回転!揺りイス固め 外伝

アメブロの同名ブログのスピンオフブログです。

プロフィール

 はじめまして。
モンスターAMです。

 ハイブリッド絵描きです。

 時々、文章だけになったり、イラストだけになったりしますが、
よろしくお願いします。

12月のカレンダー

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

過去の日記

 

(2009年12月)日記一覧

18件中 1件〜18件を表示

09年12月31日鑑賞。
09年370本目。
ついにこの映画をみるときが来た。
いや、まさかこれがトリになるとは思って
いなかったけど、大晦日は劇場にいる気が
したので、それはそれで良かったと思う。
そしてこの映画が今年のトリでよかったとも...

 物語の舞台は、ゆったりとした自然に
囲まれた山口県防府市・国衙。
平安の昔、この地は「周防の国」と呼ばれ、
国衙遺跡や当時の地名をいまもとどめている。
この物語の主人公は、この町の旧家に住み、
毎日を明るく楽しく過ごす小学3年生の
少女・新子。おでこにマイマイ(つむじ)を
持つ彼女は、おじいちゃんから聞かされた
千年前のこの町の姿や、そこに生きた人々の
様子に、いつも想いを馳せている。

 彼女は“想う力(ちから)”を存分に
羽ばたかせ、さまざまな空想に胸をふくらます
女の子であり、だからこそ平安時代の小さな
お姫様のやんちゃな生活までも、まるで目の前の
光景のようにいきいきと思い起こす
ことができるのだ。

 そんなある日、東京から転校生・貴伊子がやってきた。
都会とは大きく異なる田舎の生活に
なかなかなじめない貴伊子だが、好奇心旺盛な
新子は興味を抱き、お互いの家を行き来するうち、
いつしかふたりは仲良くなっていく。
一緒に遊ぶようになった新子と貴伊子は
同級生のシゲルや、タツヨシたちとともに、
夢中になってダム池を作る。そして、そこに
やってきた赤い金魚に、大好きな先生と同じ
「ひづる」と名前をつけ、大切に可愛がる
ようになる。やがて新子たちは、学校が終わると
このダム池に集まって過ごすようになっていた。

 しかし、ふとしたことから「ひづる」が
死んでしまい、それを機に仲間たちとの絆
も揺らぎ始めていく。

そんななか、新子は「ひづる」そっくりの
金魚を川で見かけたという話を聞き、
貴伊子や仲間たちと金魚探しを始める
のだった....。

 この映画の監督である片淵須直さんは
もともと宮崎駿さんと一緒に仕事をして
いらした実力派の演出家.脚本家なのだが、
長いこと不遇の地位に甘んじていた。
正直マニアからの評価はとても高かったのだが、
地上波での名作劇場の最終作「名犬ラッシー」は
非常に完成度も高かったにもかかわらず、
視聴率の不振で打ち切り。
以降、知名度もなかなかあがらず、
最近になって映画「アリーテ姫」で、今までに
ないお姫様ヒロインを作り上げたことで
一躍その名が知られるようになった。
リアル嗜好なのは宮崎さん譲りで、ロケハンを
重ね、山口県防府を徹底的に取材して作り
上げられた作品にはいきいきとした
昭和の山口の原風景が描かれている。

 今回の「マイマイ新子と千年の魔法」
であるが、下関と岩国は山口県あげての
歓迎ムードとどこか温度差のある公開
(12月下旬.他は11月中旬に先行
ロードショー)だったのが、縦にも横にも
広い山口という土地の難しいところを
表しているような気がした。実際使われている
山口弁も下関の方言とはビミョーに異なるし、
ましてやそれが昭和30年代となると
さらに感じも違ってくる。
そんな温度差は感じたものの、実際見てみれば
これは片淵演出全開という、悪い言い方をすれば
くせのない、飛び抜けた感動はないのだけど、
いい言い方をすれば心にじーんと染み渡って
くるようなそんな感じの映画に仕上がっていた。

 作画陣には宮崎さんや高畑さんとも一緒に
仕事をされていた方も多数参加されており、
ジブリの失った原風景がここにはあると思う。
片淵監督の作劇法は基本「人間賛歌」なので、
人間を否定するところからはいる、昨今の
宮崎監督の方向性とは実はまるで違うのである。
確かに一見するとこれは「トトロ」の系列で
ひとくくりにされかねない感じの映画では
あるのだが、人を見つめる視線はどこまでも
暖かい。そしてみんな善人と悪人の顔を
持っている。ここがポイント。

 宮崎さんだと絶対悪人を一人出してしまうのが、
コナン以来ずーっとあるのだけど、片淵監督
の作品にそれはない。だから安心してみて
いられる。そしてマッドハウスという
アニメスタジオもよくぞここまでの作品を
生み出す会社になったものだという感慨も深い。
もう老舗と言っていい会社なのに、常に進化を
追い求めて止まない姿勢には頭が下がる。

「サマーウォーズ」に続いてはなった
「二の矢」は確実に心に届いた。この作品を
トリに持ってきたのは大正解だった。
片淵監督、山口をこんなにすてきに描いて
くださってありがとう。願わくばこの映画が
すこしでも多くの劇場に掛かることを祈りたい。

 幸い口コミで上映延長もされるなど
徐々にうねりは来ている感じだし、このままの
勢いで是非監督の次回作も近々に見て
みたいと思う。

 これにて09年の映画日記はおしまい。
ありがとうございました。

 そして賀状図案の年内ラストは
DDT谷口選手で締めです。
よいお年を!!
2009-12-30 12:24

年賀状図案.9

 これはイラストレーターの方からすてきな
クリスマスカードをいただいた御礼に描いたものです。
30分でやっつけてしまったのでお恥ずかしい出来なのですが...
まあ、大目に見てください。
図案シリーズは正月1日で一応最終回です。
2009-12-29 15:29

年賀状図案

 がむプロのシリーズはこれで最後。
トリになってしまった?のは今年デビューの新人
一輝選手です。
結構格闘技歴が名かがったみたいなんだけど、
それがプロレスでどういかしていけるか...
要注目です。

 ネタはあと2枚かな?
丁度あと2日で使い切るのでタイミングばっちりですね^^
2009-12-27 16:08

年賀状図案.7

 今回はがむプロで悪事を働く^^
ROCのリーダー、マスクドPT選手です^^
この方とも実はマイミクなんです^^
誰でもいいんかいっ^^
2009-12-26 15:45

年賀状図案.6

 今回はGWAヘビー級新チャンプの
SMITH選手です。

 クリスマスはちょっといやな知らせが来てへこんでいましたが、
もう気持ちは2010年に向けて切り替えました。
来年巻き返します。
あまり自分を追い詰めない程度に、ですけどね^^
2009-12-24 11:13

年賀状図案.5

 今回は九州ダイナマイト級チャンプTA-KI選手です。
今頃、綺麗な彼女とすてきなイブを過ごしているんだろうなあ...
ちくしょう^^
2009-12-23 05:57

0からのスタート

 昨日のカレンダー企画に
わざわざコメント下さいました
皆様、本当にありがとうございました。


 ぶっちゃけ最初から「虫のいい結果」
がでるとは思っていませんでしたので、
予想通りと言えばそれまででしたが、
これで逆にやる気が出てきました。
来年の今頃はこの評価をひっくりえして
やりたいですね。

 今回試してみたのは、来年に向けて
の布石なのです。むしろこういう結果が
出たことで俄然やる気になりました。
来年リベンジしますよ^^


 まあ、見ていてください。


*画像は年賀状の一部です。*
 私が描いた2010年のカレンダーって
金だして買ってもいいよって方いらっしゃいます?
一応「バカ」バージョンと「マジ」バージョンの
2種類あって、価格はだいたい12枚1000円
(送料別)にしてみようと^^

 いえね、通院費もかさんでバカにならないので、
交通費だけでも足しになれば非常に助かるのです。
こういうことをちょっと思いついてみたので
もしお心根のお優しい方がいらっしゃいましたら、
コメントでもメッセでもご一報下さい。

*画像はサンプルです。
2009-12-22 05:34

年賀状図案.4

 これもイラストレーターさん宛に送った奴です。
おそれを知らん者の所行ですね^^

 ところで鳥人コンテストの画像なんですが、
高画質が条件ということで、アナログでは
どうやっても無理みたいなのであきらめました。
ここらへんがアナログの限界かな...
仕方ないですね...
2009-12-21 11:56

年賀状図案.3

 今年は数もぐっと絞ったので、途中から「思いつき」
で、「手描き」を混ぜたのが失敗の元。
まあ、遅々として進まないわ、進まないわ...
ようやく今コメント入れ終わったところです。

 あ、印刷と言っても元の絵はちゃんと自分で
描いていますからね^^念のため。
決して手を抜いたわけではありません。

 でも間に合ってよかった...
これで一安心...

 あ、ちなみに今日母が午後から仮退院です。
こちらもお騒がせしてすいませんでした。
うまくいけば年内退院の見通しですが、
ここはどうなりますやら...

 あ、今回のイラストはがむプロ
尾原選手です。
2009-12-20 15:24

年賀状図案.2

 えー、ここで公開しているのは、
届く可能性のある画像は外しています。
今年は手描きと印刷を混ぜているので。

 今回は岩手にお住まいのイラストレーター
さんに当てた一枚です。無謀にも
プロにアマが挑戦しかけたんですが^^
まあ笑って見過ごしてください^^
2009-12-19 11:57

年賀図案.1

 今年は無謀にも手描きを混ぜてしまった年賀状。
それを「本人に届く前に」小出ししていこうという
企画です。ここでしかやりません(だって他では見られている
可能性大だから)。

 第一弾はがむしゃらプロレスのエース
JOKER選手です。
 年賀状に追われて公開する暇がなかっただけで...
今後ぼちぼちあげていきます。一応描いているので^^
 いよいよ来てしまいました。
本日はじめてDDTプロレスを見ます。
アメブロで知り合いになった谷口選手に
チケットおさえていただいて、スターレーン
いってきます。

 これで当分プロレスは見られません。
というか映画館にもしばらく行けそうにないです。
いろいろやりたいことがあって...
来年から始動するためです。
まだいえませんけど...

 とりあえず、今年最後のプロレス観戦、
精一杯楽しんできます。
 09年12月10日鑑賞。
09年350本目。

 ついにこの日が来た。
実は松田優作先輩の映画をスクリーンでみるのはこれが初。
不肖の後輩で申し訳ないが、事実は事実。物心ついたときにはもう先輩は雲の上の方だったし、テレビで見て「あ、この人が同じ学校の先輩なんだ」という事実は知っていても、ピンとこなかったというのが正直言ってある。先輩の生まれ育った今浦というのは、当然ながら学校の校区内だったので、子供の頃の遊び場であった。だけど、実は先輩の生家があった場所は知らない。いや、知らないうちに近くを通っている確率は高い(そのくらい今浦の隅々まで知っている)のだが、かつて特集されたテレビで見たときは既に更地になっていたのは確認している。

 だからかもしれないけど、あまりに遠すぎる存在だったので、松田優作フリークが熱くなればなるほど、逆に冷めた目で見ていたというのはある。そして、この映画もそんな松田優作フリークが作ったフリークのための映画かと思っていた。だけど、確かにそういう部分はあるにせよ(なかったらこういうドキュメント形式の作品は成り立たない) 監督は松田優作直撃世代の方ではないそうだし、プロデューサーの松田美由紀さんもそういう線は外して考えたとパンフに書いてあった。

 これはやはり松田優作の主演作でいいと思う。
生きているとか死んでいるとかそう言うことを超越した存在になっている松田優作という人が、残してきた軌跡をふりかえるのではなくて、過去の作品が未だに光を放って、我々の心に突き刺さってくるそれは、まぎれもなく魂が語っているとしかいいようがない。そのくらいフイルムに焼き付けられた松田優作先輩の表情は常軌を逸していて、ある意味狂っているとしか言いようのない演技は、多くの模倣を生んでも、誰一人としてあの高見に達したものがいないほどハイレベルなものである。それは闘う人の目であり、狂い人の目である。それは共演者を、カメラを、その向こうの観客をみているようでさらにその先の何かをにらみつけているかのようである。たぶん私が知る限りこんな目をした人は、松田優作と現役バリバリの頃のアントニオ猪木しかいないと思う。両者に共通項は全くないのだが、そうとしか表現できない。

 劇中で松田優作さんの仕事に対する姿勢についても触れられていたが、印象に残ったのは、暴力に対する表現を、直接的な表現ではなくて、内なる暴力を描きたいという希望があったようで、その構想はアクションスタートして華々しくスタートした当初から既に頭の中に存在していたらしいということ。これは驚嘆に値する。つまりはこれ想像でしかないがジーパン刑事を演じていたときに既に「ブラック.レイン」で演じた佐藤というキャラクターの像が優作さんには見えていたのではないだろうか。そうとしか思えない。そしてCMに対してもものすごいこだわりと情熱を持って取り組んでいたそうで、鏡に向かって一人語りするギャッツビーの有名なコマーシャルも全部映画と地続きだったというからたいしたものだと思う。未だ鮮烈に焼き付いているのは繰り返し繰り返し流されていたコマーシャルでの印象があまりに鮮烈すぎたというのもあるのかもしれないなと思った。

 最後に松田兄弟の父親像が本人たちの口から明らかにされているのだが、「一回もオヤジの事でぶれた話しを聞いたことがない」というのは強烈に印象に残った。「ああ、松田優作という人はやはり想像以上に凄い人だった」と言うことがこの一言でわかる。
森田芳光監督が「優作はいろんな人に対してだめ出しをすると思う」というのは、今なお松田優作が他人に対しても自分に対しても「怖い人」であり続けた、裏を返せば厳しかったという何よりの証拠だろう。そして、それが絶対的な「父性」として映画では表現されている。そう、松田優作という人は自分を厳しく律する代わりに他人をも厳しく叱責した。それは時に暴力という形で出て行ったかもしれないけど、それはまさに昔の頑固オヤジそのものではないか。ちょっと道に外れたことや、ずるがしこくなまけていたりしようものなら、怒声と共に一喝される恐怖。それはまさに昔の父親が持っていた「父性」であり、男の根幹であるように思う。すべての男たちに対して、いや、すべての人達にとって松田優作という人は絶対的な父親であり、その姿勢を死んでなお示し続けていることで、「おまえら、気ぃぬいていねぇか?あん?」という、あの独特の鋭い口調で、我々ににらみをきかせてくれる人なのだ。だから、今なお信者が存在し続けるし、新しいフリークを生み出している。

 しかし、2009年という年は松田優作さんの没後20年であると同時に田中絹代さんの生誕100周年でもあった。下関を代表するふたりの映画人が奇しくも同じ年に語られると言うことはそうそう例のないことである。しかし、田中絹代さんには市の肝いりで記念館が作られるのに、松田優作さんには未だそんな話すら聞いたことがない。在日という出自がどうとかいう問題でもなかろうに、と最初は憤っていた。実際映画公開も全国に先駆けて言うならわかるが、ずっと遅れての公開である。

 だが、田中絹代さんと松田優作さんでは下関に対する受け止め方も違っていたようだ。テレビなどで語られる優作さんの故郷の街は暗く、すさんでいて、一刻も早くこんなところから抜け出したいという具合に描かれていた。実際はそんな悪い街ではないのに...とは思っていたものの、今考えると優作さん世代の人達の時代にはまだ相当な差別もあったんだろうと思う。それを一切公にしないままなくなられたので、本当のところは知るよしもないが、少なくとも下関は出て行く場所であり、帰ってくる場所ではなかったように思う。田中絹代さんが自らの墓を下関に建てたのとは対照的に、優作さんのお骨は散骨されて荼毘に付されている。ただ、やはり優作さんがどう思おうと、下関出身という事実は消しようがないものだし、確かに下関ではとどまらない器であったという事であるにしても、やはり在日とか言う前に下関人であったという事は紛れもない事実である。

 記念館が出来るとかできないとかはもう小さな問題でしかない。松田優作さんという雲の上の人を先輩に持った縁として、先輩の魂を継いで、後生に語っていかねばならない、そう思うようになった。

 映画を見終わって、どうしても優作さんの生まれた生家の近くまでいってみたくなり、雨の降る中、傘もささずに徒歩で今浦まで行った。映画館からはものの10分とかからないところである。残念ながら雨脚が強くなってきたので生家のあった場所の近くまではいけなかったが、昔ながらのたたずまいに、なんか「ブラック.レイン」の一場面のような雰囲気を感じた。実際はそんなロマンチックなものでもないのだけど^^

 まあ、朝日新聞の夕刊でも取り上げられたりして、気運は高まっていると思うので、是非とも地元で、松田優作さんを後生に語る人が一人でも多くなることを願ってやまない。そして記念館を作るなら東京ではなく、やはり下関にしてほしいというのが偽らざる気持ちである。
2009-12-09 20:47

バースデイカード

 マイミクさんのお一人が今月20日誕生日だというので
お祝いのイラスト描きました。鉄道ヲタなので、999。
安易ですが、これしか知識ないもので...
メーテルの服の色が違うのは、クリスマスバージョンという
ことで...
 というCDを聞きまくりの毎日です。
セットで買った「サンライズ.ロボットアニメ大鑑」の
中には当然「ザブングル」も入っていて、
久々に描きたくなって描いてしまいました。

 ジロン.アモスは男でござる!!
ティンプも描いてみたいなあ^^
懐かしい^^
 マスクマンを作ってみました。
ええ^^パクリじゃないですよ。
似た人がいても気にしない^^

18件中 1件〜18件を表示