Books and Cartoon

洋書とカートゥーン、あといろいろ。

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新着日記一覧

04月30日
17:55

Ivy + Bean book1
author Annie Barrows 読了

Bean は、活発で身体を動かすのが大好き、勉強や退屈なことが嫌いな女の子。通りの向かいに越してきた Ivy は、綺麗な服を着て長い赤い髪を髪留めでまとめ、いつも本ばかり読んでいるような子。だから Bean は Ivy のことが好きじゃない。ある日姉の Nancy にイタズラをしようとした Bean 。怒った Nancy が母に言いつけようとしたところを Ivy に助けられる。いつもいい子でいると思っていた Ivy に連れられて彼女の部屋にはいってみると、 Ivy にはちょっと意外な秘密があったのだった。そして Bean は Ivy の力を借りて Nancy に仕返ししようとするのだが・・・。

快活で悪戯も平気、友達も多い Bean と、いつも一人で本ばかり読んでいる Ivy。正反対の二人が秘密を分け合い、友達になってゆく。外からだけではわからない Ivy の意外な秘密と性格がとてもキュート。やんちゃだけれど心の優しい Bean といいコンビ。すこしレトロな雰囲気のイラストも素敵。これは面白かった。ぜひ続きも読んでみたい。

04月30日
08:47

Dear Dumb Diary #05 Can Adults Become Human?
author Jim Benton 読了

社会科の先生は笑わない。暴力では問題の解決にならない、でもイザベラは別。社会科で人の行動と動物の行動の類似性についての宿題。でも大人の行動は奇妙極まりなくなくない?イザベラはあたしの新しい靴が気になってしょうがないのをかくそうとしているのがきになってしょうがないあたしはきになってしょうがないのを隠してる。大好きなキャロルおばさんが我が家を訪問。ところがおばさんはあたしの学校の事務員に就職。邪悪なアンジェリンが突然あたしを幸せ殺そう(?)とするし、給食のおばさんブラントフォードさんはキャロルおばさんを幸せ殺しかけ。イザベラは一人で先生たちに反乱を続け、美術クラスのミス・アンダーソンは、あたしとアンジェリンになにやら意味ありげなそぶり。そしてキャロルおばさんがあたしの家でパーティーを開き、先生たちが家にやってくることに。

毎度わけのわからない周囲の人間に振り回され続ける、思い込み中学生ジェイミー・ケリーのすっとこ日記第5巻。わりといい話で終わった前巻とうってかわって、あっ?と驚くエンディングが待っていようとは、ジェイミーには予測もつかないことなのだった。他の人にはわかってたんですよ。

04月30日
08:14

Dear Dumb Diary #04 Never Do Anything, Ever
author Jim Benton 読了。

気が付けばもう4月も終わり。映画思い出しに気をとられて読書メモのことをすっかり忘れていた。

親友のイザベラとショッピングにでかけたあたし、ことジェイミー・ケリーは、邪悪なアンジェリンが髪留めを買うのを目撃。アンジェリンの美しさの秘密の一端を垣間見た。そのアンジェリンはいまやハドソン・リバースを巡って恋敵。体育の授業では班分けされて、課題を課せられる。アンジェリンはボランティアでチャリティー・ウォークに参加。募金を集めてどこだかの国のだれだかの子供に愛の贈り物をってバカじゃねえのとイザベラと大笑い。我が家ではママがガレージセールをはじめ、体育の課題はややこしくなり、学校ではチャリティー・ナワトビ大会で、裏切り者のイザベラはとんでもない真似をしてくれる。

あいかわらず、退屈しない中学生ジェイミー・ケリーの思い込み日記第5巻。天使のようなアンジェリンもさることながら、親友イザベラが個性的過ぎるその本性をあわらしてくるのであった。イザベラ、バカすぎる。素敵だ。

04月27日
01:21

おおっと。
大変な映画を忘れていたので急遽追加。

「世にも怪奇な物語」エドガー・アラン・ポーの短編小説を3人の映画監督が競作した3話のオムニバス映画。第1話は、「バーバレラ」のロジェ・バディムが監督。主演はこれまた「バーバレラ」のジェーン・フォンダ。わりと普通のゴシック怪談。第2話は「死刑台のエレベーター」のルイ・マル。主演はアラン・ドロン。これは有名な「ウィリアム・ウィルソン」の映像化で、いわゆるドッペルゲンガーものの代表作。第3話は「道」のフェデリコ・フェリーニ。この第3話が、大好きなのだった。わたしがわけのわからない映画が大好きになった原点のうちのひとつ。イギリスからイタリアにやってきた落ち目の映画俳優。彼の病んだ神経は次第に不安におののき、とうとう全てを投げ出し闇の中をフェラーリで死ヘ向かって疾走する。冒頭の空港到着のシーンからしてすでに異様な雰囲気で、主人公を囲む騒々しい周囲と、一人不安に駆られる主人公のギャップが怖い。主人公の見る死神、白いドレスの少女がまたいいんだ。後半夜の道を走る映像もいい。フェリーニ、さすがだ。この不気味さはあきらかにダリオ・アルジェントに引き継がれている。

わけのわからない不安な映像、かわいいはずの少女が怖い、余計なことを言う暇があったらさっさと次のカットとシーンを重ねていく、主体の視点によって映像の意味を変える、というスタイルは今でも大好きだ。「サスペリア」「ファンタズム」「シャイニング」あたりが好きな理由の原点なのだった。

04月25日
00:35

特撮を多用した映画といえばSFや戦争映画と並んで忘れてならないのがホラー映画。ホラーと一口に言ってもいろいろなタイプがあり、一概にホラーでくくっていいのかみたいな映画もありますが、怖きゃいいだろ、ってことで。

「魔人ドラキュラ」ベラ・ルゴシのドラキュラ伯爵映画。おそらく世界一有名なモンスター、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」の映画化。ルーマニアに住んでるドラキュラさんのお城に行ったらえらい目にあった。というお話。すでに顔、立ち居振る舞いからして怪しいベラ・ルゴシがかっこいいのだ。
「吸血鬼ドラキュラ」クリストファー・リーのドラキュラ伯爵映画。原作よりドラキュラ対ヘルシング教授色の強い、ゴシックホラーよりはいわゆる怪奇モンスター映画という風になっているが、世間的にはこのクリストファー・リー・ドラキュラのイメージが普通なんだと思うな。ピーター・カッシングのヘルシング教授もドラキュラに負けず劣らずの存在感だし。最近は吸血鬼もすっかりダークヒーローになってしまって、いかんよ。いかんなあ。オールド吸血鬼ファンのわたしとしては最近の以下略。
「ドラキュラ72」どういうわけか72年に復活したドラキュラと、ヘルシングの戦いなんだけど、やってることは昔と大差ないのだった。
「フランケンシュタイン」吸血鬼、狼男、とならんで世界の3大モンスター・スターのフランケンシュタインの怪物を生み出した作品。つまり原作のフランケンシュタインの怪物とはかけ離れた映画独自のモンスター像を作り上げ、普通フランケンシュタイン(の怪物)といえばこのモンスターというくらい有名になったし、フランケンシュタイン博士をさしおいて、怪物がフランケンシュタインと呼ばれるようになった。でも少なくとも日本では藤子不二雄(当時はこのPN)の「怪物くん」のせいなんじゃないのかなあ。原作に近いものは後に何にでも化けるロバート・デ・ニーロが怪物役で映画化されましたね。ところで、わたしは三大モンスターの残るひとつ、狼男は見てないんですよ。こまったことでがんす。
「妖怪大戦争」大戦争とタイトルについているが東宝じゃなくて大映作品。日本の誇る妖怪特撮映画。江戸時代、古代バビロニアのダイモンという吸血妖怪が日本に上陸。お代官様の身体をのっとってやりたい放題、若い娘にあれ、御無体な(血を吸うんですよ。吸血鬼だからね)、というありさま。地元の人間と共存していた妖怪たちはこれは一大事とダイモンの悪事を止めようとするのだが、ダイモンの余りの強さに太刀打ちできない。妖怪たちは日本中に檄を飛ばし結集、ダイモンに決戦をいどむのであった。ちょい「ゲゲゲの鬼太郎」っぽい感じもしますが、妖怪てんこ盛りでけっこう面白い。
「妖怪百物語」百物語の会でしきたりをやぶったため現れる妖怪たち、さらに悪徳商人と役人の悪行がさらに妖怪を呼び、ついには自滅していくのであった。わりかしちゃんと妖怪談を映画化している感じでこれも意外といいんじゃないかな。
「地獄」眉間に皺の天地茂(わたしたちの世代には天地茂といえば「非情のライセンス」なのだった)主演の圧倒的にカルトな映画。最初観たときにはまだカルトなんて言葉は知らなかったが、あまりの展開に最後まで見てしまいました、という名作。なにしろ映画の真ん中あたりで(それまでもちょっとこれはどうなの、な展開なのだが)登場人物が全員死んでしまうのだ。そしてタイトル通り、後半はずっと地獄をさまようのだ。ええ、まじかよ。
「四谷怪談」いわずとしれた、おそらく日本で一番有名な、そして一番怖い怪談。それだけに何度も映画化されているのでどれがどれやらわからなくなってしまっているが、若山富三郎、長谷川一夫、天地茂(いずれも伊右衛門役)版は観た記憶がある。お話は、これはもういいですね。
「エクソシスト」アメリカの普通の少女が突然悪魔に取り付かれてしまう。少女の豹変、次々と起きる異常な現象。手のほどこしようがなくなった両親はとうとう教会に相談。教会は悪魔つきと判断し、2人の神父が悪魔祓い師として悪魔と対決する。いわずと知れたホラー映画中興の祖。つまり一部の作品をのぞいて得体の知れない悪霊や怪物が現れ、美女がキャーみたいな通俗映画の代名詞の怪奇映画でも十分鑑賞に足る映像作品が撮れるのだということを証明した名作。そういう意味では一部の作品を除いて得体の知れない宇宙人や怪物があらわれ、美女がキャーみたな通俗映画の代名詞のSF映画を引っ張りあげた「2001年宇宙の旅」にちかいかもしれない。それはおいといて、この映画のおかげでエクソシストという存在が世界中に知られ、意外とキリスト教もカルトなまねしてんじゃんかよう、とより親しみを感じられるようになったのは間違いない。かな?それもおいといて、怖い映画であることは間違いない。下手に大げさにならず、シーンをたんたんと積み重ねていく手法が逆に怖いといういい例。主題曲になった「チューブラー・ベルズ(その冒頭の一部分、オリジナル曲は20分以上の長い曲)」のオルゴール曲のような静かで不気味なイメージはその後のホラー映画の主題曲に多大な影響を与えた。
「マニトウ」強力な古代の悪霊を退治しようとして、そいつの支配の及ばない最新のコンピューターの霊をアメリカ先住民の儀式で呼び出すというなんじゃそりゃ映画。ラストの悪霊対コンピューター霊の戦いもちょっとわけわからなくて素敵。この辺どんなものにも霊が宿ると思っている日本人には親しみの持てる好感度抜群の映画ではなかろうか。ええ?どうよ。
「ヘルハウス」悪霊が棲むといわれているベラスコ邸の調査に乗り込む科学者とその妻、かつて調査に赴き一人生き残った超能力者に若い女性霊能力者の4人。しかし、館の悪霊は次第に4人を追い詰めていくのであった。ラストの館の悪霊の秘密を暴く、ロディ・マクドウォール・富山敬の名演技には誰しも痺れたはずだ。
「サスペリア」ドイツにある寄宿制のバレエ学校にやってきたアメリカの少女スージー。しかし学校には恐ろしい秘密があったのだ。極度のクローズアップや神経質なカメラワークと、サイケな色設計。ぐいぐい差し込んでくるサウンドトラックという驚異のお化け屋敷映画。この映像スタイルは後のサイコホラーに多くの影響を与えた。そして「エクソシスト」の「チューブラー・ベルズ」にならって、ロックバンド、ゴブリンが主題曲以下サウンドトラックを制作。これまたホラー・サウンドとして神経にぐりぐりくる名曲をいくつも作り出した。主人公は美少女じゃなきゃね、というダリオ・アルジェントの出世作。
「サスペリア2 赤い深淵」タイトルは「2」だがダリオ・アルジェントが「サスペリア」の前に撮った映画。だからまだ主人公は美少女ではないのだ。映像やサウンドはすでに「サスペリア」に近いが、この映画はわりとちゃんとしたサイコ・ホラー・ミステリーになっていてわたしは好きだな。
「ゾンビ」いわずと知れた、ゾンビという低予算モンスター(手の込んだ着ぐるみやハイテクニックのスペシャルメイクじゃなくても、ちょちょっと血色の悪いメイクをして古着をきせたらそれで十分)を恐怖の代名詞として世に知らしめた名作、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の続編。突如、世界中の死者が蘇り、生きた人間の肉を食らう。噛まれた者は一度死に、ゾンビとなって蘇り生きたものを襲うのだった。SWAT隊員とその友人夫婦の4人はヘリコプターで混乱する都市を脱出するが、途中見つけたショッピングモールの屋上に着陸。モール内のゾンビを一掃し、一安心。しかし世界は崩壊へ向かって一直線。モールの周囲には数知れないゾンビが群がり集まってくる。そこへ暴走族あがりのような武装ギャング集団がモールの物資を狙って襲ってくるのだった。前半のごたごたした混乱から脱出のシークエンス、モールの中の絶望的な平和感がロメロ節なのだが、ダリオ・アルジェントが監修したバージョンとそれが元になっている日本版は、ゴブリンの曲がつかわれ、いがいとポップなアクションシーンのある不思議な映画になっていて、わたしはこっちのほうが好き。ロメロ版はそれまでの他のロメロの映画と同じ雰囲気の絶望感が漂うホラー映画になっている。でもそんなロメロがこのあとあんな映画とっちゃうんだもんなあ。一体誰を信じればいいのかわからなくなってしまうわ、どうしたらいいのかしら、みたいな。
「ドラゴン対7人の吸血鬼」どういうわけだか復活したドラキュラ伯爵が中国の田舎の村に出現。地元の吸血鬼を蘇らせ村々を襲ってやりたい放題。いっぽうライバルのヘルシング教授もこれを阻止せんものと中国に現れ、地元のカンフーの達人兄弟と協力して、ドラキュラと吸血鬼集団に戦いを挑むのであった。いや、まじで。とりあえず、ブームのカンフー映画とホラーをくっつけちゃおうぜ、という低予算映画のいつもの調子が素敵な異色ホラー・アクション・カンフー映画。最後の戦いでは主人公側もばたばた死んでいくというさすがのカンフー映画なのだった。
「フライトナイト」となりに越してきた変なやつは吸血鬼だった、というアメリカ映画によくある「隣は何をする人ぞ」映画。隣の家は宇宙人だったり、キチガイ科学者だったり、美少女だったり、殺し屋だったりアメリカには本当にいろんな人が住んでるなあ。そんなわけで、ええ、内容はよく覚えてないんです。すいません。
「ファンタズム」カルト・ホラーといえばこれくらいわけのわからないカルト・ホラーも珍しいという名作。わたしは大好きですよ。主人公マイクは事故で両親を失い兄と二人で暮らすことになる。その葬儀で訪れた墓地でであった奇怪な長身の葬儀社の男。消えていく死体。葬儀社の中の謎の装置。飛び交う殺人ボール。わけのわからない展開にさらにわけのわからないエンディング。もうわけがわからなければそれでいいや、という素敵な映画。わけがわからない終わり方をしたくせにそれまでのことがなかったようにおなじ主人公の続編として「ファンタズム2」とか作ってしまう監督ドン・コスカレリはさすがだ。ますますわからない「2」にあきたらず「3」まで作ってしまったらしいが「3」は未見なのだった。
「サイコ」そのタイトルの通り、「サイコパス」と「サイコ・ホラー」という言葉を世に知らしめたアルフレッド・ヒッチコックのホラーサスペンスの傑作。浴室でのシャワーの下の殺害シーンはとにかく多くの映画やドラマにリスペクト使用される名シーン。ホラー映画ファンなら必見の映画。この映画があって先に書いた「サスペリア」はもちろん、「セブン」や「羊たちの沈黙」があるのだから。
「鳥」原因もわからないまま鳥が人間を襲う。いってしまえばそれだけの映画なのだが、相手が巨大鳥だの宇宙鳥だのでなくそこいらにいる普通の鳥だけに、怖いぞ。
「悪魔のいけにえ」ちょいとたちよったテキサスの田舎町で人の皮のマスクをかぶったキチガイに惨殺される若者たちを描いたスプラッター・ホラーの代表作。よけいなことはいわずひたすら行為だけを描き、あまり手の込んでない安い映像が逆にムチャクチャ怖いのだった。リメイク版の「テキサス・チェンソー」は今風の綺麗な絵で画面もこっているが、やっぱりこっちの方が怖いと思うなあ。チェンソーで人をぶった切る、という無茶なキチガイ殺人者のイメージをつくりあげた名作。
「オーメン」アメリカ外交官の養子として引き取られダミアンと名づけられた赤ん坊。しかしダミアンが育つにつれ彼のまわりで不可解なことが起きはじめ、彼の正体を探ろうとするものが次々と死んでいく。はたしてダミアンは何者なのか。悪魔なんですけどね。この映画はおもしろいんですが、でも「オーメン3」までいくと微妙にストーリーがずれてる感じがしてちょっと納得いかないんだけど、そのへんどうなんだろうか。
「フリークス」これはホラーなのかな、とちょっと迷うところなんですが、フリークスのサーカス団で一人健常者の美女が実は金目当てに好きでもない主人公の小人と結婚し財産を独り占めしようとする悪女なのだったが、彼女は悪行がたたってサーカス団のメンバーにこらしめられてしまうのだった。、という見かけと中身の逆転映画。タイトル通り、サーカスの見世物小屋で暮らすような畸形と呼ばれる人たちが出演者の大半をしめている、まさに見世物小屋映画のなのだが、それほどホラーというわけでもないんだよね。
「ローズマリーの赤ちゃん」若妻ローズマリーは不可解なものと交わる悪夢を観た後に子供を身ごもるが、果たしてこの子は本当に夫の子供なのだろうか。それとも悪夢のせいで奇妙な妄想に取り付かれているだけなのか。得体の知れない隣人たちに囲まれて、妊婦の不安定な精神状態が次第に追い詰められていくサスペンス・ホラーの名作。見るからに神経質で不安げな主役のミア・ファローがいい。
「悪魔のはらわた」内臓大好きなフランケンシュタイン博士は死体を繋ぎ合わせて男女ひとつがいの人間を作り子供を生ませようと考え、女大好きなエロエロ男の首をちょん切ってきてくっつけたら実は人違い、そいつはゲイだったという冗談なのか本気なのかわからない映画。結果男人造人間はゲイなので当然女人造人間に興味は示さない。そうとはしらない博士の妻は男人造人間に手を出して誤って殺されてしまい、博士の助手は女人造人間に手を出して壊してしまう。博士と助手は争い、首を切られた男の友人(博士はもともとこいつの首を切ろうとしていた)も現れて怒った男人造人間に襲われ博士も助手もばたばたと死んでしまうのだった。残された男は鎖で吊り下げられたまま、そこにやってきた博士の子供たちは楽しそうにメスを手に取るのだった。手はちょん切れ、内蔵飛び出すスプラッター描写はそれほど派手ではないがなかなか痛そうでわりといい感じ。変態科学者フランケンシュタイン博士はみんな大好き怪優ウド・キアーなのだった。
「悪魔の墓場」イギリスの片田舎の町にある墓場に据えられた害虫駆除装置が発生する音波が死人を蘇らせ次々と生きた人間を襲う、というプロットだけだとなにそれ、なのだが、これまた安い映画であるぶんめちゃめちゃ怖いのだった。ゾンビファン(わたしの友達)によると最も怖いゾンビ映画だともいわれている。ちなみに「悪魔のいけにえ」「悪魔のはらわた」と合わせて悪魔三部作といわれている。内容はまったく無関係で、映画会社の宣伝の都合で。だいいち悪魔でてこないし。公開するほうもいい加減なのだった。
「スクワーム」嵐で切れた高圧電線が地面に接触。電流で狂ってしまった地中の虫、おおむねミミズ、がわらわらと人を襲うという、観た後にスパゲッティ・ナポリタンが食べられなくなる映画。部屋いっぱいの大盛りナポリタンとか顔からナポリタンとか、お話はどうあれ気色の悪さはトップクラスなのだった。
「燃える昆虫軍団」SFかなとも思ったけど、ここで思い出したのでホラーでもいいか、と。アメリカの片田舎で地割れの中から発生した新種の虫、おおむねゴキブリ、は自ら高熱を発する新種の虫。学者がこれを研究していたらいつの間にか知能を獲得し、大変なことに、いやそれほどでもないかな、なことになってしまうという映画。思い出すだに安い感じだけれど、やっぱり安い映画は変で面白いのだった。

SFもそうだけど、80年代にレンタルビデオがはじまってからは、名前だけは聞いていた幻の作品が次々と見られるようになったのだった。それまでは映画マニアのために名作映画を8ミリフィルムとかで売ってたんですよ。CGや特殊メイクの手法も発達してSF・ホラーは百花繚乱。昔から一部の作品を除いて安くていいかげんだったSF・ホラーが映画がますますどんどん作られ続けて、今でも安くていいかげんなSF・ホラーは続いているのだ。でもさすがにわけのわからないモンスター映画は少なくなったんじゃないのかなあ、と思ったら、最近でも「メガピラニア」(その通り、メガなピラニアが人を襲う映画。メガとかいわれたらもうしょうがない。)とか作ってるし、さすがだ。さすがすぎるぜアメリカ映画界。安いはずなのにわりかしいいカメラとか、CGとか使って一見いい映画っぽく見えるようになったあたりがますます素敵なのだった。

04月22日
10:47

いまさらまさかのニューエピソード!!!!

気が付かなかった~~~。
ふざけんなディズニーXD~。
いや、めっちゃうれしいんですけど。
Minuscule目当てにディズニーXD観ていたらなんだか憶えのないエピソードが~~。


4月から毎週金曜日に#42からのニューエピソ~ド~。
今日もうすでに#44~。あらま、だからうれしさ半分。

04月20日
07:46

西部劇。
西部劇といえば、正統派アメリカ、ハリウッド物とマカロニ・ウエスタン。子供の時はそんなことわからなかったので、西部劇は西部劇だと。その西部劇も70年代には低迷期を迎えていた。アメリカのベトナム戦争と深刻化する東西冷戦で、いつまでもハイヨ~、イヤ~ハァッなどと言ってられなくなっていた時代だったのだな。戦争映画もしかり。80年代初頭に戦争映画は「プラトーン」で新たな方向性が示され、娯楽アクションから人間ドラマにシフトしていた西部劇は、「シルバラード」が再びガンファイトを描く娯楽映画の復活に挑戦。その後娯楽西部劇では「マーベリック」や「クイック・アンド・デッド」などが登場することになりましたね。そんなわけで、子供時代にはまだまだバリバリにガンファイトを描く娯楽西部劇がこれでもかとTVで放映されていたのであった。
毎度ですが、記憶違いなんてあってあたりまえさ。

「荒野の七人」「続荒野の七人」「新荒野の七人」いわずと知れた黒澤明の「七人の侍」を西部劇に翻案した娯楽西部劇の名作。メキシコの片田舎で、野盗の襲撃に苦しむ村人がガンマンを雇ってこれに対抗しようとする。集まった西部の食い詰めガンマンたちはそれぞれ独自の性格、特技をもっているのだが、この辺も「七人の侍」そのままではなく、上手いことアメリカナイズされているのだった。ブレイク前の、スティーブ・マックイーン、ジェームズ・コバーンなどが出演している。リーダーのクリス役、ユル・ブリンナーのイメージは強烈で、SF映画編で書いた「ウエストワールド」でセルフパロディを披露することに。「続」再び村人たちのために立ち上がる。内容は大差ないのでまあそんな感じ。「新」主役のクリスがユル・ブリンナーからリー・バン・クリーフにチェンジ。でもやってることは同じ。
「真昼の決闘」ならずものたちが自分たちを捕らえた保安官に復讐するため町に戻ってくる。保安官は町の住民に助力を頼むが、わが身がかわいい住人たちは誰も手を貸そうとしない。決して早射ち0.3秒のスーパーマンなどではなく、職責と義務に忠実な保安官はただ一人、正義のために戦う決意をするのだった。主人公を含めて登場人物たちの正義と勇気が試される脚本がみごとな本格西部劇のクラシック。ゲイリー・クーパーの渋い保安官がかっこいいのだ。のちにSF映画「アウトランド」になりました。こっちはショーン・コネリー主演。「薔薇の名前」で第2のブレイクをするまであと少しだ。がんばれショーン。
「駅馬車」こちらもクラシックの名作。一台の駅馬車に乗り合わせた人々のそれぞれを描く。荒野を走る駅馬車にインディアン(現在ではアメリカ先住民と呼びますが、この当時はインディアンでいいのだった)が群れなして襲撃してくるシーンは、西部劇のイメージを決定付けたものの一つ。馬車の制御をとりもどすために疾走する馬車の馬の手綱をとりにゆくスペクタクルシーンはこれまたあまりに有名で、多くのリスペクト使用を生み出しましたね。とにかくジョン・ウェインがかっこいいぞ。ところで、戦争映画編でも書きましたが、ジョン・ウェインの声は納谷悟郎と小林昭二(あきじ、と読みます。しょうじ、じゃないよ。)銭形警部・沖田艦長とムラマツキャップなのだが、おふた方とも、本人はでかくてごついジョン・ウェインとはぜんぜん違うんですよね。でも声はピッタリ。声とは不思議なものだなあ。
「荒野の一ドル銀貨」悪党の姦計にはまり弟を殺された男の復讐劇。胸ポケットに入れた弟の形見となる1ドル銀貨が弾をはじき一命を取り留めるというのはそのあとこれまた山のようにリスペクト使用されましたね。ジュリアーノ・ジェンマの出世作。スマートなジェンマには野沢那智がぴったりですね。
「荒野の用心棒」いわずと知れた黒澤明の「用心棒」を西部劇に翻案したマカロニウエスタンの名作。2つのグループが勢力を争うある町にやってきた流れ者のガンマンが、悪党同志お互いを戦わせ町から一掃しようとするのだが・・・。TV西部劇ドラマ「ロー・ハイド」で人気の出たクリント・イーストウッドが、無精ひげにちびた葉巻、ポンチョ姿といういでたちで風来坊のガンマンのイメージを強烈に印象付けた。クリント・イーストウッドといえば、山田康雄・ルパン三世。これくらいピッタリな声はそうそうないというくらいぴったりですね。最近のじいさんイーストウッドは誰が演じているのかなのかしらないんですけれど。
「続荒野の用心棒」タイトルは続だが、別に続編と言うわけではない。多いんだ昔は、こういう適当なタイトル。2つのグループが勢力を争うある町にやってきた流れ者のガンマンが悪党同士お互いを・・・、えーと、こっちの主人公ジャンゴ、フランコ・ネロは棺桶を引きずってやってきますよ。棺桶の中身はマシンガンでバリバリ撃ちまくり悪党はどんどん殺すというなかなか無茶なキャラクターがめちゃくちゃかっこいいのだった。さすがマカロニウエスタン。かっこよきゃあなんだってOKだぜ。「用心棒」にならって悪党に捕まり両手をつぶされた主人公と悪党の墓場での最後の戦いは、西部劇史上に残る圧倒的にかっこいい場面なのだ。このラストバトルに匹敵するかっこいいシーンはそうそうあるもんじゃない。
「皆殺しのジャンゴ」主人公の名前はジャンゴ、でもテレンス・ヒル主演、棺桶とマシンガンということで長いこと「続荒野の用心棒」とごっちゃになっていましたが、全然違った。友人に裏切りにあった男の復讐物語。マカロニウエスタンは復讐がお好きなのだった。ラストの墓場での対決(これがまたごっちゃになってしまった原因ひとつ)の無茶な展開がまさにマカロニウエスタン。
「夕陽のガンマン」悪党に家族を殺され復讐を果たそうとする賞金稼ぎと、同じく賞金稼ぎの風来坊の二人が同じ相手を狙って手を組むことに。ダンディなリー・バン・クリーフと相変わらず無精ひげの流れ者クリント・イーストウッドのコンビが協力したりしなかったりと微妙な距離感で悪党を追う。「荒野の用心棒」のセルジオ・レオーネ監督のマカロニウエスタンの名作。
「続夕陽のガンマン」直接ストーリー的に関係はないが、同じセルジオ・レオーネ監督のマカロニウエスタンの傑作。南北戦争の最中、ある場所に隠された南軍の莫大な軍資金をめぐって、クリント・イーストウッド、リー・バン・クリーフ、イーライ・ウォーラックの3人が三つ巴の争奪戦を展開する。TVの吹き替え版ではクリント・イーストウッドが主人公なのだが、実は2時間半以上の映画で全長版をみると明らかにイーライ・ウォーラックが主人公なのだった。つまり2度おいしい映画なのだな。「夕陽」でヒーロー側だったリー・バン・クリーフの非道な悪党っぷりもかっこいい。目的地への道筋で南軍と北軍が川にかかる橋をめぐって戦闘の真っ最中、邪魔だから橋をぶっ飛ばしちまおうぜ、みたいなマカロニウエスタンとは思えないほどの大規模なシーンもある。そしてなんといってもラストの墓場での3人同時の抜射ち対決シーンはこれまた多くの映画にリスペクト使用されている、数ある西部劇の中でも最高級の名シーン。しかし、マカロニウエスタンは墓場が好きだなあ。

ところで、西部劇を見ていると、ちょくちょく大鍋で煮ている豆料理を目にするんですが、あれ、おしいいのかなあ。たいてい豆に牛の肉か内臓に塩で味付けらしいから、やっぱい不味いのかなあ。メキシコあたりが舞台だと今のチリビーンズに近いものなのだろうかとも思ってしまう。金属の深皿にスプーンで食べてる何だかわからないスープとか。あとあれね、修道院みたいなところ出ててくる、マッシュポテト。塩を振りかけて食べたりしてますが、どう見てもまずそうなんですけどね。
日本と違って主食・オカズでワンセットみたいな食文化じゃないから、田舎の食卓で、ポテトとコーンとベーコンに卵を皿に盛っただけの夕食とか、え~それでいいの?とか思っていたなあ。ご飯と味噌汁はどうした、じゃなくてパンとスープも食べなさいよみたいな、ってファミレスじゃないんだからそんなことないか。

「OK牧場の決闘」有名なワイアット・アープのアープ兄弟とクラントン一家のOK牧場での果し合いを描いた名作。史実よりは娯楽性を重視した内容になっていて、ワイアット・アープと肺病病みのドク・ホリディの友情を織り交ぜたわかりやすいストーリーになっている。最後の銃撃戦は西部劇史上に残る名シーン。主題歌も有名。
「明日に向かって撃て」列車強盗のブッチとサンダンスの二人組みは、その被害に業を煮やした鉄道会社の派遣した追跡者に追われて逃げ回る羽目になる。崖に追い詰められた2人が滝つぼに飛び込むシーンやラストの悲壮な銃撃戦など名シーンがいっぱい。自転車の二人乗りシーンも主題歌「雨にぬれても」と共に有名。ちなみにロバート・レッドフォードの主催する新人監督発掘映画祭のサンダンス映画祭の名前はこの映画に出演したときはまだ無名だったレッドフォードの役サンダンス・キッドからとられている。
「テキサスの5人の仲間」西部のとある町。5人の男が毎年一度、一日かけて賭けポーカーに興じる。たまたまそこに居合わせた一家の父親は大のギャンブル中毒で、その話を聞きつけると、妻の制止も聞かず、これからの家族の生活のための資金を元手にそのポーカーに参加してしまう。あっと驚くラストシーンが痛快、かつ5人のポーカー仲間のキャラクターも絶妙。ギャンブル狂の父親役が、アメリカの誠実な男性のイメージばっちりのヘンリー・フォンダなのが効いている。これは面白いですよ。ただし、どんぱちはなし。一度も鉄砲を撃つことのない珍しい西部劇なのだった。
「キャット・バルー」土地争いで父を殺されたキャットが父の下で働いていた若者たちと酔いどれのガンマンの力を借りて復讐を果たそうとするコメディ。主演は「バーバレラ」のジェーン・フォンダ。ヘンリー・フォンダの娘さんですね。四六時中ぐでんぐでんのアル中ガンマン、リー・マービンが本気になったときの変わりっぷりがかっこいいんだ。すぐ元に戻るけどね。そこがまたいい。
「リオ・ブラボー」土地の有力者が牛耳るある町で、保安官がある男を逮捕するが、そいつは有力者の弟だった。有力者は弟を取り戻すために町を封鎖し手下をそろえて保安官に戦いを挑んでくる。保安官チャンスがジョン・ウェイン。これに偏屈な保安官助手のじいさん。経験は浅いが腕自慢の若者。保安官の旧友で今は酒に溺れてかつての面影もない男の4人が悪党どもにたちむかう。娯楽西部劇の代表作。ジョン・ウェインのライフルさばきがめっちゃかっこいいのだった。ボロボロのアル中ガンマン、ディーン・マーチンとジョン・ウェインの友情も熱いぞ。
「エル・ドラド」腕に憶えのあるガンマンが助っ人に雇われていってみたら、そこでは水利権争いの真っ最中。町の保安官は彼の旧友で話がわかってみるとどうやら雇い主のほうが悪党らしい。そうこうしているうちに悪党がついに実力行使。主人公は保安官ともうひとつの側について一発ぶちかますのであった。金払いがいいので行ってみたら意外や雇い主が悪党だったというのは、日本でもTV時代劇シリーズなんかでよくみるプロットですね。「リオ・ブラボー」と同じく娯楽時代劇の巨匠ハワード・ホークス監督作。
「シェーン」入植した開拓者が悪徳牧畜業者に苦しめられてる土地へ流れ着いたガンマンのシェーン。ある開拓者一家に身を寄せるがその主人は争いを好まず、ガンマンのシェーンをなかなか受け入れようとしない。しかしその妻と特に息子のジョーイは好意的だった。やがて開拓者たちと牧畜業者のいさかいは牧畜業者が殺し屋を雇い入れたことで暴力へと発展。両者の争いが始まろうとするとき、シェーンはひとり悪党たちとの対決に向かうのだった。少年と行く当てのないガンマンの友情やその母への密かな思いなど派手な娯楽作品とは一味違った西部劇。それでも黒ずくめで悪党顔、誰がどう見ても人殺しにしか見えない殺し屋のジャック・パランスとの対決シーンのガン・ファイトは迫力。ラストシーンはこれまた西部劇の歴史に、というより映画の歴史に残る名シーン。
「ワイルド・バンチ」時代はすでに20世紀。西部の荒くれ男に残された場所はすでになく、それでもかつてのように銀行強盗を企てた主人公一味だが元仲間の密告で襲撃は失敗。追っ手を振り切ってメキシコに逃げ込むが、そこで胡散臭い政府軍の将軍から、アメリカ軍の武器強奪を依頼される。強奪は成功するものの、仲間の一人メキシコ人の若者が将軍に捕まってしまう。彼を助けるため、わずか4人の男たちが数百人の軍隊相手に殴りこみをかけるのだった。時代に取り残された悪党どもの最期を描くサム・ペキンパー監督の西部劇の傑作。主人公パイクのウイリアム・ホールデンもかっこいいんだけど、やっぱりアーネスト・ボーグナインでしょう。ラストのド派手な銃撃戦はその後のアクション映画に多大な影響を与えた名シーン。
「黄色いリボン」退役間近の老騎兵隊員の最後の数日間を描く、同じタイトルのテーマ曲「黄色いリボン」も有名な西部劇の名作。白人に対して反撃を試みようとするインディアンとの戦いを避け、平和への道を模索するという今の時代にも通じる現代的なテーマのある意味異色西部劇。若者に未来を託す爺さんがかっこいいというのはやっぱりいいですな。
「アラモ」テキサスの土地を巡って入植したアメリカ人とメキシコ政府の争いがついに軍事衝突に発展。集まったアメリカ人志願兵がアラモ砦に立てこもり、メキシコ政府軍数千人を迎え撃って壮絶な最期を遂げるという、実話をアメリカの立場から描いた作品。歴史的にはアメリカがテキサスをちょいと無理矢理いただいちゃいましたということなのだが、映画というものがその視点の置き方でどのようにでもお話を組み立てることが出来るのだ、ということがわかる作品。ま、歴史や政治はおいといて、この映画が面白いことには変わりないのだった。「リメンバー・アラモ(アラモを忘れるな)」というのは真珠湾奇襲を食らったアメリカが「リメンバー・パールハーバー」と言い出す前の敵への反撃の合言葉なのだった。
「勇気ある追跡」父を殺された少女が復讐のため雇った保安官と犯人を追い詰めてゆく、少女の成長とおっさんとの絆を描く名作西部劇。つーかやっぱり、おっさんがかっこいい映画はいい映画なのだ。コーエン兄弟監督作品としてリメイクされ、今年(2011年)日本でも公開になったが、ジョン・ウェインが演じた保安官をジェフ・ブリッジスが演じている。「トロン」や「スターマン」でSF映画ファンにもおなじみだったジェフ・ブリッジスもいつのまにやらかっこいいおっさんになっていたのだった。
「レッド・サン」幕末のころ、アメリカ政府に献上する将軍からの宝刀をもって海を渡った侍が、西部で悪党一味にその宝刀を奪われてしまう。侍は宝刀をとりもどすため、悪党への復讐を狙うガンマンと共にその一味を追うのだった。アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、三船敏郎が競演した異色西部劇。銃対刀の対決がかっこいいのだ。三船とブロンソンの男の友情も熱いぞ。
「カスター将軍」インディアンによって全滅させられた第七騎兵隊の最期を、その司令官カスター将軍を中心に描く実話の映画化作品。細かいところは憶えてないのだが、開けた丘でインディアンに包囲され一人また一人倒れていく騎兵隊のシーンは忘れられない戦闘シーンなのだった。
「11人のカウボーイ」牛の移送のため、人手不足でやむなく11人の少年たちを雇った老カウボーイ。長い旅の間に少年たちとの深まっていく絆と、少年たちが大人の男へと成長していく姿を描く。余り細かいところは憶えていないのだが、途中で、以下略(ネタバレ)は驚いた。そんなわけで、これも機会があればまた観てみたいものの一つですね。
「ロイ・ビーン」悪党ロイ・ビーンは流れ着いたある町に腰を下ろし、どういうわけか勝手に判事を名乗って、次々と悪党を吊るし首に。一度は町に平和が訪れるものの、やがて彼の前に現れたのは「法」だった。「法」対「正義」の結末は・・・。前半やりたい放題のポール・ニューマンがかっこいいぞ。全然西部劇とは関係ないですが、「Xhaolin Showdown」というカートゥーンの後半の悪役ハンニバル・ロイ・ビーン(豆粒の大きさと形のキャラだからこの名前だと思われる)エピソードのサブタイトル「the life and time of hannibal roy bean」はこの映画のタイトルのパロディね。
「荒野のストレンジャー」かつて街にいた無法者が戻ってくることを恐れていたとある町に現れた滅法銃の腕の立つ男。無法者を迎え撃つためにと町の住人は男の言うなりになるのだが、男は住人たちをいいように操ってやりたい放題。男の本当の目的は・・・。クリント・イーストウッド監督・主演の異色西部劇。
「シノーラ」これも一回観たっきりなので余り憶えていないのだが、成り行きでメキシコ人の土地を奪っていた地主の片棒をかついでしまった男が、その事情を知ると真の悪党と戦おうとするお話、だったと思うんだけど。これもクリント・イーストウッドの主演作。
「チャトズ・ランド」これまた一回しか見た記憶がないのであまり覚えていないのだが、チャールズ・ブロンソンが主人公のインディアン役。行きがかり上やむなく白人を殺してしまった主人公が追っ手と戦うお話、だよね。
「ウエスタン」流れ者の腕利きガンマン。冷酷な殺し屋。無法者の山賊。土地争いで家族を殺された未亡人といかにも娯楽西部劇なキャラクターをそろえておきながら、西部開拓時代の終焉に時代を設定することで、時代に置き去りにされ消え行く西部を描いた作品。「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」等のマカロニ・ウエスタンの巨匠、セルジオ・レオーネのアメリカ西部劇。たいていがいい人役のヘンリー・フォンダがなんと冷酷な殺し屋でびっくり。最初は派手なドンパチを期待してみたのであれ?という感じだった。だから2度目の時の方が面白かった映画。
「奴らを高く吊るせ!」これも一度くらいしか観た記憶がないので、あんまり憶えていないのだが、クリント・イーストウッドのアメリカ西部劇。牛泥棒の言いがかりをつけられ殺されそうになった元保安官が一命をとりとめ、復讐のために再び保安官になり自分を吊るした男たちを次々と絞首台送りにしていく。これまた細かいところはあんまり憶えていないのだが、主人公の名前がジェッドというのはなぜかよく憶えているのだ。不思議だなあ。

なんにせよ、早射ちヒーローはかっこいいですね。多くの映画で使われる、コルト・シングルアクション・アーミーという拳銃とウインチェスター・ライフルは西部劇の代名詞のような小道具。機能上の都合(シリンダーからの排莢のため)で左右非対称デザインのコルトSAはかっこいい。左右非対称が好きなのだった。実際45口径弾の破壊力は抜群で、至近距離では無敵の威力だけど装弾に手間がかかるという弱点も併せ持つキャラクター性がいいよね。ウインチェスター・ライフルは、次発装填のためのコッキング・レバーのデザインがユニークで、なんといってもジョン・ウェインの片手回転次発装填技がかっこいいのだ。
ところで西部劇ヒーローのように本当に素早く撃てるのか?というのは誰しも考えることだが、アメリカには実際に1秒程度で抜き撃ちから6発撃ってしまう頭のおかしい(この場合手がおかしいのか、ほとんど人間マシンガン状態。リボルバー式の拳銃ではシングルアクションという機構は一発撃つごとにハンマーという撃発部品、弾丸を点火する部品を手で動かさないといけないのでそう簡単には狙った的に連射できないのだが、数メートルの距離なら人間大の的にちゃんと全部命中する)人がいるので世の中恐るべしなのだった。

次はホラー映画の予定。これだってある意味、特撮とモンスターですよ。そして70年代には初めごろに「エクソシスト」、終わりごろに「ゾンビ」が公開されるホラー映画ブームがあったのだ。おお怖。

04月13日
06:33

思い出しついでに。

アルセーヌ・ルパンといえば、世界中で知らない人以外はみんな知っている有名な大泥棒。
現在の日本では孫(日本人が考えたことですが)のルパン三世のほうがよっぽど有名ですが、「怪盗」のイメージ、つまりシルクハットに片眼鏡(モノクル)、マントを翻し闇に消えるというイメージを広めたのがこのアルセーヌさん。でも小説ではこのスタイルはでてこない、というのはシャーロック・ホームズの帽子と一緒ですね。

ポプラ社から出ていた(現在、復刊されています)ハードカバーの児童向け翻案シリーズを読んでいたんですよ。26巻までは読んだ記憶があるけれど、場面場面は覚えていても細かいストーリーはやはり忘れていますね。残念。大人になったらオリジナルの翻訳を読もう読もうと思っていながら、読んでません。

ルパンシリーズはエピソードタイトルがいいんですよね。「奇岩城」(第1巻)なんてこれはもういったいなんのことだろうかと思わずにはいられない名訳ではあるまいか。他にも「三十棺桶島」だの「813の謎」だのなんじゃこれはというタイトルが並んでいた。もちろん「カリオストロ伯爵夫人」もね。
カリオストロという名前も不思議だけれど、ルパンの本名ラウール・ダンドレジーだとか、ルパンのライバル、ガニマール警部だとか、フランスの不思議な名前は異国情緒満点ではなかろうか。

当時は児童向け翻案ミステリーシリーズとして、ルパン、ホームズ、少年探偵団(江戸川乱歩)の3つが出版されていて、わたしはルパンの大ファンでした。ホームズはもっと後になってからでしたね。
法は破るが正義は守る。盗みはすれど殺しはせず。本職は泥棒なのに、悪人退治もやる。矛盾を抱えたキャラらクターが正義の味方の探偵(ホームズ、明智)や、悪の怪人(二十面相)とは一味違った魅力だったんですね。また、時にはぜんぜん本人が出てこないで、別の主人公の脇役になるというのもおもしろかった。ちゃんと部下がいて独自の組織をもっているというのも大仕事をこなす場合の理にかなってる。得意の変装もメイクと演技によるものなのはホームズと同じく、これも理にかなってる。やっぱり漫画じゃあるまいし一皮べりっとむけばほらこの通りみたいな変装ではなかったのだな。延々と盗みを働くわけでもなく、時にはルパンであることを隠し若い娘さんを助けて事件を解決したり、自ら探偵社を開いて警察に協力したりとエピソードが多彩なのもおもしろかった。今思えば、同じ主人公でマンネリにならないようにいろいろ考えたということなんでしょうけれど、ルパンというキャラクターがそれを可能にする幅の広いキャラだったということでしょうか。

ルパンの時代は19世紀末から20世紀の初めごろ、第1次世界大戦まで。ホームズより若く、ポワロより年寄り。なので、様々な(当時の)最新鋭メカや、科学の新発見の登場もかっこよかったなあ。読んでいた頃にはべつにヨーロッパの歴史などに興味はなかったが、フランスとドイツは仲が悪いとか、フランス語は単語の初めのHを発音しないとか、アルザス・ロレーヌ地方をドイツに取られてくやしいなあきっととりかえしてやるぞ(第1次世界大戦以前の普仏戦争で取られた)、というのはずっと憶えていました。

でもルパンがきっかけでフランス語をどうこうというわけでは全然ないんですよ。だいたいフランス語が読めるようになれば、ルパンも原書で読めるなんてことは、今思いついたくらいだし。そっちはあくまでバンドデシネ(フランス漫画)が読みたいから。

でもそのうちルパンも読めるようになりたいものです。

04月10日
07:13

次は西部劇。
でもその前に、書いておかなければならないことがある。

日本のTVアニメーションは「鉄腕アトム」に始まり、現在まで数限りない作品が世に送り出されてきたわけですが、わたしの子供時代はその黎明期と重なっていて、多くのTVアニメーションを見ながら過ごしていたのだった。「鉄腕アトム」「鉄人28号」「ハッスル・パンチ」「レインボー戦隊ロビン」「宇宙エース」「宇宙パトロール・ホッパ」「スーパージェッター」「遊星仮面」「遊星少年パピー」「エイトマン」「宇宙少年ソラン」などの(ここCHIXIの「昭和のアニメを語ろう」コミュに参加の方々でもさすがにお手上げであろうと思われる)初期作品群から「魔法使いサリー」」「おそ松くん」「巨人の星」「アタックNo1」「リボンの騎士」「悟空の大冒険」「ゲゲゲの鬼太郎」「ひみつのアッコちゃん」など、TVアニメは子供たちに大人気となっていったのだった。

さて、そんなある日、一風変わったTVアニメの放映が始まった。タイトルは「ルパン三世」。えらく大人向けのマニアックな作品で、第1話から60年代のF1の名前がぞろぞろと出てくる上に、ヒロイン峰不二子がやたらと色っぽい。残念ながら、23話で終わってしまうこのシリーズは、その後も何度か再放送されることになり、その度に一部の熱狂的なファンを生み出し続けたのだったが、実はこの作品、大変な影響力を持っていたのだった。え?今に続く人気シリーズの始まりだとか?同じく初回放映時に打ち切りにあった「宇宙戦艦ヤマト」と共に「アニメマニア」の誕生に一躍買っていたとか?宮崎監督の若かりし頃の作品だとか?残念でした。そんなことはまったく関係ない。

「ルパン三世」のメインキャストは、ルパン三世・山田康雄、次元大介・小林清、銭形警部・納谷悟郎、石川五右衛門・大塚周夫。
同じ頃TVで放映されたのがマカロニウエスタンの名作「続夕陽のガンマン」。こちらの吹き替え版メインキャストは、クリント・イーストウッド・山田康雄、イーライ・ウォーラック・大塚周夫、リー・バン・クリーフ・納谷悟郎、その手下・小林清。

そう。おなじメンバーによる名吹き替えなのだった。「名」吹き替えというのはどのへんが「名」なのかは後に字幕版を見て気が付くわけだけれども。
とにかく。これがきっかけで、それまでああこの声は前も聞いたことがあるとか、アレとこれは同じ声だなあなとど思う程度であまり気にしていなかった「声優」という仕事に注目するようになったのはわたしだけではないのだった。そう。よく聞いてみれば、ジュリアーノ・ジェンマは「悟空の大冒険」の三蔵法師だし、イーライ・ウォーラックはブラック魔王で、ネズミ男なのだった。ましてや、リー・バン・クリーフはジョン・ウェインでそのジョン・ウェインは科学特捜隊のムラマツキャップでもあったのだ(チャンネルによって納谷悟郎と小林昭二の二人が吹き替えていたから。こういうのは他の吹き替えでもよくあった)。
さらにその後に「空飛ぶモンティパイソン」という番組がますます声優の面白さを見せ付けてくれた。山田康雄、納谷悟郎、青野武、飯塚昭三、広川太一郎というもうどうにもこうにも、ものすごいメンバーが集まった夢の番組だったのだ。

マカロニウエスタン「続夕陽のガンマン」はその内容の面白さだけではく、「吹き替え」という手法の面白さと「声優」という役者の素晴らしさをはっきり認識させてくれた映画だったのだ。

そんなわけで、次は西部劇の予定。SFや戦争映画ほどには憶えていないようなので、少し楽かも。

ところで、「ルパン三世」がTVで放映されたとき、なぜ観る気になったのか。それはわたしが当時「アルセーヌ・ルパン」のファンだったからにほかならない。ポプラ社の「アルセーヌ・ルパン」シリーズは愛読書なのだった。

04月06日
03:59

怪獣映画はSFではなく怪獣映画なのだ。というわけで、怪獣映画ではないSF映画。

それ(SF)と意識して最初に読んだSF小説は、A.E.ヴァン・ヴォークトの「宇宙船ビーグル号の冒険」。理由は単純。宇宙怪獣が出てくるから。どこまで怪獣なんだオレは。子供向けにリライトされたもので、ケアルとイクストルの章だけの本だった。もちろんしばらく後で創元推理文庫版も読んだですともよ。とにかく、その辺まではなにかにつけ怪獣を必要としていたが、そのうち別に怪獣が出てこなくてもSF映画(小説もね)は面白いということに気が付いた。それでも宇宙船や宇宙怪獣が出ててくるとうれしくなってしまうのは、今も変わらない。
とにかく、SFだ。なにをもってSFを定義するかは難しい問題でもある。でも、その時にはありえない科学や、そのときより未来を描いていれば、SFといってもいいだろう。ただ未来メカ抜きで想像上の生き物が出てくるような映画は現在ではファンタジーに個別分類できるが70年代まではそういう映画は数が少なかったので、SF・ファンタジーという区切りにすることにしました。SF・ファンタジーでもミュージカルはまた別ということで。「スターウォーズ」以降の映画や、時期的には該当してもそれ以後にTV,ビデオ、LDなどで観た記憶のあるものは別にしました。

では。これまた多少の記憶違いなど問題じゃないね。
「宇宙戦争」いうまでもなくH.G.ウエルズの同名SF小説の映画化。火星人が地球に攻めてくるなんてのはもう常識といっていいくらいのことだった。いやもう、地球に責めてこない火星人なんているはずがない、と言ってもいい。技術的制約で原作にある三本足の歩行機械というものとはかなり違うデザインになった火星人の戦闘機械ウォーマシンは、それでもSFメカの名デザイン。最近同じタイトル「宇宙戦争」でリメイクされましたね。ウォーマシンは原作に近くなったけど、ダメオヤジがんばれ映画になっていたのでちょっとね。できれば人類対火星人の戦いを19世紀を舞台に見たかった。正体は明かされないが、21世紀にもなって(宇宙人には関係ないか)宇宙船で地球へ攻めてきたくせに、防疫という概念がないので、やっぱりあいつらは火星人だったにちがいない。トム・クルーズの娘役は「アイム・サム」でショーン・ペンを相手に名演技を披露した天才子役のダコタ・ファニング。「コララインとボタンの魔女」でコララインの声を演じてます。
「禁断の惑星」人里はなれた森の中じゃなくて、宇宙の星でたった一人、密かに研究を続ける老科学者と、その美人の令嬢。そこへ血気盛んな宇宙パトロールの若者が乗り込んでくる、というあたりまではほぼ、ゴシック小説の設定を宇宙に置き換えたものだと言ってもいい。がしかし、その星に埋もれた人類を超える科学文明の滅亡の謎や、博士に忠実なイゴール、じゃなくて、ロボット・ロビー、古代人の亡霊ではなくイドの怪物など、SF的設定がちりばめてあるのでついSFだと思ってしまうのだった。もちろんSF映画ですよ。つまりファンタジーの内容を宇宙に置き換えるという「スターウォーズ」のお手本となった映画。主人に忠実なロボット・ロビーは、TVシリーズ「宇宙家族ロビンソン」のロボット・フライデイと共に大人気。「キャプテン・ウルトラ」のロボット・ハックになるわ、「スターウォーズ」のC3POとR2D2になるわ、「ブラックホール」のマクシミリアンになるわ、「アトミック・ベティ」のロボット・X-5にもなるわと、SFロボットの方向性を決定付けた。
「博士の異常な愛情 または如何にして私は心配するのを止め爆弾を愛するようになったか」世界が東西陣営にわかれ冷戦たけなわころ。共産圏の先制攻撃を恐れるあまり頭のネジがとんでしまったある基地の司令官が、アメリカ戦略空軍機にソ連攻撃のにせ命令をだしてしまい、アメリカ軍と政府は大弱り。なんとか事態を収拾しようと悪戦苦闘するが、水爆を積んだB-52爆撃機隊は刻一刻と爆弾投下目標に近づいていくのだった。核攻撃による地球破滅の危機をブラックな笑いで包んだ、旧ドイツの科学者ストレンジラブ博士のキチガ○っぷりが素敵過ぎる、破滅テーマSFの傑作。ラストの歌が皮肉たっぷりでいいんだわ。
「ミクロの決死圏」ある科学者の命を救うため外科手術不可能な病巣を取り除くべく、選ばれた治療チームが縮小装置でミクロ大になり、特殊潜航艇で患者の体内に潜入、患部を中から取り除こうとする。縮小効果は1時間。しかし、思いも寄らぬ事態が治療チームに次々と襲い掛かるのだった。果たしてチームは無事任務を遂げることが出来るのか。後に山のようにリスペクト使用されることになる人体潜行ものの親玉。時期的には手塚治虫の漫画「鉄腕アトム」の同様のエピソードが先行しているが、この映画の方が遥かに影響は大。潜航艇プロメテウス号は名デザイン。ピッタリスーツのヒロイン、紅一点の看護婦のラクウエル・ウェルチがちょっと色っぽすぎますね。
「アンドロメダ・・・」あるアメリカの田舎町で一夜にしてほぼすべての住人が死亡する事件が起きた。生き残ったのはアルコール中毒の老人とまだ生まれたばかりの赤ん坊のみ。緊急事態に召集された分析チームは高レベル危険物取り扱いのため地下につくらた研究施設で事件解明に当たるが、彼らが発見したのは地球上には存在しない宇宙から来た細菌大の生命体だった。人間を死に至らしめるこの生物に晒されてなぜ、正反対の2人だけが生き残ったのか。人類に滅亡をもたらしかねないこの生物のメカニズムを解き明かすことができるのか。宇宙生命体の謎に科学者チームが挑む本格SF。地下に作られた研究施設や、細菌の外界への漏洩を防ぐために最終手段として核爆破が用意されるなど、後の映画「バイオハザード」のお手本。映画はいわば本格ミステリーSFで、ドキュメンタリー・タッチのサスペンス溢れる演出がすばらしい。後にヒット作を連発するマイケル・クライトン作品の初映画化。
「華氏451度」人々に不必要な知識、情報、そして感動を与える「本」が禁止された未来世界。本の所持は重罪で、すべての「本」は発見され次第焼却処理されるのだった。しかしファイヤーマン(焚書官)の主人公は、任務の最中に手に入れた「本」に次第にひきつけられてていく。レイ・ブラッドベリの同名のデストピア(反理想郷)テーマの小説の映画化。後の「リベリオン」のお手本。主人公が通勤に使うモノレールがかっこよくてね、きっと映画のセットじゃなくて本物なんだろうなあ。
「バーバレラ」強力な破壊光線を発明した科学者デュラン・デュランの行方を捜すバーバレラのちょいとエロスな冒険を描く大人のスペースオペラ。細かいところは憶えていないが、なにかにつけエロスなことを(ただし裸はでてこない)やっていた。とりあえず、世の中の30年先をいっていたことは確か。
「猿の惑星」「続猿の惑星」「新猿の惑星」「猿の惑星征服」「最後の猿の惑星」SF映画史上にのこる傑作シリーズ。ただし面白いのは3作目まで。「無印」地球から飛び立った宇宙船が遭難。不時着したところはなんと、猿が支配し野生の人が奴隷として狩られてる猿の惑星だった。驚愕のラストシーンがあまりに有名。「続」遭難した宇宙船の行方を追って地球から飛び立った捜索隊が、これも猿の惑星に不時着。しかし、そこでは猿と禁断の地に住むミュータントたちの戦争が始まろうとしていたのだった。これまたびっくりのラストシーンが有名。この映画のおかげで一時期コバルト爆弾というSF核爆弾がはやったのだが、そんなもの核爆発するわけねえだろという科学的事実が判明するといつの間にか歴史の闇に消えてしまったのだった。「新」現代(1970年代)の地球に遭難したと思われた宇宙船が帰還する。開けてびっくり。乗っていたのは猿だったというお話。なぜなのかはネタバレなので言わない。「征服」読んで字のごとく、猿が地球を征服する話。「最後」読んで字のごとく、もういいだろうということで最終回をむかえたシリーズ、というお話。うむ、そんなところでいいだろう。無印は「ベン・ハー」のチャールトン・ヘストンが主演。これ以降ゲテモノ映画の代名詞だったSFに有名俳優が出演するようになったらしいですよ。
「ソイレントグリーン」人口爆発で食料も満足になく、老齢期に入った者には安楽死が勧められる未来世界。人々は自然食品ではなく政府が支給するソイレント・グリーンという合成食料でなんとか生きながらえていた。しかし、そのソイレント・グリーンの実体は・・・。わりかし安い映画だけど、それなりにおもしろい。「猿の惑星」でSFデビューした名優チャールトン・ヘストン主演作。このひとは意外と役を選ばないようで、戦争映画編で書いた「ミッドウェー」にも出演している。今のサミュエル・L・ジャクソンかモーガン・フリーマンみたい、っていったら悪かろうか、ケビン・コスナーじゃどうだろう。クリストファー・ウォーケンじゃだめ?それじゃあねえ、あ、いかんいかん。
「ウエストワールド」「未来世界」デロスワールドという未来のテーマパークを舞台にした2部作。人間型ロボットを相手に様々なアトラクションを楽しめるテーマパーク、デロスワールド。そこで人間の相手をする精巧なアンドロイドたちが狂いだし、片っ端から人間を殺し始めた。主人公は西部劇世界で黒ずくめのガンマンロボに追い詰められてゆく、というどう見てもディズニーランドのパロディ的SF。後の「ターミネーター」のおじいさんであるロボット役のユル・ブリンナーが「荒野の七人」そっくりの衣装で登場する。「未来世界」前回で大変なことになってしまったデロスワールドだったが今度は心を入れ替え(悪いほうに)遊びに来た人間とそっくりロボットを入れ替えて世界を征服しちゃおうぜ、というおはなし。まあ、やってることはディズニーと大差ないといえばいえるんじゃなかろうか。
「惑星ソラリス」巨大な海が表面をおおう惑星ソラリス。その衛星軌道上を回る観測衛星の乗組員たちの前にそれぞれの深層心理が実体化した幻覚が現れ仕事どころではなくなってしまうのだった。一体その原因は。正直、幻覚の女性のエロスな部分くらいしか覚えていないのだった。なにしろかなりのんびりした作品なのだ。半分くらいの長さでいいんじゃないのかなあ。後にリメイクされましたが、オリジナルに比べれば多少ましかもしれない。スタニスワフ・レムの同名のSF小説の映画化。小説は面白いんですよ。つまり小説向きのお話なんでしょうね。
「殺人ブルドーザー」ある島の建設現場に落ちてきた隕石に触れたブルドーザーが意思をもち、現場の人間を片っ端から血祭りに上げるという、ある意味「地獄のデビルトラック」「クリスティーン」を先取りした奇想天外すぎる名作。ラストのブルドーザー対パワーショベルの手に汗握る攻防戦はもう一度見たら忘れられないのだ。実はTV用映画で、戦争映画編で書いた「戦闘機対戦車」と同じ雰囲気なのだ。なんだかわかんないけどおもしろそうだからとりあえず映像にしてみてから考えようや、みたいなアメリカのパワーを感じる作品。どうみてもいいかげんな作品なのにたしかS.スタージョン(大物SF作家)あたりの人の脚本(か原作)でびっくり。
「人食いアメーバの恐怖(マックイーンの絶対の危機)」「人食いアメーバの恐怖No2」宇宙から来た謎の物体は人間とみれば何でもかんでも食べまくり、食えば食うほど大きくなる困ったアメーバだった。そのアメーバに襲われることになった不運な田舎町での人類の存亡をかけた戦いを描くSFの名作。「2」はもうちょっとコメディ色が強くなってた気がする。ラストの解決場面もけっこういい加減でわたしは好きだ。これも「ブロブ」(旧作の原題でもある)のタイトルでリメイクされましたが、リメイク版も十分面白かった。
「サイレントランニング」地球から自然が失われ、植物はわずかに木星軌道を回る宇宙船3隻に搭載されたドームの中に残るのみ。ほとんど閑職のようなこの任務にそれでも人付き合いの苦手な主人公は植物を愛し、まじめに取り組むのだが、地球からは植物を破棄し地球へ帰還せよとの命令が届くのだった。その時主人公の取った行動は・・・。宇宙船ヴァリー・フォージのデザインがかっこいい。ただひとつ生き残った植物ドームを遠くに眺めるラストシーンはSF映画名場面のひとつ。
「人類SOS」観たことは憶えているのだがいまいちはっきり思い出せない。くやしいなあ。「トリフィドの日」という小説の映画化。
「地球爆破作戦」東西冷戦の最中、アメリカは危機管理のための巨大コンピューターを開発(今ではほぼ冗談になってしまったが、かなり最近まで万能巨大コンピュータというのはSFガジェットの必需品のような存在だった)。コロッサスと名づけられた学習型コンピューターは稼動をはじめると設計者の予想を超えて活動を拡大。ソ連にも同様のコンピューター、ガーディアンの存在を確認すると、共同して自らの使命を果たそうとするのだった。コンピューターはいわれたことをやってるだけで悪くない、というのがいいんだな。
「シンドバッド七回目の航海」「シンドバッド黄金の航海」「シンドバッド虎の目大冒険」ご存知英雄シンドバッドの冒険を描く、レイ・ハリーハウゼンのストップモーションアニメーションと実写を合成した特撮シーンが冴え渡る名作。一つ目巨人がでてきたり、恐竜が出てきたり、サーベルタイガーがでてきたり、モンスターてんこ盛り。でもどれがどれやらわからなくなってしまっているので、ひとまとめにしてしまったんですよ。とほほ。怪獣に分類しないのはけっこうあっさりやられてしまったり、神話のモンスターだったりで、怪獣とはいちがいに言いがたいかなと思って。
「アルゴ探検隊の冒険」こちらはギリシャ神話がベース。黄金の羊の毛を求めて海へ乗り出すイアソンとアルゴ号の仲間たちの冒険を描く。これまたモンスターてんこ盛りだが、なかでもガイコツ戦士とのちゃんばらシーンはめちゃめちゃすごいのだった。
「渚にて」ついに核戦争が勃発。北半球世界は壊滅した。唯一生き残ったアメリカ海軍の潜水艦はまだ健在だったオーストラリアに入港。その後北半球の調査に出向くが、北半球で彼らの呼びかけに答えるものは残っていなかった。そしてオーストラリアに生き残った人々の上にも、放射性物質降下による死が迫りつつあった。核戦争後の人類滅亡までを描くネビル・シュートの同名の破滅テーマSF小説の傑作の映画化。これまたラストが印象的。最近TVのミニシリーズとして映像化されたが、やっぱり映画の方がいいんじゃないかな。
「地球最後の男オメガマン」人類は謎のウィルスで滅亡。しかし唯一生き残った男が見たものは、ウィルスによってミュータントと化した人類だった。1度しか見たことがないのでこれもあまり内容を覚えていないが、ラストがやっぱり好きだった。もはやハリウッド一のSF俳優となったチャールトン・ヘストン主演。リチャード・マシスンの小説の2度目の映画化。これも最近「アイ・アム・レジェンド」として3度目の映画化になりましたね。でも小説通りの映画は初めのものだけ。
「海底2万マイル」これまた子供のころ一度っきりしか見たことがないので、内容は特に覚えていないんだな。ネモ船長のノーチラス号(ディズニー・シーにあるやつね)のデザインが秀逸。原作はH・G・ウエルズとならぶ19世紀SF作家の雄ジュール・ヴェルヌ。
「恐竜グワンジ」これまた子供のころ一度っきり観ただけなのでどうにもくわしい内容は思い出せないが、カウボーイが寄ってたかって投げ縄でグワンジ(多分ティラノザウルス)を捕まえようと悪戦苦闘というシーンは覚えてる。
「放射能X」核実験による放射能の影響(この言葉は長く魔法の呪文だった、さすがに今は気軽に使えるものじゃなくなりましたね)で数メートルの大きさに巨大化したアリが人間を襲撃。まだアース製薬・蟻の巣コロリのないアメリカでは軍隊を動員して蟻撲滅を図るが、蟻もさるもの。砂漠から下水道の発達した都市の地下に巣をかまえて、人間に対抗。蟻と人間の戦いはどちらに軍配が。これまた子供のころ見たっきりあまり細かいところは思い出せないのだがけっこう面白かったはず。機会があればもう一回観たい。
「恐竜100万年」原始人ルックのラクウェル・ウェルチ(ミクロの決死圏にも出てましたね)が色っぽいこと意外特にないんじゃないのかな。恐竜と原始人が一緒に暮らしている世界(仲良くではない)という、ハンナ・バーバラ的世界をシリアスタッチで描こうとしたけどそうは問屋が卸さなかったという映画。恐竜は爬虫類にちょっと手を加えたていどのものを合成やカメラワークで巨大っぽくみせてるだけで、怪獣ファンにもあまりありがたくないものだったはず。
「2300年未来の旅」世界戦争後の未来世界では全てがマザーコンピューターに管理され(お、やっとこういうSFが出てきましたね、ありそうで実はそんなに多くないのだな)ドームの中だけが人類に残された世界のはずだった、が、外に出てみたら全然平気じゃん、というお話。コンピューター支配に対向するレジスタンスとかもいたり、主人公は元政府側という、あれこれ煮込んだわりには水を入れすぎたような映画。ヒロインの衣装はエロスでよかったけどね。SFヒロインの未来的ファッションはエロスなコスチュームというのもSFのお約束なのだな。
「未来惑星ザルドス」荒野での野蛮な中世以前の生活に戻った人類。彼らの前には定期的にザルドスと呼ばれる巨大な頭(なんだからしょうがない)が現れ彼らが作った食料を搾取してゆく、代わりに彼らを管理するグループのために武器などを置いていくことで彼らを支配しているのだった。ザルドスとは実は輸送ロボットで科学文明を維持している少数の不老不死のエリート人類の道具だったのだ。007を卒業したショーン・コネリーがあれこれ苦労していた時期の主演作。顔ロボット輸送機・ザルドスはインパクト満点。これしか憶えていない人も多いと言うくらい内容はたいしたことはなかったのだった。あれま。
「ローラーボール」少数の巨大企業が世界を支配する未来世界。人類最大の娯楽はローラーボールと呼ばれる暴力的なチーム格闘ゲーム。その生きた伝説である主人公は余りの人気のため企業から疎まれ、ゲームを利用して命を狙われる。英雄には死を、というテーマはその後もあちこちで使われることになりましたね。当時世界的人気(現在でもアメリカでは興行されている)のローラーゲームを基にしたゲームシーンはなかなかの迫力だった。ルールはよくわかんなかったけど。これも最近リメイクされましたが、やっぱりいまいちだったなあ。余計な要素をいれなければいいのに。
「X線の目を持つ男」ある科学者が発明した目薬は何でも物をすかしてみることが出来るようになるという夢の大発明。ところが副作用があることで、友人に使用をたしなめられると、つい殺してしまい殺人犯として逃亡するはめに。このへんのいきさつは良く憶えていない。透視目薬の効力で怪しい預言者としてあちこちドサ回りの逃亡生活をするが、次第に透視の力が制御不能になってなんでもかんでも透けまくって困り果ててしまうのだった。何事もほどほどにということですね。
「世界が燃え尽きる日」核戦争で文明が滅び去った地球。人類が暮らせる北の地を目指して生き残った人々が放射能で汚染された悪夢の荒野を旅するロードムービー。主人公はなんといっても実車で作られたメカ、ランドマスター号。巨大サソリとかいかにもなモンスターも出てくるが、まあしょうがあるまい。
「魔獣大陸」サルガッソー海で遭難した船の乗組員が見たものは怪物いっぱいの島とそこに住むちょっとおかしな連中だった、くらいしか憶えていないが、ヤドカリ怪獣や、サルガッソーの海草怪獣(難破船の船底に穴を開けて、そこに放り込まれた生贄をぱくっと食べるわけ)は憶えている。TV放映の時は「大怪獣タコヘドラの逆襲」という、当時の怪獣ブームをあてこんだタイトルだったのだが、その効果は少なくともここに一人分はあったのだった。
「フランケンシュタイン」は、ホラー映画ということにしました。
「Mr.オセロマン二つの顔を持つ男」天才科学者が癌かなにかで死にそうになったので、頭を移植する健康な体が見つかるまでとりあえず手近なところで死刑囚の身体にくっつけとこうか、と思ったらそいつは黒人だった、ということで黒人の頭と白人の頭の二つの頭をもつオセロマンが誕生したのだった。いや、マジで。オセロマンは実は二人羽織(実は、じゃねえよ、観りゃわかるだろ)状態という無茶な映像が展開するのだった。これまたとりあえず作っちゃおうぜ、というアメリカ映画のまちがったパワーだけは感じる映画。
「2001年宇宙の旅」いわずと知れたSF映画の傑作。スタンリー・キューブリック節が炸裂した映像はいまでもSF映画の名シーンだらけ。つーかもう全部が名シーン。現在までのSF映画の中でももっとも「物理的」に正確であろうとした、唯一のSF映画。執念ですね。公開されたのはアポロが月へ行くより前、という事実もこの映画のすごさを物語る。CGのない時代どうやってこれらの映像を撮影したのかと考えると圧倒される。主人公ボウマン船長を差し置いてもっとも有名なのはコンピューターHAL9000。この映画以降、コンピューターが機能停止する時には「デ~イジ~、デ~イジ~」と「デイジー・ベル」を歌うことが法律で決められた。
「地球最後の日」地球へ向けて地球とほぼ同サイズの二連星が接近、ひとつは地球と衝突し地球と共に消滅、残るひとつが地球の軌道上に残ることが判明。人類が生き残る道は宇宙へ逃れ、衝突後残った星へ移住するしかない。人類存亡をかけた移住計画と生き残りをかけたパニックを描くSF映画の名作。乗船人数に限りがある移住ロケットにはくじで選ばれたものしか乗ることが出来ない。それを巡ってのドラマはこれまた後の映画に多くの影響を与えた。東宝特撮「妖星ゴラス」の元ネタ。
「日本沈没」地殻の大規模な変動で日本列島の大部分は太平洋に沈むという大胆な仮説を発表した田所博士は、その事実を確かめるため日本海溝へ調査に赴くがそこで見たものは、仮設を裏付けるものだった。そして日本には地震・津波・火山の爆発など天変地異が襲い掛かるのだった。日本列島消滅と日本民族の脱出を描くSFパニック映画。大震災に見舞われた首都東京では避難民が皇居前広場に溢れ、その報告を聞いた総理大臣丹波哲郎(役名は忘れた。丹波は丹波なのだ)の「門を開けてください、門を開けて避難者を皇居に入れてください」という素早い決断と名台詞は余りにもかっこいい総理像として、観客の心に刻まれるのだった。今の日本政府にもぜひ見習ってもらいたい。田所博士のキチガ○っぷりもかっこいいぞ。
「エスパイ」超能力を持つメンバーで構成されたスパイ組織エスパイ。同じく超能力を持ち世界征服をねらうウルロフ。両者の壮絶なESPバトルを描くのかとおもったら意外とそうでもない、という映画。藤岡弘演ずる主人公がテレポーテーションする場面では場内大爆笑だった(劇場で見たんだから事実なのだ)。後の「さよならジュピター」といいこれ以降の日本SF映画のイマジネーションの限界を思い知らされる作品なのだった。ヒロインの由美かおるは素敵。
「惑星大戦争」これを東宝特撮に加えると言うのは東宝円谷特撮を観て育ったものにとってまことに忸怩たる思いなのだが東宝が作っちゃったんだからしょうがない。いいかげんにしろ。ある日宇宙からなぜか古代ローマかぶれの変な連中がやってきてUFOで地球を攻撃。怒った地球人はスーパーメカ轟天を作りこらしめてやろうと宇宙人がいる金星へ。そこで宇宙人の大魔艦と壮絶な戦いをくりひろげるはずだったのだが、観ているものには悪い冗談にしか思えなかったのだった。世界的話題の「スターウォーズ」の便乗映画なのでそんなもんだ。当時この作品に携わったある人物の「スターウォーズ」から学ぶものは何もなかった、という言葉は嘘か本当かしらないがSF映画マニアの間では有名。そりゃそうだろう。こんな映画撮っちゃう人はどんな映画観たって学ぶわけねえよ、と言うくらいの名作。しまった、キーボードをうちそこなった。ヒロインの浅野ゆうこは素敵。
「宇宙からのメッセージ」これも「スターウォーズ」の便乗企画だが、「惑星大戦争」よりはまし。程度の問題ですけれど。宇宙支配をもくろむ帝国ガバナスの侵略を受けて惑星ジルーシアから宇宙に散らばる勇者たちのもとにリアベの実が放たれた。それを受け取った8人の勇者たちは、ジルーシアを脱出したエメラリーダの元に集まりガバナスに戦いを挑むのだった、という八犬伝がベースの物語。千葉真一が颯爽と馬で登場したときには場内大爆笑だった。プロットやキャラクター設定などはそう悪くはないのだが、映画にしたらだめだったという残念な作品。ガバナス戦艦はそこそこかっこいいのだが、特撮の多くが東映TVシリーズのものと大差ないレベルなのでこれもちょっとがっかり。「大巨獣ガッパ」の時にも書いたが、一度もSF特撮を撮ったことがないうえにどうみてもSFなどには縁のない監督に、いきなりSFを撮らせるということ自体無謀と言わざるを得ないのは結果が表しているといういい例。「スターウォーズ」もヒロイックファンタジーの宇宙版であるにも関わらず立派なSF映画になっているという結果は一体何が違うのか考えるいいテキストなのではなかろうか。

というわけで、いよいよ話題だけが散々先行していたSF映画「スターウォーズ」が日本でも公開されることになるのだった。同時に「未知との遭遇」も公開となり、SF映画は転換点を迎えたのだった。

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