回転!揺りイス固め 外伝

アメブロの同名ブログのスピンオフブログです。

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故.藤田まことさん

故.藤田まことさん
(2010年02月18日 15:43)

新着日記一覧

2010-02-28 16:26

東京見聞録(1)

第一章

 2月25日朝.山口~東京

*今回はすべてのブログ共通で進行しますので、人名の
ほとんどは伏せ字です。ご了承ください*

 いよいよ東京行きの日が来てしまった。
朝8時半に家を出る。先に鍼を打ってもらってそれから
空港に向かう。出発が12時過ぎなので11時くらいまでに
着けばいいなと言うことで、鍼が終わったのが9時半
だったので、そこから下通って空港まで一時間。
途中ちょいちょい寄り道しながら空港へ向かう...

 が、結構いろんなモノが目に入ってきて
写真撮りながら、それでも楽勝で空港に着いた。
結構汗だくになったのでシャツを一枚着替えて、
空港で搭乗手続きをすると...なんと12時の便が
欠航!!羽田が濃霧で飛行機が飛ばないという...
振り替えは16時25分になるという。
どうするんだ...

 とりあえず仕方ないので、家と25日に落ち合うことに
なっていたN氏にメールして、 仕方ないので
神田.アキバ散策の予定を宇部.小野田散策に
変更。しかし歩いてみるとやはりあるモノである。
結構いろんなネタがあって、暇はたっぷりつぶせた。

 小野田では本格広島お好み焼きを出してくれるところ
で10数年ぶりに遅い昼食を食べた。店は新しく
なっていたけど、味がかわっていなかったのは
うれしかった。具もたくさんだし、おなかいっぱいに
なったところで、再びロケハンに出て、小野田市街で
写真撮りまくり。で、だいたい15時過ぎたあたりで
バッテリーもやばくなってきたので、予備バッテリーと
交換した後、近くの銀行に無断で止めたマイカーに
乗り込んで再度空港に向かう。午前と違い、午後は
さすがに駐車場も埋まっていて、かなり遠くに泊めざる
を得なかったが致し方ない。

 手荷物がビミョーな大きさだったのであずけることに。
手荷物預かり所でほかのお客がしゃべっているのを
聞くともなしに聞いていると「16時25分の飛行機が
90分遅れている」という...

「え??」

 まさかと思って、二階に上がって空港ゲートを通って
待合室にはいると、あろうことか羽田が濃霧で遅便
とのこと。しかたなく、ちょっと早い夕食を取ることに。
カレーを頼もうかと思ったら、売り切れでやむを得ず
ふぐ天そばになった。さっきまで歩き回っていたせいか、
汗だくになりながらなんとか平らげる。

 しかしそれでも待てど暮らせど出発しそうにない。
アナウンスでどうも出発が18時15分になりそうと
いうことで、やむを得ずその旨をN氏にメール。
すると「埼玉のH氏宅に泊まられると言うことでしたので、
後日時間とって会いましょう」という返事が。
申し訳ないが天気には勝てない。

 結局18時過ぎにようやく搭乗が始まり、かなり
あわただしくフライト。人生初の夜間飛行になってしまった。
ここまででかなーり疲れていたのだが、シートベルトは
結局最後まで外せなかったし、機体は気流で揺れまくり。
おまけに座席は非常口の真横で、「万が一の時は協力を
御願いします」といわれてしまうし...

 見ているとCAさんが機内で配る飲み物をこぼして
しまったりしていたのを見てしまったり、結構あたふた
しているのが伝わって、なんか落ち着かない。
時間的には新幹線に乗っても大してかわらなかったと
いう結果になってしまったし。

 よかったのは東京湾の夜景が、上空から拝めたことで、
横浜や海に浮かぶ屋形船などが拝めて
それはそれで雰囲気も良くて良かったなあと
思いながら、羽田に到着。

 この時点で既に19時40分。ここからH氏との待ち合わせ
場所の新宿まで移動するには軽く一時間はかかる。
途中レインボーブリッジや、天王洲アイルの夜景も
堪能しつつ、品川で乗り換えて新宿へ。
車内でケータイのメモ帳に日記を書くが、みんな
ケータイを見ているので、そんなに浮いた感じはしない。
20時台は山手線もそこそこ少なかったのだが、21時が
近くなると逆に再び人が増えてラッシュアワーパート2が
はじまってしまうとは思っても見なかった...

 やはり15年のブランクはここで痛いくらいに
感じてしまった。

 到着してからH氏にメールするが、落ち合えるのが
22時半くらいになりそうとのこと。どっかで暇
つぶさないと...と思いつつも夜の新宿は勝手が
違いすぎて散々迷ってしまう。東口に出ないといけないのに
西口に出てしまったり、日本一危険な夜の歌舞伎町は
深夜にもかかわらず人だらけ。都庁前は深夜バスの
乗り降りでいろんな人が歩き回っているし、そんな中
人の流れに流されて右往左往しているとだんだん
心細くなってきた。
そしてH氏からさらに遅れそうというメールが入った
ため、やむをえず新宿コマ前のビルにあるマンガ喫茶に
はいる。偶然にもここの七階があの有名な
新宿フェイズだったのを後で知った。

 初マン喫体験がこんな形になるとは思っても
見なかったが、やむを得まい。 

 週プロをもって座敷部屋にはいるとなんか
疲れがどっと出てきた。
活字読む気もなくなってしまったので、アメブロで
メッセチェックでも...と思ったら、アカウントが思い出せない。
後でよーく考えてみたら名刺に書いていたのが、
きれーに忘れていた。そして飲み物をうっかり
こぼしてしまい、あたふたしながらそこら中をタオルと
ハンカチで掃除。やっと見られたなあと思ったら、
H氏からメールがあって、待ち合わせ場所に
着いた由。

 外に出てみるとH氏が立っていた。
ここから埼玉のH氏の家(新.昭和亭)まで帰ることに
なる。時既にもうすぐ日付が変わろうとしていた。
深夜の最終便はごったがえし。かなりぐったりとしながら
埼玉のH氏宅に。もう深夜と言うことも忘れてつい
声が大きくなってしまったり、ケータイのプッシュ音が
やかましかったりで、やはり都会は「音」に関しては気を
配らないといけないのだなと言うことを痛感。

 シャワーをお借りしてすっきりした後は、アイスリボンやら
頑固プロレス、さらには藤原組長対ウルトラマンロビンの
関節技拷問マッチ^^とか貴重な映像を見せてもらっていたら
あっという間に深夜三時。これで朝は7時に家を
でるという。

 まあよそに来ているという緊張感ともともとが睡眠障害
もあるので起きることに関しては別に問題なかったの
だけど、予定外のアクシデント続きであっという間に
1日が終わってしまった....(続く)
 ■俳優の藤田まことさんが急死
(読売新聞 - 02月18日 11:53)

 テレビのお笑い番組「てなもんや三度笠」や時代劇
「必殺」シリーズなどで人気を集めた俳優の藤田まこと
(本名・原田真=はらだ・まこと)さんが、17日午前
7時25分、大動脈破裂のため、大阪府内の病院
で亡くなった。76歳だった。

 父は無声映画時代に活躍した時代劇俳優の
藤間林太郎、伯父は女形の曽我廼家弁天という
芸能一家に生まれ、子供のころから子役として度々、
映画に顔を出していた。19歳で歌手を目指して上京、
地方回りの劇団で司会やコント、声帯模写など
様々な芸を磨いた。

 1950年代末から、大阪・朝日放送の「びっくり捕物帖」
「スチャラカ社員」で頭角を表した。62年から始まった
同放送の公開コメディー番組「てなもんや三度笠」では、
白木みのるさんと珍道中を繰り広げて爆発的な
人気を獲得、50%を超える高視聴率を記録した。

 72年に始まった「必殺」シリーズでは、表向きは
妻と義母には頭が上がらないが、人知れず悪を倒す
仕事人の中村主水役を好演。硬軟両面を巧みに表現
した。同シリーズ終了後は、ドラマ「はぐれ刑事純情派」で
刑事役に挑戦。一見地味だが、人情味あふれる
刑事役が共感を呼んだ。

 映画でも、68年の小林正樹監督「日本の青春」では
学徒出陣した男の半生をシリアスに熱演。ベストセラーの
映画化「積木くずし」(83年)では、非行に走る娘に苦悩
する父親を好演した。ミュージカル「その男ゾルバ」で
91年に芸術選奨文部大臣賞を受けるなど、舞台でも活躍。
2002年に紫綬褒章を受けた。

 近鉄ファンの偉大な先輩として
また、当然ながら必殺の主水さんとしても
尊敬しておりました。

 大好きな大好きな俳優さんでした。
ついこの間出演作「わるいやつら」を見て
改めてその演技の幅に感服していたところでした。
今はショックで言葉がうまく出てきません...

 なんといったらいいんでしょうか...
悲しすぎます。

 ああ、でもこれで必殺が見られないのか...
残ったスタッフで続けていくのかは定かではないけど、
もうあの味わいは見られないなあ...

 ただ、ただご冥福をお祈り申し上げます...
今日、宇部の映画館まで今年初の映画鑑賞にいった。
昨日突然思い立って、調べてみたら、今日がメンズデー
ということがわかったため。

 見にいったのは既に09年11月に
全国公開されている「劇場版マクロスF.虚空歌姫
(イツワリノウタヒメ)」。
こちらでは1月30日より公開になっている。

 ちょっと家を出るのが若干遅くなってしまったのだが、
思ったより早めに宇部入り。ちょっと道は間違えたけど、
何とか映画館にはたどりついた。

 おりしも、テレビ版「マクロスF」の県内放送が
昨秋よりはじまっており、そのせいか、
昼間にもかかわらず結構入っていた。

 ただ、この映画館来てみてわかったのだが、
窓口はひとつきりで、多分「アバター」目当ての客が
並んでいたと思うのだが、結構チケット買うのに
順番待ちさせられた。

 入り口にはアバターの3D眼鏡が持ち帰られて困るという
告知板があった。3D眼鏡というと昔のセロハンはっただけの
チープなものを想像していたのだが、どうも
そういうものではないようだ。

 でもなんか威圧的な書き方をしていたのがちょっと気になった。
なんか入ってくる人全部がドロボーみたいな...
それなら事前に回収しますとか、場内アナウンスで告知するとか
いろいろ方法はあると思うのだが....

 映画の内容に関してはここでは書かない。
ただ、私はテレビ版のオチの方が好き
かな、という程度。
これは個人の好き嫌いがあるので仕方
ないと思うが...

 ただ、絵は凄い綺麗。
そしてマクロスで最も重要な要素の一つ「音楽」
のライブ臨場感を味わいたいのであれば
この作品、劇場鑑賞をおすすめしたい。

 で、この記事のタイトルってどういう意味かって?
それをこれから話す前に映画館のHPから転載した
規約をご覧いただきたい。

[お願い]

 各機関からの指示により中学生以下の方は
日没後に開始する作品、18歳以下の方は23時以降
に終了する作品には保護者同伴にてご入場ください。
なお、幼児のみでのご入場はご遠慮ください。
また、一般映画にお子様同伴で入場される場合、
他のお客様に迷惑にならないように保護者の方
が十分ご注意ください。当劇場では、劇場売店商品
以外の飲食の持込みはご遠慮いただいています。
また、館内での携帯電話等の使用、喫煙は固く
お断りします。他のお客様に迷惑となる行為を
された場合、退場していただくことがあります。

 で、私が何をしていたか。
劇場入り口近くにあるポスターを写メで撮っていた
のである。すると、血相変えた従業員がやってきて
「お客様、撮影はちょっと..」という。
たまたまデジカメを車内に忘れてきていたのだが、
じゃあデジカメだったらよかったのか??

 劇場内が撮影禁止なのはわかるし、映画を撮影するような
マナー違反はしない。だが、ポスターまで撮影禁止にする
のであれば、例えばじゃあ、劇場の外のポスターや看板まで
撮影禁止なのか?ポスターを販売していたかという
とそういうわけでもないし。
 それともケータイを出していたこと自体が
悪かったのか??

 でもケータイにしてもロビーでNO
といわれたことはないし、小倉でも下関でも
ロビーの撮影でとがめられたことは一度もない。
てかデジカメでばしゃばしゃ撮っているし^^
ということはこの写真もNGなのかな??


 かえりみちいろいろかんがえてみたけど、
どうにも腑に落ちない....
ケータイでロビーのポスターを撮影することが、
映画館にどれだけの不利益があるのか...
問いただしてみたかったけど、面倒なのでやめた。

 こんなんだったら九州で上映待てばよかったな。

なんか雰囲気よくなかったし...

 多分、二度とここへは行かないと思う。
見たければ小倉いった方が良さそうだから。
 ついにこの日が来ました。 30日に
プロレス居酒屋がむしゃらにいってきたのです。
昨年秋に始めてがむプロと出会ってあっという間に
距離が縮まっていったのが我ながら驚きなのですが、
とにかくこれも縁だと思うのです。

 先に下関入りしていた名物男.K団長を迎えに下関競艇場
へ向かったのですが、最終レース終了後の大渋滞に
巻き込まれて、このままでは間に合わないと
判断した私はとっさに高速に乗って小倉入り。

 そのまま小倉駅へ直行してマイミク.タックルさんと
メディコさんを乗せる...はずがお二人とも姿が見えない。
何度かの電話のやりとりで実はお互い全然違うところに
いることがわかり、どうにか合流して私の車で三萩野へ。

 モノレール三萩野駅からほんの少し奥まった昭和町
というところに目的地はありましたよ!!
途中今では珍しいぐい飲み屋もみつけて、それもノスタルジック
な空気感を満タンにしてくれていました。







 店にはいると、華☆激の久保希望選手がお出迎え。
実は久保選手は普段はここで働く店員さん。
リング上とはうってかわった物腰の柔らかさに
驚きつつも、まずは乾杯。

 しばらくするとオーナーが登場。
連れにがたいのいい男の人が一緒で誰かなあ
と思っていたら、後で「九州プロレスの阿蘇山です」
と挨拶されてびっくり。




 聞けばお店にはそんなに顔を出していないそうで、
たまたま大阪プロレスのポスターをもってきた
時に我々と遭遇したのである。なんと旧知の
タックルさんとは約10年ぶりの再会となったそうで、
話も弾んでいた。なんでも昨年ご結婚されたそうで、
めでたいことです^^

 オーナーのドン.タ...いや、オーナーさんとはこの間の
感謝祭の裏話も聞かせていただいた。
がむスターズの結成はガチで知らなかったそうで、
「あんなはっぴまで用意していたとは...」
といっておられた。

 挨拶の時にカンペ見たらあがってしまって
余計に緊張したともおっしゃっていた。
暗闇のVIPの時とは打って変わった
柔和な物腰に、10年もお店と団体を
続けてこられた秘訣を見たような気がした。



 まもなくするとがむプロの選手たちが
大挙来店。実はこの日が偶然にも
今年初めての選手ミーティングだったそうで、
これも偶然なのだが、選手用の名刺を
つくって送っていたのを今中選手が代表で皆さんに
配ってくださった。皆さん丁寧に席を立って
お礼を言っていただいたので恐縮至極...
せっかくのミーティングをじゃましてすいませんでした。

 まもなくしてメディコさんが三沢光晴の名がついた
カクテルを注文。バナナということでなぜ?
と思っていたら、青バナナで作られた
綺麗なエメラルド色したカクテルだった。


 
 名物の豚足も柔らかくておいしかったし
フツーに味わっても全然ノー問題^^





 21時でメディコさんが途中退席
された後も我々は居残って、選手のミーティング
の邪魔にはならないよう、気は遣っていたものの、
結局盛り上がってしまった。
どうもすいません....

 中国で日本語教師をしている
K団長もご機嫌でしきりに中国娘との
ツーショットを見せてくれた。
またこれがみんなかわいいの...

 団長も話ししていたけど、中国でに拠点を置いて、
3ヶ月だけ日本に帰るというスタンスにしたい様子。
それはそれでいいかもしれないなあと思った。

 団長が言い残した言葉で印象的だったのは
「自分が日本にいたときは10代の女の子が
ターゲットだったけど、それは自分と年齢差が
10才くらいがちょうどいいと思っていたからで、
今40近くになってみて、20代の女性に目がいくと
言うことは、20も年下に興味を持っていると言うことで
逆に(年下趣味が)ひどくなったんじゃないか」
といっていた^^

 まあ、娘ほどの年齢といわれれば確かにそうだ。
我々も年をとった...

 でもプロレスを通じて出来たご縁で
こうしてまた話が出来たというのも
凄いこと。やはりプロレスは私たちにとっては
かけがえのないモノであるということを
再確認させてもらえた一夜になった。

 そうそう肝心の名刺&チラシ配りですが、
友人たちと選手の一部には配れました。
全部は配りきれなかったのだけど...

 そして...
なんとその場で2件お仕事いただいちゃいました。
まあともだちつながりとはいいながらもこれは快挙
ですよ。

 ということで、終わってみれば大満足。
気がつけば23時回っていたし^^
ということでお会計をすませて席を立とうとしたら
なんと選手全員が立ってお見送りをしてくださった。
本当に恐縮でした...
ありがとうございました^^

 今中選手が「今度2月28日にそこの公園でリング
組んで試合しますので来てください」といわれてしまったが
28日は東京から帰ってくる日...
とんぼ返りで小倉までいくわけか...

 大丈夫か??
さすがにちょっと自信はないぞ...

 でも今中選手に「28日自分の誕生日なんで」
と言われた日には行かなきゃいかんでしょう...

 ということで大満足の5時間強の飲み会は
楽しいまんま終了。
あまりのことに興奮して眠れなくて
2時くらいまで起きていたのですが、
悲しい習性で6時には目が覚めてしまったのです。
それでも食事してクスリを飲むと今度はもの凄い睡魔が
襲ってきて、結局出かけるギリギリまで寝てました^^

 で、雨の中、31日には異業者交流会
というか市のお見合いパーティー
(こっちの方が実はメインのイベントだったのです)
に行ってきたのですが、時間が妙に余っていたので
近場でおかしな看板の撮影にいそしんでいたら、
あっという間に時間が来てしまい、会場の唐戸市場の会議室に
あがってみると、もう何人か見えられていて着席されていました。

 さて、今回のポイントは彼女作り...
ではなくて名刺とチラシ配りなので、もう目的は
それ一本。というか、それにしかさける残存エネルギー
がなかったので、最初の一分間で全員の女性と
自己紹介する時間内でほとんどのチラシと名刺を
配りきってしまいました。 (名刺は当然ちぃの
アドレス入り^^ここ重要ね^^)

 一分ですから、相手の話なんか聞いていませんし、
一方的にセールストークをぶちかましていたので、
中には露骨にいやがる方もいらっしゃいましたが、
もうスイッチの入った私をとめることはできません。

 ということで、この自己紹介タイムが終わると
もう半ば灰になっていまして^^
燃え尽きかかっていたのですが、本番はここから。
料理教室がありーの、ゲーム大会がありーの、懇談会がありーの
とメニューは目白押し。

 しかし、昨日の疲れとクスリの副作用で半ばもうろう
としていた私...なんとゲーム大会(球技)で
優勝してしまいました。もう場の空気とか
そんなの読む気力がなかったのと、いい感じで力が
抜けていたのが奏功したのだと思いますが、
勝負事にはからっきし弱い私がまさかよりによって球技で
優勝するとは...しかも初めてやったゲームなんですよ...

 その後はもう英雄扱い...
...............

というわけにはいかかったのです。
結構この球技、神経を使う競技でして、
終わったとたんにまたどっと疲れがぶり返して
しまい、もう後は台詞無用の無言劇ですよ。

 最後のパーティーで結ばれていくカップルを横目にしつつ、
私は座ってケータイいじっていました。

 とはいうものの、今できる自分の精いっぱいは
やったつもりですし、5年客商売から離れていた
にも関わらずセールストークがさび付いて
いなかったという点に関しては自信を持てました。

 あとはもう一押し...
男性にチラシと名刺を配っておきたかった。
ただ、回りはすべて婚カツで来られている方達ばかりなので
男から名刺もらってもぶっちゃけ嬉しくはないですよね^^
私が逆の立場だったらそう思いますもの。

 でも今回の反省材料を生かして次は同業者交流
の場に挑みます。場所は東京ですが、アウェー感は今日の方が
数倍もありましたから....

 これが乗り切れたんだからもう怖いものナシですよ。
後は燃え尽きないように気をつけて^^

 あーでもマジ疲れました...
昨日から数えたら睡眠時間はさんで
ほぼ20時間近く人の中にいたことになります。
鬱的にはかなりやばい状況で、いつダウンしても
不思議ではなかったのです。

 ですから、婚カツ的には惨敗。
営業的には両者リングアウト
といったところでしょうか。

 はっきりいいますが、両方やるのは無理です!!
片方に絞って顔と名前を売った今日の私は決して
間違っていなかったと思いたいですし、
そうであって欲しいと思います。
 
 で、私めのチラシおいてくださる
お店とか施設に心当たりの方、是非私のチラシを
おかせてくださいませんでしょうか。たいしたお礼
はできませんが、なんか描いてプレゼントさせて
いただきたいと思いますので...

 よろしくお願いしま~すぅ^^