見られる、子供の名前は親がつけるのだからこの10数年前つまり1980年代後半から1990年代前半にAshleyとつけるのが流行ったにちがいないと書いたんですが、先日webのフォーブスで年代別アメリカの男女の子供の名前ランキングトップ10ランキングが載っているのを見つけましたんですよ。 で、案の定、Ashley は1990年度で第2位。1970年や1980年ではトップ10圏外。やはり90年前後で流行ったんですね。2000年でも4位をキープ。 最近ではというと2010年では27位だそうだからそれなりに定着している名前と言えそうですね。 ちなみに、名前の女王エリザベスは12位。 カートゥーンではよく出てくる、ペネロピー(ペニー)、グウェンドリン(グウェン、ウェンディー)、ベアトリス(トリクシー)、などは50位圏外。 男のキャラクターで定番のジャック(映画ドラマでも人気の名前で、ジャックだらけ。男という意味で日本語で言えば太郎みたいなものだからキャラにつけやすい)は44位。 やっぱり現実とお話ではちょっと違うということですね。 流行りの名前は、やはり有名人、俳優、アーチストの名前にちなむとか、ヒット映画の登場人物にちなむとか、日本でもそうであるようにみんな同じ感覚ですね。 ただ、日本のように次から次へと新しい名前を作りまくるということはあまりないようで、地域の伝統的な名前や、家族の名前、宗教的な聖人の名前を大切にしている傾向は日本よりも強そうです。まあ、日本は明治維新からこっちで名前の大改革が起こったのでちょっと事情が三乗でしょう。それまでの、なんとか左衛門とか、かんとか之助、あるいは、熊、八、虎、なんてのはいまでは落語か時代劇の代物ですものね。そのかわり、漫画やアニメの奔放なネーミングをお手本に名前の自由をてにいれましたね。自由すぎてワケわからないけど。 ただ、最近流行りのすっ飛んだ名前の当て字で読ませる音と字面が違うというのは、実は昔の貴族やお侍さんのころ(平安あたり)からずっとやって来たことで、一時はすぐに読めないことがよい名前(かっこいい名前。同時にある種の符号の役目もはたしていたらしく、名前がちゃんと読めるかどうかで人物を判断したりもしたそうな)なんて了見でやってたから、古文書の文字からだけでは読みのわからない名前も出てくるなど研究者も困らせている様子。だからある意味先祖帰りとも言えるかも知れないんだな。 私はキャラクター名前を考えるのが苦手な人間なので、いまでも名前をつけないまま漫画を描くことが多いですよ。台詞では関係代名詞で切り抜けて名前を言わせないようにする。本当は名前があった方がいいんですけどね。名前がつくだけでキャラクターをより明確にイメージできたりしますからね。それにタイトルに困ったときは主人公の名前をタイトルにすればいいという黄金法則がありますからね。最後は変な方に話がいっちゃいましたが、名前は大事だなあということで。
早川SF文庫がとうとう#2000ですって
早川書房のSF文庫が通算2000冊目になるそうな。 で、今月のハヤカワSFマガジンは、それを記念してSF文庫総解説第1回。#001から#500までを紹介している。 最近の日本のSF事情は全く知らないが、とりあえずSFマガジンが出てるんなら大丈夫だろ、みたいな気分はある。とはいえ一時期に比べれば日本のSFの現状はどうなのかしらみたいにみえるところもあるけど。 ま、それはそれとして、現在SFといえば映画やTVアニメ、漫画で触れる人がほとんどで、わざわざ小説を、それも海外の翻訳小説を読もうなんて言う物好き極まる人はそうそういるもんじゃなかろう。本屋にいくたびに本棚に並ぶ翻訳SF小説の数が減りに減っているのですぐわかる。紀伊国屋等の大規模書店でないともうだめじゃん(またはアマゾン)みたいな。都市部はそれでいいかもしれないが、もしアマゾンが無かったら地方在住の場合どうやって翻訳SFを手にいれればいいのか頭をかかえてしまうのではあるまいか。と思うほどに翻訳SF小説って売れてないのかなあと悲しい気分。もっとも私も最近のものは、買ってないので忸怩たるところもあるのですが、洋書で買った方が安いじゃん(最近の円安で片っ端から値上がりしてるけど、なんてこった、呪ってやるアベノミクス~)みたいな部分もあるが全部が全部洋書で買えるわけじゃない。それに英語で読むと時間かかるしね。まだ翻訳本の倍くらいはかかるんじゃなかろうか。測ったわけじゃないのでそんな気がすると言うところですが。日本語ネイティブの人(日本人でいいか)が書いた日本語の本はあっという間に読めるんですけどね。やっぱり翻訳本は特殊な日本語なんだろうな(舞台などの情景が掴みづらいというのも関係してると思うけど)。そういう日本語もまた好きですけどね。 毎度前置きが長いですが、ハヤカワ文SF文庫、#001から#500までの翻訳本(半分くらいは白背で、日本人作家の本もある)はもうあらかた絶版で今読みたくてもどうにもならぬのではあるまいか。著名なものや、映画で話題みたいなものなら新訳で再度出版になることもたまにあるけど。結構重要度の高い作品も多いのでなんとかならぬかと思ってみたりもしますよ。そうしないと「刑事コロンボ」って、「古畑任三郎」のパクリじゃんなんて言う底抜けのおばかさんの同類がわらわらと増殖しないとも限りませんからねえ。早いとこ電子化してバカスカ読めるようにしてちょ(現状はかなりお寒い、てゆーか寒すぎる。バナナで釘。液体窒素!みたいな。やっぱり売れないと思っているわけかな)。翻訳権独占とか本にのせてるんだからその分しっかりしてもらわないと。頼むぜ早川書房。創元社もね。海外SFの火を消してはならぬのではあるまいか。でないと日本SFもガラパゴス化すんじゃね?みたいな。
日記一覧 (2015年3月)
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Penn Zero Part-time Hero
というわけで、世間さまではStar vs. the Forces of Evil で盛り上がってますが(日本では一部だけど)、流れに逆らって(逆らうのって大好きです)ディズニーXDの「Penn Zero Part-time Hero」を見てみたよ。始まった時期が冬だったからいきなりクリスマススペシャルという変則スタート。
前に紹介した通り、様々な異次元世界へジャンプしてその世界の危機を救うペンと仲間たち。ディメンジョンジャンプすると、その世界の住人に変身というか、乗り移って変身する。だから変身相手が人間とは限らない。
クリスマススペシャルは北極圏世界でサンタクロースにかわって、クリスマスを救うお話。
フルタイムのヒーローであるペンの両親は多次元世界を渡り歩いて悪と戦っている最中でペンは叔父さん夫妻の家で暮らしている。両親とは離ればなれだが次元間通信機で連絡をとることができる。あれ、これって「バーバリアン・デイブ」じゃん。
でも、デイブと違って、ペンの仲間はたよりになるよ。
絵がものすごい。これまでほとんど見たことがないような美術デザインでビックリ。キャラが2Dカートゥーンライクなデザインだからもっと平面な画面かと思ったら背景には3Dを多用、キャラも含めていわゆるアニメ塗りではなく全体にグラデーションがかかったような色設計で、2Dと3Dの中間に見える。この背景とマッチするようにキャラクターの色設計ができている。キャラクターのアニメーションがしっかり3Dでの位置把握ができていて、たとえば歩く動きでも地面平面上のどこに脚を踏み出しているか、体がどの向きでどのように空間を移動しているかをちゃんとやっているので2D なのに3D感が強い不思議な画面になってる。かといってフル3DCGとはちがって2Dカートゥーンならではのちゃらんぽらんな(言葉は悪いが、平面画ならではの嘘のこと)も忘れていない。漫画だからね、嘘は必需品ですとも。
オリジナルだ。キャラも含めてけっこう独特の美術デザインなので好き嫌いはありそうだけど、そのオリジナリティーは抜群にいい。レギュラーエピソードでも毎回これならすごいことだ。毎度、カートゥーンはいろいろチャレンジしてるなあ。
クリスマススペシャルだったから、レギュラーでどのようにお話が展開するか、キャラクター描写がどうかまではまだちょっとわからないけれど、必要な部分はいちおうちゃんとできてる。もうちょっと突っ込んだキャラクター描写が出来てくるとぐっと面白さが増すだろう。異次元世界にはその世界のルールがあるので、いざというときには我々の世界の常識ではなくてその世界のルールで行動する必要がある、たろえば魔法ならその世界では魔法が働くためにはどのような条件が必要なのか、働き方にはどのようなルールがあるのかなど、ちゃんとやってみようとしているので、これが毎回うまくいくようならとてもいいこと。
Sashiは期待通りかわいいぞ。
Starほど華やかな感じはないがとても挑戦的な作品になりうるので期待したい。Pennもはやく日本に来てくださいね。
追記
よくみたら、キャラクターも3Dモデルだな。これにかすれた画材風の主線をつけてるんだ。ということは2Dで十分なシーンの背景以外はほとんどフル3DCGI作品だったのか。やられた。これはすごいな。
つまり日本の作品でいえば「団地ともお」と同じ手法(アニメーション技法は違うけど、「ともお」ってキャプチャで動きつけてますよね)。それでこの画面の質の差。この辺が手間隙かけてチャレンジングなものを作っていこうとすること(成功するとは限らないが、将来へ向けてのデベロップメントにはなる)と、アニメは安上がりな番組製作の手段だとすること(キャプチャーだと3DCGIアニメーターの育成にはならないんじゃないのかなあと)の目で見てわかる違いなんだろう。
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程度の問題
big
giant
huge
large
vast
enormous
gigantic
extensive
colossal
monstrous
いずれも大きいという意味の形容詞
普通は(日本での)最初の2つとlargeくらいですかしらね。
量的体積的な大きさと面積的大きさ=広さ、という意味で学校でも習いますね。
でも実際のところそこから下の単語の方がよく使われる傾向にあると思いますよ。特に huge enormous vast はよく出る単語。言葉はちょっと大袈裟なくらいが丁度良かったりするのは日本も外国もいっしょ。
小説では作家によって、enormousばっかり使う人や、あれこれ使い分ける人など色々。
big 大きいこと。基本的形容詞なのでほとんどなんにでもつかえる、便利な言葉。ただし面積には使わない。
giant 大きいこと。big よりちょっと意識的に大きいんじゃねということが言いたい場合の言葉。具体的な体積や見た目の大きさの場合が多い。名詞だと巨人のこと。
huge 大きいこと。かなり大きい。こりゃでかい!という場合に使う。bigの拡大版みたいな言葉。だから抽象的なものにも使える。
large 広いこと。面的な大きさ=広さの場合にはこれ。big house だと見た目に大きい家、large house だと床面積の大きい家=広い家。あれ、まてよ、容積が大きいときにも使うな。服や飲み物。ポテトの量。心が広いときもどっちでも可。
vast 広大なこと。large の拡張版。こっちは面積専用。見渡す限りみたいな広さを表す。そこいらの公園や運動場ではとても足りない。北海道の原野とか西部の荒野とかアマゾンのジャングルとかシベリアのツンドラ、アフリカのサバンナ、太平洋ひとりぼっちなど。
enormous 大きいこと。huge と同じ。うわ、でっけーという場合に使う。小説だと出現度がかなり高い。具体的なものに使う場合が多い。
gigantic 大きいこと。なんとなくgiantっぽいと思ったらそれは正解。もとはギリシア・ローマ神話のギガンテス(巨人)だから。いや~大きいなあ、という場合に使う。
extensive すごく広いこと。vast と同じ。extendは引っ張って伸ばすことでその形容詞化。だから超広(ひれ)え~じゃん、と言うときに使える。面積だけでなく範囲の広さにも使える。
colossal 大きいこと。colossus の形容詞化。colossus (コロッサス)はロードス島を守っていたという巨人像のこと。だから人物が大きいという場合にも使える。
monstrous 大きいこと。モンスター並に大きいんじゃねということだから不気味なほどにでかい。でかこわじゃん、ゴジラじゃん、という場合に使える。大きさだけでなく怪物のように極悪非道、けしからん、不気味でおぞましいという意味でも使う。その意味では最近のゴジラは失格。
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名前の流行りは洋の東西を問わず
以前、20世紀の終わりから21世紀の始めごろにAshleyという名前の女の子のキャラクターがカートゥーンや役者に多く見られる、子供の名前は親がつけるのだからこの10数年前つまり1980年代後半から1990年代前半にAshleyとつけるのが流行ったにちがいないと書いたんですが、先日webのフォーブスで年代別アメリカの男女の子供の名前ランキングトップ10ランキングが載っているのを見つけましたんですよ。
で、案の定、Ashley は1990年度で第2位。1970年や1980年ではトップ10圏外。やはり90年前後で流行ったんですね。2000年でも4位をキープ。
最近ではというと2010年では27位だそうだからそれなりに定着している名前と言えそうですね。
ちなみに、名前の女王エリザベスは12位。
カートゥーンではよく出てくる、ペネロピー(ペニー)、グウェンドリン(グウェン、ウェンディー)、ベアトリス(トリクシー)、などは50位圏外。
男のキャラクターで定番のジャック(映画ドラマでも人気の名前で、ジャックだらけ。男という意味で日本語で言えば太郎みたいなものだからキャラにつけやすい)は44位。
やっぱり現実とお話ではちょっと違うということですね。
流行りの名前は、やはり有名人、俳優、アーチストの名前にちなむとか、ヒット映画の登場人物にちなむとか、日本でもそうであるようにみんな同じ感覚ですね。
ただ、日本のように次から次へと新しい名前を作りまくるということはあまりないようで、地域の伝統的な名前や、家族の名前、宗教的な聖人の名前を大切にしている傾向は日本よりも強そうです。まあ、日本は明治維新からこっちで名前の大改革が起こったのでちょっと事情が三乗でしょう。それまでの、なんとか左衛門とか、かんとか之助、あるいは、熊、八、虎、なんてのはいまでは落語か時代劇の代物ですものね。そのかわり、漫画やアニメの奔放なネーミングをお手本に名前の自由をてにいれましたね。自由すぎてワケわからないけど。
ただ、最近流行りのすっ飛んだ名前の当て字で読ませる音と字面が違うというのは、実は昔の貴族やお侍さんのころ(平安あたり)からずっとやって来たことで、一時はすぐに読めないことがよい名前(かっこいい名前。同時にある種の符号の役目もはたしていたらしく、名前がちゃんと読めるかどうかで人物を判断したりもしたそうな)なんて了見でやってたから、古文書の文字からだけでは読みのわからない名前も出てくるなど研究者も困らせている様子。だからある意味先祖帰りとも言えるかも知れないんだな。
私はキャラクター名前を考えるのが苦手な人間なので、いまでも名前をつけないまま漫画を描くことが多いですよ。台詞では関係代名詞で切り抜けて名前を言わせないようにする。本当は名前があった方がいいんですけどね。名前がつくだけでキャラクターをより明確にイメージできたりしますからね。それにタイトルに困ったときは主人公の名前をタイトルにすればいいという黄金法則がありますからね。最後は変な方に話がいっちゃいましたが、名前は大事だなあということで。
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早川SF文庫がとうとう#2000ですって
早川書房のSF文庫が通算2000冊目になるそうな。
で、今月のハヤカワSFマガジンは、それを記念してSF文庫総解説第1回。#001から#500までを紹介している。
最近の日本のSF事情は全く知らないが、とりあえずSFマガジンが出てるんなら大丈夫だろ、みたいな気分はある。とはいえ一時期に比べれば日本のSFの現状はどうなのかしらみたいにみえるところもあるけど。
ま、それはそれとして、現在SFといえば映画やTVアニメ、漫画で触れる人がほとんどで、わざわざ小説を、それも海外の翻訳小説を読もうなんて言う物好き極まる人はそうそういるもんじゃなかろう。本屋にいくたびに本棚に並ぶ翻訳SF小説の数が減りに減っているのですぐわかる。紀伊国屋等の大規模書店でないともうだめじゃん(またはアマゾン)みたいな。都市部はそれでいいかもしれないが、もしアマゾンが無かったら地方在住の場合どうやって翻訳SFを手にいれればいいのか頭をかかえてしまうのではあるまいか。と思うほどに翻訳SF小説って売れてないのかなあと悲しい気分。もっとも私も最近のものは、買ってないので忸怩たるところもあるのですが、洋書で買った方が安いじゃん(最近の円安で片っ端から値上がりしてるけど、なんてこった、呪ってやるアベノミクス~)みたいな部分もあるが全部が全部洋書で買えるわけじゃない。それに英語で読むと時間かかるしね。まだ翻訳本の倍くらいはかかるんじゃなかろうか。測ったわけじゃないのでそんな気がすると言うところですが。日本語ネイティブの人(日本人でいいか)が書いた日本語の本はあっという間に読めるんですけどね。やっぱり翻訳本は特殊な日本語なんだろうな(舞台などの情景が掴みづらいというのも関係してると思うけど)。そういう日本語もまた好きですけどね。
毎度前置きが長いですが、ハヤカワ文SF文庫、#001から#500までの翻訳本(半分くらいは白背で、日本人作家の本もある)はもうあらかた絶版で今読みたくてもどうにもならぬのではあるまいか。著名なものや、映画で話題みたいなものなら新訳で再度出版になることもたまにあるけど。結構重要度の高い作品も多いのでなんとかならぬかと思ってみたりもしますよ。そうしないと「刑事コロンボ」って、「古畑任三郎」のパクリじゃんなんて言う底抜けのおばかさんの同類がわらわらと増殖しないとも限りませんからねえ。早いとこ電子化してバカスカ読めるようにしてちょ(現状はかなりお寒い、てゆーか寒すぎる。バナナで釘。液体窒素!みたいな。やっぱり売れないと思っているわけかな)。翻訳権独占とか本にのせてるんだからその分しっかりしてもらわないと。頼むぜ早川書房。創元社もね。海外SFの火を消してはならぬのではあるまいか。でないと日本SFもガラパゴス化すんじゃね?みたいな。
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