人はお互いを映す鏡なのだと思う。
対峙する相手が自分の中に像を作り行動し影響を与える・・
結んだ像はたぶん対象のほんの一部だけど、その全部を知らない私にとっては、その人そのもの・・
生殖による『いのち』の継承とは違うけれど、その像は『いのち』の継承だと思う。
人が対象の像を形作り、それが『いのち』と呼べるなら、人は人と関わるだけで『いのち』を継承する存在・・
また、見るもの聞くもの全てが像を作る・・
作られた像は私の中で、現実と像の区別が出来ない程鮮やかで生々しく、それはなぜなのかそう思考した時・私が『生きて』いるから・・と言う考えに至った、だから映す像はその場に居る様な感覚を感じると思う・・
世界も人も『いのち』があり、私も『いのち』があるから、呼応している・・
なら、『いのち』ある私は、『いのち』ある世界に存在し、『いのち』を継承していく・・あやふやな実とその『いのち』を伝える存在として・・