▼ウェルツ▼
「ククッ…」
こちらを真っ直ぐ睨むヴィルトの表情に思わず笑みが漏れる。
ヴィルトは苦痛に耐えながら体勢を整え、彼が愛用している本来の武器…刀を抜いた。
「…ふっ、ついに自前の得物で来るか」
無意識に自らの血を人差し指で絡め取って舐めると
「いいだろう」
荒々しく全弦を左親指でグリッサンド、予め残響を魔器に響かせる。
間髪入れずにヴィルトが間合いに飛び込んで来た!彼は軸足を踏むと首筋を狙った白銀の一閃を繰り出す!
ガキィン!
対するウェルツはレディアンスの支柱で一撃を噛ませた!
「――成程、見事な剣筋だ…少々身体が悲鳴を上げているようだがな」
ウェルツが笑った瞬間、突如彼の外套が大きくたなびく。
――シャァァァ!!
数十匹の小さな使い魔が飛び出し、ヴィルトの傷口目掛けて牙を立てる!
▼ヴィルト▼
滑らせるようなその指使いを何と言うのだったろう。
広音域を一気に奏でたにも拘らず、一音の不協和音も入らない、整然と調律されたその調べにすら隙は無かった。
致命傷を狙った一撃は早々に防がれた。悠々たる褒め言葉も、今は耳に入らない。
手首を返し、切り替えた狙いは、弦。如何なる演奏家も、合わせる弦が無ければ音は紡げない。
瞬間、翻ったウェルツの外套から現れた使い魔が、腕に、脚に、喰らい付く!
「チィ……っ!」
わざとか偶然か、治りかけた傷の上。どっちでもいい、さっきより小型ではあるが、固まった分払い易い。腕を前で交差させ、脚は剣で肩は右手で、片や斬り片や打ち、一気に払い落とした。
この間合いで使い魔に専心するわけにはいかない。払った刀を半回転させ持ち替え、逆手のまま体を捻ってウェルツを串刺しに掛かる!
▼ウェルツ▼
刀の目標が自分から使い魔に逸れた一瞬を突きウェルツも次なる旋律を右手で奏でるが、そこに刀の切先が突き出される!
「フッ!」
接近戦を得意とするヴィルトの方が技を繰り出すスピードが早いのは当然。使い魔に襲わせた程度ではこちらが後攻になる事は察しが付いていた。
右手は音を紡ぎながら、演奏に使用していない左手でレディアンスのネックを掴み、マイクスタンドを回すように回避する。
キィンッ!
狙いが逸れた刀は右肩を掠めたが、気に留めず直後に完成した魔曲を解き放った!
『crescendo・mesto-クレッシェンド・メスト-!!』
ブロードソードサイズの刃がヴィルトのやや斜め上を囲むように四本出現、挟み撃ちの型で振り下ろされた!
一方ウェルツはすかさずレディアンスを右腕で振り上げる――
先程の使い魔に続き、この刃も囮で放った術だった。真の狙いは…
「ハァッ!!」
ウェルツはヴィルトが四本の刃を躱した先へレディアンスを振り下ろした!
▼ヴィルト▼
今までとは一線を画すサイズの「メスト」、これを「敢えて受ける」は通用しない。
刃はウェルツの右腕を掠めるに留まったが、その勢いはまだ生きている。ウェルツへは一瞬完全に背を向ける形になるが、一旦屈み、左足を軸に水面蹴り。
咄嗟に浮遊で逃れるウェルツ、その演奏は止まらない。
「ならば――」
術士にも関わらず動きが速いのが厄介だった。数匹残った「プレスト」も鬱陶しい。
屈んだお蔭でヒットは遅れる、攻撃は後に回して刃の迎撃を計る。
軸足で踏み切って1本からは射程外へ、2本は薙ぎ払い、残る1本は刀で受け流すように、両腕で支える。
ギャリっと、刃と刃の鬩ぐ嫌な音。
背を向けた一瞬が命取りか、振り下ろされるグランドハープ!
ガツッ
ミシリ… と、体内を通して伝わる骨の軋む音。激痛が次いで身体を駆け抜ける。
「ぐ、う……っ!!」
こちらも、お前の腕を貰う――!
伸び上がるように突き出した切っ先の狙いは、右腕!
▼ウェルツ▼
右腕の破壊には至らなかったものの、これで身動きを取る度に彼は痛みに苦しんでくれる。
「――いいぞ…」
突き出された切っ先に対し浮遊した状態から更にバック転で斜め上後方へ翻る!刀は惜しくも狙いに届かず、代わりに髪を数本散らした。
回避の先に到達した宙で静止する。
「…身を裂く痛みの中でもその判断力は衰えんか。流石は俺が期待した通りの“獲物”だ――『staccato・grave-スタッカート・グラーヴェ-…』」
ミシッ。
“瞬間的な重圧”をヴィルトの頭上から落とし、片手片膝を地に付かせ一時的に捕縛する。
――ずっと気掛かりだったことがあった。
ヴィルトに背を向けると、ふわりと宙を滑空しながら遠ざかる。
着地した地点は、ハルバードの形状のまま地に深く突き刺さっているアイオーンの傍。ウェルツは地に視線を落として、見渡す。
「……ッ」
息苦しさと同時に血の味がした。自己治癒能力が高い種族ではあるが、銃器を嫌っていたが為に弾丸を直撃では受けたことがなかった。
…この分だと、まだ自己治癒には時間を要するか…。
――砂に塗れた床の上、そこに自分が身を挺して守ったものを見付けると、ウェルツは屈みこみ、拾い上げる。
「…やれやれ…死んでからも…俺に手間ばかりかけさせる…」
どこか懐かしむような呟きを漏らしながら、ウェルツは立ち上がった。
その手には、砂で汚れた赤い髪留めのスカーフ。
「――さぁて」
髪留めを懐に回収すると、一拍を置いて再び上昇しレディアンスを構え直した。
「特別に貴様のリクエストに答えてやろう。噛み砕かれたいか?串刺しか?それとも圧し潰されたいのか?」
▼ヴィルト▼
ドサッ と、
突如襲った重圧に剣を持たない右を出してしまい、堪えきれずバランスを崩して倒れ込んだ。
「……はぁっ、はぁっ、……は、……っく……」
少しでも痛みを抑えようと息を止めてしまう、リズムを失って余計に上がる呼吸。未だ体にくっついていたプレストを数匹掴むと、苛立ちと共に叩き潰した。
すぐ次の一手が来るだろう、ゆっくりしている暇は無いのに、体が思うように動かない。
そこへ―― 「死んでからも、手間ばかりかけさせる」?
ただの独り言だろう、額を地に着けたままで耳に届いたウェルツのその言葉に、訝りどうにか顔を上げると、先程散らした髪留めを拾う姿。
(どういう、ことだ?)
誰かの、形見? 失って感傷に浸るような者が、ウェルツにも居た?
一瞬早んだ鼓動は、過去の記憶か傷の痛みか。
雑念を振り払い、背に隠し持っていたダガーを添え木代わりに腕を縛って、立ち上がる。メストの欠片でも当たっていたか、頬を伝ってぽたりと血が落ちる。
(噛み砕く?串刺し?圧し潰す?――どれもごめんだ)
刀を握ったまま、自らの血で真っ赤に染まった左手を差し出し、誘う。
「降りてこいよ。オレと、ヤろうぜ」
あくまで、オレの本分は接近戦だ。
▼ウェルツ▼
ヴィルトの挑発に、ウェルツはニヤリと笑う。
――そうか、降参の意はない、か。
与えた選択肢は、全てウェルツが得意とする遠距離攻撃。接近戦を得意とするヴィルトにとって分が悪い。
己の限界を知っていれば、プレッシャーを感じたところで降参するのも一つの手ではある。しかし、降参という行為は“自らが”敗北を認める、ということ。
ウェルツは、この対戦に勝敗を求めていない。ただ、楽しませてくれればそれでいい。
仮にヴィルトがここで自らの敗北を認めていたとしても、ウェルツは止まらない。己の欲求を満たす為だけに、一方的に戦闘を続行してやるつもりだった。
ところが、ヴィルトは深手を負いながらも尚戦う意思を示した…そして僅かな勝算の可能性を信じ、己が最も得意とする戦法に持ち込む為に、逆にウェルツを挑発して来た。
――ここで自らを死に追い込むような行動を取るとは…どこまでも楽しませてくれる…!
「…いいだろう」
不気味なほど優しい口調で答える。
そして両手の指を弦の上に滑らせた。左右の指が別々に奏でる二重の旋律…術の同時発動『a2-ア・デュエ-』
「…そんなにイかせて欲しいのなら、貴様の望み通り、乗ってやる――だが…」
『変調prestoープレストー』『crescendo・mesto-クレッシェンド・メスト-』
言葉を切って指を鳴らした瞬間、宙を漂っていた残り4匹のピンポン玉サイズの使い魔がバレーボールサイズまで巨大化しヴィルトの四肢を狙い牙を剥く!
そしてウェルツは召喚したブロードソードサイズの両刃のメストを右手で掴み、二、三回試し振りすると接近戦を仕掛けるべく急降下する!
「俺相手に、あと何秒保つだろうな!?」
▼ヴィルト▼
ウェルツには余裕がある。ヴィルトを叩き伏せられるという、自信が。だからこそ、痛め付けることに執心し、命を欲する様子が見て取れない。
ならば、そこから生まれる隙を突く事が出来れば、勝機も見出せようもの。
とはいえ絶対的な力量差の埋め様は、未だ見付からない。
向けられる声調は、sanft molto(極めて優しく)。
術名と効果も予測は出来た。しかし演奏から発動までが如何せん早い。その分単発に留まるようだが……
近場に居たプレストが巨大化、先程と同様、ヴィルトを襲う!
「この程度――っ」
左半身を一旦引き、右足を軸にして、眼前の一体を蹴り上げる!続く左側の一体を、こちらから口に突っ込んで串刺し、振り払って向こうの一体へぶつける。
蹴った一体が戻ると同時に斬り付け、次いで右の一体を叩っ斬ろうとするが、噛み付く体勢をとっていたそれが、途端スピードを上げ、右腕に突進してきた!
大した威力ではないが、場所が悪い。
使い魔にそんな判断力が備わっているのか、追尾型が故か、ウェルツの意思が働いているのか、一瞬気にはなったがそんなことはどうでも良い。腕を庇うように下がり、刀の柄で殴打する!
退いたのを好機と、後ろから左腕に噛み付く一体。今度は膝に打ち付け、挟み撃ちにした。
(後、一匹……っ)
始末し切るより早く、ウェルツが肉薄する!
剣で応じればハープに防がれる、ならば。
右足でハープの縁を蹴り、牽制、その程度で退いてくれるウェルツではない。構わず剣で斬り掛かってくる! 刀で受け、多少のダメージはあるだろう、腹へ蹴りを放つ。
ヴァサッ と、音の割にはzartheit e presto(優雅に、そして急速に)、ヴィルトの頭上を飛び越え、背後へ回るウェルツ。
振り向きざま刀を斜め上から振り下ろす!
ガキッ
案の定防がれたが、弦の隙間から喰い込ませようと刃を滑らせ――
(右――ッ!)
回避、左の防御は間に合わない! 敢えて、右のダガーで受ける……!
「うあっ、ぐっ……っくう……――っ!」
固定に使った紐が切れ、ダガーはガシャリと地に落ちる。
顔を顰めながらも、残る一体を斬り払った。
▼ウェルツ▼
グランドハープを振り回せる腕力の斬撃。骨に損傷がある右腕で受けるには、致命傷を免れたとはいえ代償が大きい。
激痛に喘ぐ彼の声、表情が、ウェルツを駆り立てる…
ヴィルトが痛みを誤魔化すように刀でプレストを裂く。ここでウェルツは右手に携えているメストを手放し、同時に指を鳴らした――『toremolo-トレモロ-!』
パリンッ!
硝子が散る音を立ててメストが剣サイズから5本のナイフへ分裂した。刀の薙ぎで全て払い切れないよう、ワザとタイミングを僅かにずらし至近距離から放たれる!
狙うは、首、心臓本体、心臓周囲の動脈、左右の肺…一つでも直撃を許せば、瀕死へ繋がる致命傷は免れない。
――さぁ、コレをどう対処する…?
タイミングをずらしているとはいえ、一本一本のナイフの対処を練る時間などない。
ウェルツの視線の先で、“トレモロ”の効果を察したヴィルトは咄嗟に身を引き少しでも時間を稼ぎつつ、まずは無駄のない動作で首を狙ったナイフを回避。痛みを堪えた表情を浮かばせながらも同時進行で、負傷した右腕を動かした!
「ぐっ…ッ」
心臓を狙った二本のナイフを右腕を犠牲にすることで防ぐが、やはりナイフはヴィルトが予測した通り突き刺さった瞬間嫌な動きを見せた。激しく振動し傷口を抉りながら深く突き刺さっていく!しかし痛みに気を取られている場合ではない。激痛を噛み殺し右腕に喰い込み続けるナイフは後回し、肺を狙う二本のナイフの軌道を瞬時に計算すると左腕で刀を角度を調整して一気に薙ぐ!
キィン!
弾かれた肺を狙った二本のナイフは回転しながら宙に放り出される――しかし
「フッ!」
ウェルツは弾かれたナイフに魔力を注入する事で軌道を修正、刀を振り切ったヴィルトの腹部と脇腹へ突き刺さり、一際激しく振動を起こす!
「ぁあッぐ、あっああぁあああーーッッ!!……っ」
蓄積された分が押し出されるように、掠れた声で悲鳴を上げた。
喉が渇いて満足に叫ぶことすらできず、遂に許容量を超えたか、地に崩れ咳込むヴィルト。
呼応するように、腹部の傷から血が噴き出す。全身が激痛に強張る。
「……ふむ」
一拍置いて、彼に掛けた術を解除するウェルツ。傍へ歩み寄り彼の状態を窺った。
ヴィルトの息が、鼓動が、荒い。
全身に無数の切り傷、左肩周辺の衣服が黒く染まり、傷口も満足な治療がないまま既に乾き始めている。右腕は骨に損傷があり血を流す深い刺し傷が二ヶ所。両足の刺し傷は度重なる激しい動きに傷が塞がるどころか少し裂けている。腹部の刺し傷が、今一番出血量が多い。床に血溜まりを作り銀髪の髪を赤く、浸す。
立ち上がるどころか、とても動ける様子ではない。
「…流石に限界、といったところか…まぁ安心しろ。あとは…ラクにしていればいい。俺を楽しませてくれた褒美に、命は残しておいてやる」
声を掛けながら、レディアンスの尖った先端を地に突き刺すとその場に屈み込む。
右腕で息を荒げるヴィルトの首を支え上体を起こさせた。そして開いた首筋に爪を立てながら――
「…殺されずに、良かったなぁ?」
ぽつり、と優しい声で耳元に囁く。
――至福の時間が訪れた。
欲望のままに、左肩から鎖骨に流れた血をなぞって舌を這わせる。血を絡ませた舌を口内へ戻せば、渇いた身体に染み渡っていくような快感を覚えた。
一つ奪えば十欲しくなる。十を奪えば百が欲しくなる。続いて、首へ流れた血を、丁寧に、味わうように、舌で絡め取り始めた。理性の殻が、次第に剥がれていく――
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