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04月25日
00:35

特撮を多用した映画といえばSFや戦争映画と並んで忘れてならないのがホラー映画。ホラーと一口に言ってもいろいろなタイプがあり、一概にホラーでくくっていいのかみたいな映画もありますが、怖きゃいいだろ、ってことで。

「魔人ドラキュラ」ベラ・ルゴシのドラキュラ伯爵映画。おそらく世界一有名なモンスター、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」の映画化。ルーマニアに住んでるドラキュラさんのお城に行ったらえらい目にあった。というお話。すでに顔、立ち居振る舞いからして怪しいベラ・ルゴシがかっこいいのだ。
「吸血鬼ドラキュラ」クリストファー・リーのドラキュラ伯爵映画。原作よりドラキュラ対ヘルシング教授色の強い、ゴシックホラーよりはいわゆる怪奇モンスター映画という風になっているが、世間的にはこのクリストファー・リー・ドラキュラのイメージが普通なんだと思うな。ピーター・カッシングのヘルシング教授もドラキュラに負けず劣らずの存在感だし。最近は吸血鬼もすっかりダークヒーローになってしまって、いかんよ。いかんなあ。オールド吸血鬼ファンのわたしとしては最近の以下略。
「ドラキュラ72」どういうわけか72年に復活したドラキュラと、ヘルシングの戦いなんだけど、やってることは昔と大差ないのだった。
「フランケンシュタイン」吸血鬼、狼男、とならんで世界の3大モンスター・スターのフランケンシュタインの怪物を生み出した作品。つまり原作のフランケンシュタインの怪物とはかけ離れた映画独自のモンスター像を作り上げ、普通フランケンシュタイン(の怪物)といえばこのモンスターというくらい有名になったし、フランケンシュタイン博士をさしおいて、怪物がフランケンシュタインと呼ばれるようになった。でも少なくとも日本では藤子不二雄(当時はこのPN)の「怪物くん」のせいなんじゃないのかなあ。原作に近いものは後に何にでも化けるロバート・デ・ニーロが怪物役で映画化されましたね。ところで、わたしは三大モンスターの残るひとつ、狼男は見てないんですよ。こまったことでがんす。
「妖怪大戦争」大戦争とタイトルについているが東宝じゃなくて大映作品。日本の誇る妖怪特撮映画。江戸時代、古代バビロニアのダイモンという吸血妖怪が日本に上陸。お代官様の身体をのっとってやりたい放題、若い娘にあれ、御無体な(血を吸うんですよ。吸血鬼だからね)、というありさま。地元の人間と共存していた妖怪たちはこれは一大事とダイモンの悪事を止めようとするのだが、ダイモンの余りの強さに太刀打ちできない。妖怪たちは日本中に檄を飛ばし結集、ダイモンに決戦をいどむのであった。ちょい「ゲゲゲの鬼太郎」っぽい感じもしますが、妖怪てんこ盛りでけっこう面白い。
「妖怪百物語」百物語の会でしきたりをやぶったため現れる妖怪たち、さらに悪徳商人と役人の悪行がさらに妖怪を呼び、ついには自滅していくのであった。わりかしちゃんと妖怪談を映画化している感じでこれも意外といいんじゃないかな。
「地獄」眉間に皺の天地茂(わたしたちの世代には天地茂といえば「非情のライセンス」なのだった)主演の圧倒的にカルトな映画。最初観たときにはまだカルトなんて言葉は知らなかったが、あまりの展開に最後まで見てしまいました、という名作。なにしろ映画の真ん中あたりで(それまでもちょっとこれはどうなの、な展開なのだが)登場人物が全員死んでしまうのだ。そしてタイトル通り、後半はずっと地獄をさまようのだ。ええ、まじかよ。
「四谷怪談」いわずとしれた、おそらく日本で一番有名な、そして一番怖い怪談。それだけに何度も映画化されているのでどれがどれやらわからなくなってしまっているが、若山富三郎、長谷川一夫、天地茂(いずれも伊右衛門役)版は観た記憶がある。お話は、これはもういいですね。
「エクソシスト」アメリカの普通の少女が突然悪魔に取り付かれてしまう。少女の豹変、次々と起きる異常な現象。手のほどこしようがなくなった両親はとうとう教会に相談。教会は悪魔つきと判断し、2人の神父が悪魔祓い師として悪魔と対決する。いわずと知れたホラー映画中興の祖。つまり一部の作品をのぞいて得体の知れない悪霊や怪物が現れ、美女がキャーみたいな通俗映画の代名詞の怪奇映画でも十分鑑賞に足る映像作品が撮れるのだということを証明した名作。そういう意味では一部の作品を除いて得体の知れない宇宙人や怪物があらわれ、美女がキャーみたな通俗映画の代名詞のSF映画を引っ張りあげた「2001年宇宙の旅」にちかいかもしれない。それはおいといて、この映画のおかげでエクソシストという存在が世界中に知られ、意外とキリスト教もカルトなまねしてんじゃんかよう、とより親しみを感じられるようになったのは間違いない。かな?それもおいといて、怖い映画であることは間違いない。下手に大げさにならず、シーンをたんたんと積み重ねていく手法が逆に怖いといういい例。主題曲になった「チューブラー・ベルズ(その冒頭の一部分、オリジナル曲は20分以上の長い曲)」のオルゴール曲のような静かで不気味なイメージはその後のホラー映画の主題曲に多大な影響を与えた。
「マニトウ」強力な古代の悪霊を退治しようとして、そいつの支配の及ばない最新のコンピューターの霊をアメリカ先住民の儀式で呼び出すというなんじゃそりゃ映画。ラストの悪霊対コンピューター霊の戦いもちょっとわけわからなくて素敵。この辺どんなものにも霊が宿ると思っている日本人には親しみの持てる好感度抜群の映画ではなかろうか。ええ?どうよ。
「ヘルハウス」悪霊が棲むといわれているベラスコ邸の調査に乗り込む科学者とその妻、かつて調査に赴き一人生き残った超能力者に若い女性霊能力者の4人。しかし、館の悪霊は次第に4人を追い詰めていくのであった。ラストの館の悪霊の秘密を暴く、ロディ・マクドウォール・富山敬の名演技には誰しも痺れたはずだ。
「サスペリア」ドイツにある寄宿制のバレエ学校にやってきたアメリカの少女スージー。しかし学校には恐ろしい秘密があったのだ。極度のクローズアップや神経質なカメラワークと、サイケな色設計。ぐいぐい差し込んでくるサウンドトラックという驚異のお化け屋敷映画。この映像スタイルは後のサイコホラーに多くの影響を与えた。そして「エクソシスト」の「チューブラー・ベルズ」にならって、ロックバンド、ゴブリンが主題曲以下サウンドトラックを制作。これまたホラー・サウンドとして神経にぐりぐりくる名曲をいくつも作り出した。主人公は美少女じゃなきゃね、というダリオ・アルジェントの出世作。
「サスペリア2 赤い深淵」タイトルは「2」だがダリオ・アルジェントが「サスペリア」の前に撮った映画。だからまだ主人公は美少女ではないのだ。映像やサウンドはすでに「サスペリア」に近いが、この映画はわりとちゃんとしたサイコ・ホラー・ミステリーになっていてわたしは好きだな。
「ゾンビ」いわずと知れた、ゾンビという低予算モンスター(手の込んだ着ぐるみやハイテクニックのスペシャルメイクじゃなくても、ちょちょっと血色の悪いメイクをして古着をきせたらそれで十分)を恐怖の代名詞として世に知らしめた名作、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の続編。突如、世界中の死者が蘇り、生きた人間の肉を食らう。噛まれた者は一度死に、ゾンビとなって蘇り生きたものを襲うのだった。SWAT隊員とその友人夫婦の4人はヘリコプターで混乱する都市を脱出するが、途中見つけたショッピングモールの屋上に着陸。モール内のゾンビを一掃し、一安心。しかし世界は崩壊へ向かって一直線。モールの周囲には数知れないゾンビが群がり集まってくる。そこへ暴走族あがりのような武装ギャング集団がモールの物資を狙って襲ってくるのだった。前半のごたごたした混乱から脱出のシークエンス、モールの中の絶望的な平和感がロメロ節なのだが、ダリオ・アルジェントが監修したバージョンとそれが元になっている日本版は、ゴブリンの曲がつかわれ、いがいとポップなアクションシーンのある不思議な映画になっていて、わたしはこっちのほうが好き。ロメロ版はそれまでの他のロメロの映画と同じ雰囲気の絶望感が漂うホラー映画になっている。でもそんなロメロがこのあとあんな映画とっちゃうんだもんなあ。一体誰を信じればいいのかわからなくなってしまうわ、どうしたらいいのかしら、みたいな。
「ドラゴン対7人の吸血鬼」どういうわけだか復活したドラキュラ伯爵が中国の田舎の村に出現。地元の吸血鬼を蘇らせ村々を襲ってやりたい放題。いっぽうライバルのヘルシング教授もこれを阻止せんものと中国に現れ、地元のカンフーの達人兄弟と協力して、ドラキュラと吸血鬼集団に戦いを挑むのであった。いや、まじで。とりあえず、ブームのカンフー映画とホラーをくっつけちゃおうぜ、という低予算映画のいつもの調子が素敵な異色ホラー・アクション・カンフー映画。最後の戦いでは主人公側もばたばた死んでいくというさすがのカンフー映画なのだった。
「フライトナイト」となりに越してきた変なやつは吸血鬼だった、というアメリカ映画によくある「隣は何をする人ぞ」映画。隣の家は宇宙人だったり、キチガイ科学者だったり、美少女だったり、殺し屋だったりアメリカには本当にいろんな人が住んでるなあ。そんなわけで、ええ、内容はよく覚えてないんです。すいません。
「ファンタズム」カルト・ホラーといえばこれくらいわけのわからないカルト・ホラーも珍しいという名作。わたしは大好きですよ。主人公マイクは事故で両親を失い兄と二人で暮らすことになる。その葬儀で訪れた墓地でであった奇怪な長身の葬儀社の男。消えていく死体。葬儀社の中の謎の装置。飛び交う殺人ボール。わけのわからない展開にさらにわけのわからないエンディング。もうわけがわからなければそれでいいや、という素敵な映画。わけがわからない終わり方をしたくせにそれまでのことがなかったようにおなじ主人公の続編として「ファンタズム2」とか作ってしまう監督ドン・コスカレリはさすがだ。ますますわからない「2」にあきたらず「3」まで作ってしまったらしいが「3」は未見なのだった。
「サイコ」そのタイトルの通り、「サイコパス」と「サイコ・ホラー」という言葉を世に知らしめたアルフレッド・ヒッチコックのホラーサスペンスの傑作。浴室でのシャワーの下の殺害シーンはとにかく多くの映画やドラマにリスペクト使用される名シーン。ホラー映画ファンなら必見の映画。この映画があって先に書いた「サスペリア」はもちろん、「セブン」や「羊たちの沈黙」があるのだから。
「鳥」原因もわからないまま鳥が人間を襲う。いってしまえばそれだけの映画なのだが、相手が巨大鳥だの宇宙鳥だのでなくそこいらにいる普通の鳥だけに、怖いぞ。
「悪魔のいけにえ」ちょいとたちよったテキサスの田舎町で人の皮のマスクをかぶったキチガイに惨殺される若者たちを描いたスプラッター・ホラーの代表作。よけいなことはいわずひたすら行為だけを描き、あまり手の込んでない安い映像が逆にムチャクチャ怖いのだった。リメイク版の「テキサス・チェンソー」は今風の綺麗な絵で画面もこっているが、やっぱりこっちの方が怖いと思うなあ。チェンソーで人をぶった切る、という無茶なキチガイ殺人者のイメージをつくりあげた名作。
「オーメン」アメリカ外交官の養子として引き取られダミアンと名づけられた赤ん坊。しかしダミアンが育つにつれ彼のまわりで不可解なことが起きはじめ、彼の正体を探ろうとするものが次々と死んでいく。はたしてダミアンは何者なのか。悪魔なんですけどね。この映画はおもしろいんですが、でも「オーメン3」までいくと微妙にストーリーがずれてる感じがしてちょっと納得いかないんだけど、そのへんどうなんだろうか。
「フリークス」これはホラーなのかな、とちょっと迷うところなんですが、フリークスのサーカス団で一人健常者の美女が実は金目当てに好きでもない主人公の小人と結婚し財産を独り占めしようとする悪女なのだったが、彼女は悪行がたたってサーカス団のメンバーにこらしめられてしまうのだった。、という見かけと中身の逆転映画。タイトル通り、サーカスの見世物小屋で暮らすような畸形と呼ばれる人たちが出演者の大半をしめている、まさに見世物小屋映画のなのだが、それほどホラーというわけでもないんだよね。
「ローズマリーの赤ちゃん」若妻ローズマリーは不可解なものと交わる悪夢を観た後に子供を身ごもるが、果たしてこの子は本当に夫の子供なのだろうか。それとも悪夢のせいで奇妙な妄想に取り付かれているだけなのか。得体の知れない隣人たちに囲まれて、妊婦の不安定な精神状態が次第に追い詰められていくサスペンス・ホラーの名作。見るからに神経質で不安げな主役のミア・ファローがいい。
「悪魔のはらわた」内臓大好きなフランケンシュタイン博士は死体を繋ぎ合わせて男女ひとつがいの人間を作り子供を生ませようと考え、女大好きなエロエロ男の首をちょん切ってきてくっつけたら実は人違い、そいつはゲイだったという冗談なのか本気なのかわからない映画。結果男人造人間はゲイなので当然女人造人間に興味は示さない。そうとはしらない博士の妻は男人造人間に手を出して誤って殺されてしまい、博士の助手は女人造人間に手を出して壊してしまう。博士と助手は争い、首を切られた男の友人(博士はもともとこいつの首を切ろうとしていた)も現れて怒った男人造人間に襲われ博士も助手もばたばたと死んでしまうのだった。残された男は鎖で吊り下げられたまま、そこにやってきた博士の子供たちは楽しそうにメスを手に取るのだった。手はちょん切れ、内蔵飛び出すスプラッター描写はそれほど派手ではないがなかなか痛そうでわりといい感じ。変態科学者フランケンシュタイン博士はみんな大好き怪優ウド・キアーなのだった。
「悪魔の墓場」イギリスの片田舎の町にある墓場に据えられた害虫駆除装置が発生する音波が死人を蘇らせ次々と生きた人間を襲う、というプロットだけだとなにそれ、なのだが、これまた安い映画であるぶんめちゃめちゃ怖いのだった。ゾンビファン(わたしの友達)によると最も怖いゾンビ映画だともいわれている。ちなみに「悪魔のいけにえ」「悪魔のはらわた」と合わせて悪魔三部作といわれている。内容はまったく無関係で、映画会社の宣伝の都合で。だいいち悪魔でてこないし。公開するほうもいい加減なのだった。
「スクワーム」嵐で切れた高圧電線が地面に接触。電流で狂ってしまった地中の虫、おおむねミミズ、がわらわらと人を襲うという、観た後にスパゲッティ・ナポリタンが食べられなくなる映画。部屋いっぱいの大盛りナポリタンとか顔からナポリタンとか、お話はどうあれ気色の悪さはトップクラスなのだった。
「燃える昆虫軍団」SFかなとも思ったけど、ここで思い出したのでホラーでもいいか、と。アメリカの片田舎で地割れの中から発生した新種の虫、おおむねゴキブリ、は自ら高熱を発する新種の虫。学者がこれを研究していたらいつの間にか知能を獲得し、大変なことに、いやそれほどでもないかな、なことになってしまうという映画。思い出すだに安い感じだけれど、やっぱり安い映画は変で面白いのだった。

SFもそうだけど、80年代にレンタルビデオがはじまってからは、名前だけは聞いていた幻の作品が次々と見られるようになったのだった。それまでは映画マニアのために名作映画を8ミリフィルムとかで売ってたんですよ。CGや特殊メイクの手法も発達してSF・ホラーは百花繚乱。昔から一部の作品を除いて安くていいかげんだったSF・ホラーが映画がますますどんどん作られ続けて、今でも安くていいかげんなSF・ホラーは続いているのだ。でもさすがにわけのわからないモンスター映画は少なくなったんじゃないのかなあ、と思ったら、最近でも「メガピラニア」(その通り、メガなピラニアが人を襲う映画。メガとかいわれたらもうしょうがない。)とか作ってるし、さすがだ。さすがすぎるぜアメリカ映画界。安いはずなのにわりかしいいカメラとか、CGとか使って一見いい映画っぽく見えるようになったあたりがますます素敵なのだった。