ちーずブログ
新田真子
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サマーウォーズ
を、やっと観た。夏だから。ながら観だったけど。 いまさらな気がしないでもありませんが、以下には映画の内容に関わることが書いてあるので「サマーウォーズ」を未見の方はお読みにならない方が身のため、じゃなかった、映画に対する興味を維持し、後に映画を観賞なさる際、余計な先入観を持つことなくご覧になることができるでありましょう。 一応、言うことはいったと。あとは自己責任ってやつですか、そうですか。 で、「サマーウォーズ」。 つーかプロットは「デジモン・アドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」だということはCMを見ればわかることなので、そこんとこ以外の部分に注目。 実は本当に「デジモン」だったのでちょっとびっくり。まあいいか。てゆーか「デジモン」の時点で、もともと「サマーウォーズ」がやりたかったのかもしれませんね。 いや~面白かったですよ。ながら観だったせいか、あの家族の成り立ちがもうひとつ把握しきれなかったけどまあそんなことはどうでもいいわX-5。途中から、「ながら」でなくなったし。 うぉ~、AIがなんぼのもんじゃ~っいったれや~っ的に勢いがいいので、けっこうむちゃなシーンが山盛りですが、やっぱりそんなことはどうでもいいのだな。漫画なんだからこれでいいのだ。ともあれ、おばあちゃんがかっこよかった。年寄りがかっこいい映画はいい映画なのだ。 絵も丁寧だし、CG部分もデジモンからさらに拡張しているし、すでに公開から年月がたっているので、あ、というようなシーンはなかったけど、綺麗で良かった。 でも、あれだけ丁寧な作画なのに、おばあちゃんのなぎなたはどうかと思ったな。せっかくおばあちゃん腹に据えかねのポイントのシーンだったのに。あれ、なぎなたですよね。作画チームが槍となぎなたを間違えていたのかもしれない。それともああいう槍に近いなぎなたがあるのかな。 あと漁師のじいちゃん、カズマくんの師匠ね、もよかったな。年寄りがかっこいい映画はいい映画なのだよ。え、もういいですか。 みんなでお食事のシーンはもうちょっとおいしそうだったらもとよかったのになあ。親戚が大勢あつまって食べるとけっこうガチャガチャするんですよね。実家に帰って大勢があつまらないと食べられないものとかあるのでそういう食卓がうれしくなるのだな。そのガチャガチャ感ももうひとつ欲しかったかな。うちがそうだったからで、他の家の方々はおとなしく食事なさるのかもしれませんけど。 あとあれだ、上田高校の応援が置き去りにされたのもちょっとさみしかったな、最後に、あっと思い出してTVの前にすっ飛んで行って欲しかったな。 クライマックスの花札バトルはいまいちだったかな。 もう残りの上映時間が少ないのでしょうがないのか。 ラブマシーンはアカウントを食うことで性能アップみたいなので、自分で性能アップは出来ないのか?ゲームを重ねるうちにラブマシーンがどんどん手強くなる、みたいな描写だったらもっとかっこよかったかも。あれだとなつきのミス(集中を欠いたせい)で負けただけで、本来楽勝、って感じじゃありませんでした?まあ、それを見越しての花札勝負だったともいえるけど、そうだと逆になつき無敵モードへ変身、つーのがちょっと余計な感じもしてしまって、本来楽勝なんだから、これって雰囲気物ってだけじゃん、みたいな。どうなんでしょ。こういう雰囲気だからの演出は他にも多々みうけられるんだけど、ここ以外はまあいいかとそれほど気にならなかったんだけどなあ。やっぱルールは守るべきだと思うんだ。どういう意味かを書くとさらに長くなるのでパス。 まあその、カードゲームは、統計と運のゲームだし、映画の流れからあれでいいのか。いかにもアニメ的演出なので、アニメファンやアニメ製作者にはあのほうがリアリティがあるのかもしれないな。 ここでいうリアリティとは、「これがアニメーションとしてのあり方であり、この方法論をして、いかにも我々はアニメを観た、アニメを作った、という実感を得る」ということですよ。実物(たとえば実際のコンピューター・ネットワークやサーバー内のトラフィックや、メモリやストレージに展開しているプログラムや、プロセシングの正確な描写の意味)のことじゃありませんからね。 これだけ面白い映画でありながら、それでも昔ながらの「映像作品」であることの縛りからは逃れられていない部分がいろいろあって、その辺が逆に興味深かった。いつかこれらの縛りから逃れ出る作品が生まれることがあるのだろうか。それともこの辺が「映像作品」の表現の限界点なのだろうか。まさかね。さらに先へ進む可能性は信じていたいですね。 あとあれだ、これは全年齢向けの映画ですよね。別にティーン以下の少年少女向けってわけじゃ、ないんですよね。そうだと思うんだけど。もしかしたら、いちおう子供向け(小説で言えばジュヴナイルね)だったのかもしれないかと思って。デジモンが子供向けだったから、これは大人向けなのかなと。 それはそれとして、もっとこういうオリジナルなアニメ作品を観てみたいものだなあ。「なんとかが原作」みたいなものも、まあしょうがないとして、これはどうだ、このアニメを観てくれ、みたいなものがあってもいいじゃん。とはいえ、どうせ原作を無視するんなら原作なんて必要ないんじゃね?あ、これはスタジオジブリというアニメ製作会社に対する皮肉ですが、みたいな部分もありますけどね。お金集めと宣伝のためだけに原作を選ぶのはどうかと思うんですよ。え?ちがう?そうなの?それは気が付かなかった。 日本人は新物(あたらしもの、と読んでね)好きなんだから、可能性を信じればいいのに。今の日本はちょいとばかりうしろむきだからなあ~。もうちょっと待たないといけないのかな。おれが死ぬ前になんとかなりやがれっ、て感じっすね。
日記一覧 (2011年7月30日)
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サマーウォーズ
を、やっと観た。夏だから。ながら観だったけど。
いまさらな気がしないでもありませんが、以下には映画の内容に関わることが書いてあるので「サマーウォーズ」を未見の方はお読みにならない方が身のため、じゃなかった、映画に対する興味を維持し、後に映画を観賞なさる際、余計な先入観を持つことなくご覧になることができるでありましょう。
一応、言うことはいったと。あとは自己責任ってやつですか、そうですか。
で、「サマーウォーズ」。
つーかプロットは「デジモン・アドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」だということはCMを見ればわかることなので、そこんとこ以外の部分に注目。
実は本当に「デジモン」だったのでちょっとびっくり。まあいいか。てゆーか「デジモン」の時点で、もともと「サマーウォーズ」がやりたかったのかもしれませんね。
いや~面白かったですよ。ながら観だったせいか、あの家族の成り立ちがもうひとつ把握しきれなかったけどまあそんなことはどうでもいいわX-5。途中から、「ながら」でなくなったし。
うぉ~、AIがなんぼのもんじゃ~っいったれや~っ的に勢いがいいので、けっこうむちゃなシーンが山盛りですが、やっぱりそんなことはどうでもいいのだな。漫画なんだからこれでいいのだ。ともあれ、おばあちゃんがかっこよかった。年寄りがかっこいい映画はいい映画なのだ。
絵も丁寧だし、CG部分もデジモンからさらに拡張しているし、すでに公開から年月がたっているので、あ、というようなシーンはなかったけど、綺麗で良かった。
でも、あれだけ丁寧な作画なのに、おばあちゃんのなぎなたはどうかと思ったな。せっかくおばあちゃん腹に据えかねのポイントのシーンだったのに。あれ、なぎなたですよね。作画チームが槍となぎなたを間違えていたのかもしれない。それともああいう槍に近いなぎなたがあるのかな。
あと漁師のじいちゃん、カズマくんの師匠ね、もよかったな。年寄りがかっこいい映画はいい映画なのだよ。え、もういいですか。
みんなでお食事のシーンはもうちょっとおいしそうだったらもとよかったのになあ。親戚が大勢あつまって食べるとけっこうガチャガチャするんですよね。実家に帰って大勢があつまらないと食べられないものとかあるのでそういう食卓がうれしくなるのだな。そのガチャガチャ感ももうひとつ欲しかったかな。うちがそうだったからで、他の家の方々はおとなしく食事なさるのかもしれませんけど。
あとあれだ、上田高校の応援が置き去りにされたのもちょっとさみしかったな、最後に、あっと思い出してTVの前にすっ飛んで行って欲しかったな。
クライマックスの花札バトルはいまいちだったかな。
もう残りの上映時間が少ないのでしょうがないのか。
ラブマシーンはアカウントを食うことで性能アップみたいなので、自分で性能アップは出来ないのか?ゲームを重ねるうちにラブマシーンがどんどん手強くなる、みたいな描写だったらもっとかっこよかったかも。あれだとなつきのミス(集中を欠いたせい)で負けただけで、本来楽勝、って感じじゃありませんでした?まあ、それを見越しての花札勝負だったともいえるけど、そうだと逆になつき無敵モードへ変身、つーのがちょっと余計な感じもしてしまって、本来楽勝なんだから、これって雰囲気物ってだけじゃん、みたいな。どうなんでしょ。こういう雰囲気だからの演出は他にも多々みうけられるんだけど、ここ以外はまあいいかとそれほど気にならなかったんだけどなあ。やっぱルールは守るべきだと思うんだ。どういう意味かを書くとさらに長くなるのでパス。
まあその、カードゲームは、統計と運のゲームだし、映画の流れからあれでいいのか。いかにもアニメ的演出なので、アニメファンやアニメ製作者にはあのほうがリアリティがあるのかもしれないな。
ここでいうリアリティとは、「これがアニメーションとしてのあり方であり、この方法論をして、いかにも我々はアニメを観た、アニメを作った、という実感を得る」ということですよ。実物(たとえば実際のコンピューター・ネットワークやサーバー内のトラフィックや、メモリやストレージに展開しているプログラムや、プロセシングの正確な描写の意味)のことじゃありませんからね。
これだけ面白い映画でありながら、それでも昔ながらの「映像作品」であることの縛りからは逃れられていない部分がいろいろあって、その辺が逆に興味深かった。いつかこれらの縛りから逃れ出る作品が生まれることがあるのだろうか。それともこの辺が「映像作品」の表現の限界点なのだろうか。まさかね。さらに先へ進む可能性は信じていたいですね。
あとあれだ、これは全年齢向けの映画ですよね。別にティーン以下の少年少女向けってわけじゃ、ないんですよね。そうだと思うんだけど。もしかしたら、いちおう子供向け(小説で言えばジュヴナイルね)だったのかもしれないかと思って。デジモンが子供向けだったから、これは大人向けなのかなと。
それはそれとして、もっとこういうオリジナルなアニメ作品を観てみたいものだなあ。「なんとかが原作」みたいなものも、まあしょうがないとして、これはどうだ、このアニメを観てくれ、みたいなものがあってもいいじゃん。とはいえ、どうせ原作を無視するんなら原作なんて必要ないんじゃね?あ、これはスタジオジブリというアニメ製作会社に対する皮肉ですが、みたいな部分もありますけどね。お金集めと宣伝のためだけに原作を選ぶのはどうかと思うんですよ。え?ちがう?そうなの?それは気が付かなかった。
日本人は新物(あたらしもの、と読んでね)好きなんだから、可能性を信じればいいのに。今の日本はちょいとばかりうしろむきだからなあ~。もうちょっと待たないといけないのかな。おれが死ぬ前になんとかなりやがれっ、て感じっすね。
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