ちーずブログ
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プロレス的イラスト.ドイス.ボ(2010年03月21日 18:07)
TA-KI対東方不敗完成版短縮(2010年03月21日 18:07)
プロレス的イラスト.ジョーカー(2010年03月21日 18:06)
ジョーカー対BJ(2010年03月21日 18:05)
アイさんだぁーっ!(2010年03月06日 11:55)
マンガチラシ(2010年03月03日 11:48)
新着日記一覧
プロレス的イラスト
現在アメブロを中心に「プロレス的」イラストの
普及活動をしています。
これは流れが二つあって、
ひとつは「あなたを勝手にプロレス的に描きます」
というのと「ありえない対決を勝手に描く」という
二通りがあって、一応リクエストは募っているのですが、
大半は勝手に描いているのです^^
ではなにが「プロレス的」なのかというと、
プロレスイラストですと描くひといっぱいいます。
競争率も高いです。
なので、プロレスを使っていろんなものを
表現してみようと言うことで「的」という字を
いれました。これ重要なんです。
そこで実例を4枚。
まずは一枚目ががむしゃらプロレスの
エース、JOKER選手とBJらしき医者との対決^^
これは初出です^^
今描き上げたばかりなので^^
なぜこれを描いたか...
実はJOKER選手、近々手術を行うため、
現在入院されています。
当然4月の大会は欠場です。
なので、生で見られない鬱憤を
イラストで晴らしてしまいました^^
では対戦相手がなぜBJみたいな医者か?
それはまあ手術という難敵に
共に立ち上がるという意味を込めました。
昔、東映まんが祭りで「マジンガーZ
対デビルマン」のように実際は「共闘」なのに
いかにも「両者が闘いますよ」みたいなあおりに
まんまとだまされて劇場に足を運んだ
かつての子供の一人として^^
そのロジックを今使わせていただきました。
これだと十分意味が通じるわけです(笑)
で、3枚目はその一つ前に描いた
TA-KI選手対東方先生。
これはTA-KI選手が大のGガン好き
ということで、「それならば闘ってもらおう」
という事で描いた、この企画の原点のような
ものです。
おっていろいろなバージョンをまた
発表していきますのでお楽しみに^^
なお4枚目のイラストは...
なんとお買い上げいただきました。
4月10日にご本人に手渡しすることが
きまりました。
勝手に描いていただけなのに
ありがたい話です。
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東京見聞録(7)最終回
いよいよ長きにわたって書き連ねてきた見聞録も
今回で最終回。正味滞在したのは3日足らずだったのに
書くことは7回分もあったとは我ながら驚いている。
さて、かぶきを出てから一堂ご機嫌のまま最寄り駅まで向かう。
常連の酔猫さんでも聞けない話が聞けたとかで今回は大満足の
会合になったみたい。私も大満足だった。
陸橋でまだ飲み足りないというN氏ら一行と別れた私は
途中まで笠原さんと同行。彼も酔っぱらっていて、
しきりに「M子を嫁にもらってくれ~」と私に懇願していたが、
どうしろというのだ^^たぶんしらふに戻ったら絶対忘れて
いると思うのだが^^
またおみやげが後回しになってしまったのに、わざわざご丁寧に
頂き物までしてしまい、恐縮だった。
最後は握手をして別れた。根はいい人なんですよ、M子さん^^
電車待ちしているとたまたま上福岡の手前、和光市まで乗れる便に
のって、そこからまた乗り換えて上福岡まで。すっかり遅くなってしまっ
たのだが、妹が迎えに来てくれた。
ありがたい話である。
寝床で今日いただいたサインを広げてにやにやしてしまった。
感想なんかも書いているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。
朝は定刻よりやや早めに目覚める。
やはりここはどんなに枕がかわってもかわらなかった。
でも、汚い話だが大の方はとうとう上京している間一度も
行くことはなかった。やはり緊張していたのだろう。
甥が「もう帰っちゃうんですか」と言っていたけど、
私も淋しいのだ。しかし、帰りの時間は迫っていた。
姪もなついてくれたし、久々にあえて私もうれしかった。
ちゃんとお見送りもしてくれたし。
妹とは上福岡駅で別れる。
来年甥が中学受験することをここで知る。まあ本人に特別な
気負いがないみたいだし、入れればいいや的な感じでいたので
そんなに心配はないみたいだ。沖縄のおじいさんからは
医者になれと言われているらしいが、甥は「手術失敗したら
どうしよう」と余計な心配までしていたらしい。
なってから考えろよ^^
上福岡からは今度は各停で池袋まで。
そこからまたしても山手線で品川まで。とうとう最後まで
お日様は拝めなかった。天候的には恵まれない旅だったが、
収穫はありあまるほど手に入った。無形の財産となって
きっと今後の私にとっての指針になってくれると確信している。
で、品川から京急に乗って羽田まで行ったのだが、
例のキモカワパンダのキャラを生で見てしまった!!
ああ、これがそうか、と。
東京にいる間に拝めて良かった。しかも毎日新聞とコラボしているし
...なんなんだ、こいつは^^
羽田までは快速で二駅。
あっという間についてしまった。搭乗手続きもスムーズに行き、
手荷物預かりもすませてほぼ手ぶらで搭乗口に向かったのだが、
これがまた一番端っこ。だから歩いても歩いても着きはしない。
どんだけ歩くんだよと言うくらい 、歩き回ってやっとついたら、
なんと津波警報が出ているではないか。
後で知ったのだがこれがチリ大地震の余波だったんだけど、
アナウンスでも発着を見合わせている便もあるらしい。
全く...行きは霧で帰りは津波かよ...
とはいうものの、山口宇部には全く支障がなかったみたいで、
定刻通り飛行機には乗れて、難なくフライトできた。
西日本に行くと打って変わって晴天。
水平線が美しい。地球が丸いんだなあと言うことを当たり前
のように知る。こうして上空から見ると瀬戸内海も美しい。
島々もたくさんあって、まだ未踏の地である四国もはっきり見えた。
山口は気温13度ということで寒いのかなと思っていたのだけど、
こちらもはれていて、いい感じに暖かかった。もっとも
翌日からは雨天で寒くなったのだけど。
東京でお世話になった方々には無事つきましたとメールを打って、
帰りがけまたおかしな看板を見付けてはパシャパシャしながら
途中、行きがけよったお好み焼き屋でまたモダン焼きを食って
家に着いたのは14時過ぎだった。
さすがにその時はテンションがあがっていて、数日はハイになっていた
けど、あれから一週間が過ぎて、正直今体にダメージが半端無く
押し寄せている。
とにかく集中力は欠けているし、ものはなくすし、柱に頭はぶつけるし
全然ダメダメなのだ。それでもお礼状を書き上げて投函もしくは送信
したところ、星空けい(Mary)さんから「実はプロレス好きなんです」
と意外な返事をいただいて、さらに驚いたのはくすっと癒すイラストレーター.
アイさんがなんと猪木酒場でバイトしているという
新事実が発覚したこと!!これはぶったまげた。
あのかわいらしいアイさんと、燃える闘魂
がまさか線で結びついていたとは。
今度行くときは是非に乱入しますので^^
というわけで有形.無形の財産をいっぱい
抱えて帰還できたことは
本当にうれしかったし、ありがたかった。
これを次に生かすも殺すも自分次第。
そういう意味ではまだまだ精進して参りますので応援のほど
よろしく御願いいたします。
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東京見聞録(6)
実を言うとカブキさんが率先して口をきいてくださった
というわけではなく、実は落語家でもある笠原氏の絶妙な
トークに引き出されていろいろお話ししてくださったというのが
本当のところ。しかし、いやな顔一つせず、いろいろなお話を
聞かせていただいた事は本当に感謝したい。
まずはアメリカでの活躍の話から。
当時のダラスというのは誰でも来たがるドル箱エリアだったらしく、
毎回2万もの観衆をフルハウスで埋めるそれは凄いモノだったらしい。
当時しきっていたのは、ご存知鉄の爪.故.フリッツ.フォン.エリック。
で、実は息子のケビン、デビット、ケリーのレスラーとして
の教育を任されたのがカブキさんだったのだ。息子たちはエリック
の前では直立不動で「イエス.サー」というくらい徹底した
礼儀作法を仕込まれていたそうで、ただ、道場とかで練習している
ヒマがないため、実戦訓練と言うことになったらしい。
で、カブキさんが「アメリカのスタイルで行きますか、日本のスタイル
でいきますか」とフリッツに聞いたところ、かえってきた答えは
「もちろんジャパニーズスタイルだ」ということで、カブキさんと
息子たちの試合が連戦で毎日のように組まれ、その度に息子たちは
カブキさんにぼこぼこにされていたらしい。それを見てフリッツは
にんまりとしていたそうだ...ひょっとしてサディスト?それとも愛の鞭
だったのか...いずれにしても彼らがひとかどのレスラーとして名を
はせたのもカブキさんのおかげだったというわけだ。
また、故.ハル園田さんがアメリカ遠征時、食えなくてバイト生活
をしていたことがあったそうで、カブキさんが連絡を取ると
実は生活に困窮していると園田さんが明かしたので、じゃあ、
こっち(NWAエリア)にこい、ということになって、そこで
マスクマンとしてやっていくことになった園田選手を
マジック.ドラゴンにしたのがカブキさんだったと。
あのマスクはカブキさんが作ったのだそうだ。すげぇ...
また新日本から海外遠征に出ていた谷津選手の面倒も見たそうで、
猪木さんから「今度うちの谷津っていう若いやつがいくことになった
から面倒見てやってくれ」と頼まれたそうだ。だがその時カブキさんは
谷津選手がどういう選手か全く知らなかったそうで、とりあえず引き受けて
プロモーターに掛け合ったところ「短期間なら」という条件付きで
谷津選手の身柄があずけられることになり、そこでついたトラ.ヤツという
リングネームもカブキさんが発案したモノだそうだ。
で、全日本に凱旋と言うことになったとき、別に新日本でも
よかったらしいのだが、馬場さんから電話があって(なんとカブキさんが
馬場さんの物まねを披露!)「そろそろもどっこい」という話になった
らしい。まあ海外で名をはせて稼ぎも鰻登りになっていた
カブキさんが日本に帰るメリットは全くなかったみたいなのだが、
とりあえず帰ってくることになって、でもギャラに関しては結構シビア
だったみたい(なお、Sにしてもそんなに噂されるほど羽振りは良く
なかったそうで、これは意外だった) 。曰く「大熊や小鹿の手前おまえだけを
特別扱いには出来ない」といわれたとかで、派手な凱旋のわりに
結構扱いは良くなかったみたい。
で、どうもカブキさん、 話の端々で馬場夫人を元子と呼び捨てにしていた。
馬場さんも猪木さんも「さん」付けだっのにこれは笑ってしまった。
ただ、馬場さんの話をおもしろおかしくしていると言うことではなくて
「こうして話をすることが故人の供養になる」という
考えからのようだったので、それを分かった上で聞いていると
おもしろい事この上なかった。
話はさらに深いところへ。
日本プロレス時代、とはいってもカブキさんの世代は既に
力道山を知らない世代にあたるため、直接のボスは豊登に
なったらしいが、この方、とにかく噂通りばくちが好きで、
どうしようもないという話は聞いていたのだが、意外にも
カブキさんの評は「確かにばくちは好きだったけど、人間的に
どうこういうことはなかった」と言うことだった。
また、新日本登場時やりにくくなかったですか?
という問いには「いや、先輩なのは猪木さんとか坂口さんくらいで、
後は小鉄っちゃんとか星野さんとかは気心しれているし
藤波選手は以下は後輩だからやりやすかったよ」とこれも意外な
発言。猪木さんに関しても世間で言われているほど悪人ではないとも。
で、今のレスラー評を聞かせていただくとまず口をついて出たのが
ノアの杉浦の名前だった。そして新日本だと真壁という答え。
ただ、真壁に関してはギミックで勝負するのではなく、
レスリングで怖がらせるヒールでないといけないというのが
カブキさんの持論だった。
「今の選手たちは意外性がないよね。小橋と健介のチョップ合戦
なんてお客に読まれているでしょ。お客が想像する一歩先を提供しなきゃ。
コーナー詰められたときに一歩前へ出てアッパーくらわせたり、
そういうことをしてはじめておおってなるんだよ。
今の団体.選手はお客に迎合した試合をやり過ぎ
ている」と辛口評も。
また、同じ毒霧を吹くTAJIRIにしても「彼はレスリングの
基礎が出来ていない。上っ面だけで毒霧吹いて終わり、あれじゃだめ」
と意外にも激辛評。とにかくカブキというギミックで世に出たカブキさんが
それだけではなめられると踏んで、基礎をおろそかに
しないようにしていたということは言葉の端々から伝わってきた。
ただ、「強いか弱いかというのはスポーツの選手の世界の基準で
プロではそうじゃない。どれだけお客を入れたか、どれだけお客に満足して
もらえたか、それがプロの世界だ」とも。
その上で一番強いというかうまいのは、やはり、リック.フレアー、
ハーリー.レイスそしてホーガンだったという。
カブキさん曰く「ホーガンがレッスルマニアの3だったかでもらった
ギャラの記録は未だアメリカでも破られていない」ほど高額
だったそうで、何億ドルにもおよぶものだったらしい。
またレイスは確かに強かったらしいと言うのは証言されていたけど
「それよりなによりアンドレが本気出したら誰もかなわなかったよ」
とやはり、「最強」は人間山脈にとどめを刺す結果になった。
アンドレはドレッシングルームでもボスであったことは
事実らしい。しかし、そんなにいやなやつでもなかったそうで、
みんなが一目置く存在だったらしい。
話を聞くのに夢中になっていて写真を撮り忘れたのだが、
実は出されてくる料理はどれもこれも絶品で、うまいモノばかり!!
これは本当に至福の瞬間だった。胃袋は料理で、心はプロレストークで
満たされる。なんて贅沢なひととき!!
カブキさんの話はまだまだ続く...
8.26のオールスター戦で鶴田.藤波.マスカラスの相手として
選ばれたのは、実を言うと指名だったそうで、あれは別に余ったから
組まされたとかそう言うことではなかったらしい(ちなみにカブキさんの
ほかはマサ.斉藤さんとタイガー戸口さん)。
そして、全日本末期の話にも。
正直カブキさんやる気がなかったそうで、一時期ペイントせずに試合に出たら
馬場さんから「元に戻してくれ」っていわれたそうだ。
でももうあまりやる気が失せていたので、テキトーでいいやということで
バットマンのペイントしたりしてリングに上がっていたそうだ。
そして鶴田とのタッグでインターのベルト挑戦させるからといわれても
もう気持ちは離れていて、ベルト奪取してから一週間で返上を申し入れたとも。
ここでカブキさんに件のパンフ(87年11月全日本下関大会)
にサインを入れていただくチャンスが巡ってきた。
さすがにカブキさんも懐かしそうにごらんになられて
いたのだが、「みんな亡くなった選手ばかりだねぇ」とぽつり。
そう実はメインで組んでいたハル.園田選手はこのすぐあと事故死
されているし、この日、栗栖正伸と闘っていたテリー.ゴディも既に
故人。そしてカブキさんがサインを入れてくださった写真の隣には...
二代目タイガーマスク(故.三沢光晴さん)の姿が...
最初カブキさん気がついていなかったみたいで、サインを入れられた後で
「おおっ」といって驚かれていらした。
そういえばこの日闘っていたロード.ウォーリアーズのホークも
そしてその対戦相手だったテンタも故人...
それを思うとカブキさんが生きてこうして元気なお姿で働いて
いらっしゃるのを見られただけで本当にうれしくなった。
そろそろラストオーダーとなってきた。
ここで酔猫さんが私を紹介してくださり、
私が下関から来ているんだと言うこと
を告げてくれるとカブキさんはなんと私の隣に。
これはチャンスとばかりに色紙を手渡すと、
びっくりされたみたいで
「墨のにおいがするねぇ」とうれしそうに
受け取ってくださった。
当然記念撮影もしていただいて、もう本当に忘れられない
一夜になった。
まあ、笠原さんの引き出し方も良かったのだけど、やはりカブキさんが
素人にもわかりやすく、プロレスのなんたるかを包み隠さず
語ってくださったことが一番うれしかった。
アンタッチャブルな話題など実は一つもなかったのだ。
強いて言えばカブキさん風に言うと
「元子」の話題がそうだったかもしれないが^^
とにかくそれが一番うれしかった。
ちなみにこの日カブキさんと共に店を切り盛りされていたのは
奥さんとお嬢さん。お嬢さんは17歳だそうで、奥さん似の美人。
姉妹と言われても不思議ではないくらい。カブキさんが大事にして
いらっしゃるのがわかる気がした。
最後はカブキさんが一人一人に握手
して(しかも両手で)くださり、なんと店の外まで
出てお見送りまでしていただいた。
大変恐縮である。本当に本当にいい方だった。
また是非伺いたい...そう思わずにはいられなかった。
私はこの日のことを決して忘れることはないだろう。
プロレスファンであり続ける限り、永遠に...
(続く)
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東京見聞録(5)
*今回多少くどい表記があるのはアメブロ~プッブログまで記事の内容を同じにしているためです。ご容赦!!*
さて、新宿まで戻った私が何をしたのか。
それは25日、霧のため飛行機が飛ばずに泣く泣く
キャンセルしたN氏との会食なのだ。ただ、
事前にメールですこし遅れるという一報をもらっていたので、
新宿だったらネカフェのひとつでもあるだろうと思って
向かったのだが、途中紀伊国屋を見付けて「ちょっと」寄り道
した。しかし人が多かったので早々に退散。
もうすぐ閉店するさくらやホビー館横を通って、
待ち合わせの場所に近い、ネカフェを発見。
ただ、25日のマン喫と違って、前払いだし、
電源もなかったし、結局純粋にネットだけしていた。
ここで大半のコメレスができたところで、N氏から連絡。
待ち合わせ場所に着いたらしい。
一時間で部屋をとっていたのだが、30分も立たずに
出ることになった。ちくしょう読み違えた。だがまあ仕方ない。
待ち合わせ場所は真向かいのFマ。そこで立ち読みしている
N氏発見。声をかけると彼の第一声「頭白くなりましたね...」
...いきなりそうきたか!!N氏らしい歓迎の意である。
無論悪気はない。それはわかっているのでこちらも別に
腹は立たなかった。
で、階上の猪木酒場へ。
いきなり通されるとゴングが鳴って「二名様入場」ときたものだ。
N氏の話によるとここが一番「変」な店らしい。
全国展開はしているのだが、今やっているのはここと
福岡.千葉あたりまでで、沖縄店とかはもうやっていないそうだ。
店内は撮影自由だったのでここぞとばかりにいろいろ撮りまくる。
まあシューズやベルトはともかく闘魂棒まであったのには驚いた。
店内では往年の猪木さんの試合が流れていた。
おお、私が好きなタイガー.ジェット.シン戦ではないか。
もっともこの人ブッチャー同様試合では楽しているんだけど、
当時は燃えたなあ。もちろん私はシン派だったが、なにか?^^
出てきたのはお通しと、コブラツイストなるコブラの形
をしたソーセージ。こいつが名物らしい。いろいろつもる話も
あったのだが時間が短すぎてあっという間にタイムアウト。
N氏がドリンク一杯目の無料券をもっていたので、かなり安上がりで
店を出た。新宿三丁目から水道橋に向かう。
ここでプロレス仲間(元.週刊プロレス投稿常連会プレッシャー
=私も所属している) と落ち合うことになっているのだ。
ところが一本目の電車はあろう事か素通り。
新宿三丁目に急行が止まらないとははじめて知った。
N氏にとっても予想外だったようで 「こんな重要拠点の駅を
とばすなんてどうかしていますよ」といっていたが、後の祭り。
やむを得ず、水道橋で待つ、アメンバーでもある酔猫さんに
N氏から連絡を入れてもらう。
まあこればかりは電車を恨んでも仕方ない。
次に来た電車でおとなしく移動。車中で「おもしろいものがある
んですよ」とT島社のプロレス本を見せてもらう。今はなき
SWS所属のレスラーのギャラなどが公開されていたが、
一番おもしろかったのは、元.新日本の永島部長をモデルにした
原田久仁信氏のマンガ。これがビミョーな悪意があるというか、
言い意味でも悪い意味でも梶原イズムを踏襲したキミョーな
作品なのである。とにかく書き飛ばしてしまえば、それが真実なんだ
という姿勢には久々に「男の星座」魂を感じて目頭が熱くなった。
違う意味で^^
という間に気がついたら水道橋に着いていた。
ここに来たのは新日本対Uインターのドーム以来だから
それこそ本当に15年ぶりである。駅は工事中で当時の面影
はなかったが、やはりこの界隈に来ると落ち着くものである。
駅を出てほどなくすると酔猫さんと先についていた
バックランド2世さん(以下Bさん)が我々を出迎えてくださった
(すいません。やっとここで登場です^^)。
酔猫さんも頭に白いモノが目立っていたが、お互い
年取ったんだから仕方ない...ただ、元気なのは元気だった。
福岡でお会いしてから久々だったのに、全然ブランクを感じなかった。
そのまま一行は歩いて飯田橋へ。
ここら辺を歩くのは実を言うとはじめて。
だって会場以外用事ないものなあ...
結構奥まったところへ酔猫さんがどんどん進んでいく。
結構うら寂しいなあと思っていたら、店の明かりが
いきなり飛び込んできた。
そう、今回の目的地は往年の名レスラー、東洋の神秘として
世界中でご活躍された「ザ.グレート.カブキ」選手が
営まれているその名も「かぶき」というお店。
ここの常連でもある酔猫さんが私のために予約を入れて
くださっていたのだ。実はかぶきに行くことは事前に知っていたので
カブキさんに手渡したいモノとおみやげをもっていっていた。
それは色紙に描いたカブキさんのイラストと、87年11月
私がはじめて全日本プロレスを生観戦したときのパンフレット。
ここにカブキさんのサインを入れてほしくて、わざわざ
もってきたのだ。
カブキさんのイラストは実を言うと原宿でギャラリー巡り
をしていたときに皆さんにもお見せした。ちょっとした
工夫が施されているのだが、ここでは下絵だけ公開^^
できあがったモノはいつかまたお見せします^^
結構迫力があって、我ながら気に入っているので、
カブキさんが喜んでくださるといいなあと思ってはいた。
実はこの作品がうまく描けたので勢いで描いたのが、
AYUMIさんにプレゼントしたものなのだが、
こっちもまあまあいけたのではないかと思っている。
意外と色紙って描くの好きなので^^まあ(サインを)
書いてもらうのも好きですが^^
とりあえず店にはいるともう既にかなりのお客さんが入っていて、
厨房でカブキさん自らが忙しそうに動いておられた。
繁盛しているとは聞いていたが、ここまでとは...
確かに土曜の夜ではあったのだが、予約がないと入れないはずである。
最初は25日になるはずが予約がいっぱいで結局この日に
なったのだから、そのにぎわいがわかろうというもの。
元.レスラーのネームバリューだけではなかなかこうはいかない。
猪木酒場とは対照的だった。
とりあえず先行で乾杯した後、各人におみやげを渡す。
これでだいぶんリュックの中身は軽くなった。
N氏がBさんに「おもしろいものがあるんですよ」と
さっきの本を取り出して見せていた。
が、ひょっと目をやるとお店に同じ本が...
「あれ、これって...」
ちょっと解説をしておくと、実は元SWS時代、
カブキさんはマッチメーカーとして現場の責任者だった
のだが、新日本出身と全日本出身のレスラー同士の
人間関係に頭を痛めて、相当ストレスだったらしく、
カブキさんの前でSの話は禁句では?と
N氏と二人危惧していたのだ。
だが、そのSの記事が載った
本が置いてあると言うことは...意外と取り越し
苦労だったのかもしれない。
まもなくして、もと会員のK氏、ちょっと遅れて新宿の大魔王、
笠原さんご氏も到着して改めて乾杯。
ひとしきりプロレス談義に花が咲く。
と、そこへ厨房が一段落したカブキさんが自ら我々のテーブルに
出向いてくださったのだ。さて、ここから先がいろいろ
貴重なお話をいっぱい聞かせていただくことが出来たのだが
それはまた次回....(続く)
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東京見聞録(4)
久々に7時近くまで爆睡。
うっすらと子供の声が聞こえる。
甥姪が起き出してきたらしい。
子供は早起きである。部屋の鍵を開けると早速
甥.姪が乱入してきた。ロックして寝てくれとは
妹から言われていたのだが、こっちが起きて
いれば問題ないし。
姪はカメラを向けると本当に愛想良くなる。
誰に似たんだか^^自分がかわいいと思われている
ことを十分に認識している。齢5歳にしてもう
「女性」である。さすがだ^^
朝食をとった後、時間があるので甥とWiiに興じる。
昔ファミコンでマリオをやらせてもらって以来、家庭用
ゲームは全くやったことがない。甥っ子はどうも見ていると
いわゆる「接待ゴルフ」ならぬ「接待ゲーム」をしてくれて
いるようなのだが、そこは子供。
勝敗に手加減などするはずもなく、当然のように
惨敗した。まあ、生まれた頃からゲームもビデオも
当たり前のようにある世代とはまともに太刀打ちできるはずも
ないのだが...
それはそうと、いよいよ今回の上京のメインイベント、
イラストレーター交流会があと数時間後に迫っていたので
あるが、実は田町もはじめていくところ。なので不安が
つきまとって離れない。なので妹に無理行って田町の駅周辺
の地図をプリントアウトしてくれと頼んだのだが、
会場名をど忘れしてしまった。
「それじゃ検索できん」といわれてしまったが、
田町駅周辺を見渡す限りでは特別道に迷いそうな要素は
なさそう。ただ前日AYUMIさんに教えていただいた
「三田口方面」というのは地図に載っていなかった。
その上時間も「あれ、10時だったか、11時だったか...」
...だんだん心配になってきた。
まあとりあえず9時過ぎに出発して上福岡駅まで
妹に送ってもらった。とりあえず遅くなるけど、
もう一晩泊めていただくことになって、これで宿代は浮いた。
後で考えたら28日の東京マラソンのせいで結構宿泊施設は
混んでいたらしいし、ダメ元で頼んでみて正解だった。
甥姪ともすこしでも長くいたかったし...って目的がかわっちゃって
いるんですが^^
上福岡からは準急、和光市から急行に乗り換えて池袋へ。
本来は有楽町線で田町に乗り込むつもりだったが、
まあ来ちゃったモノはしょうがない。池袋まではあっという
間だった。上福岡からはJR線乗り継ぎの切符を買ったのだが、
山手線に乗り換えたくて自動改札でようとしたらストップ
がかかってしまった。精算機にも通らない。
おかしいなあと思って係員に聞くと、「では払い戻ししますので
改めてJRの切符をお買い求めください」とのこと。
見ろ!JR!東京メトロはこんなに親切だぞ!!
で、改めて山手線に乗り換えて田町を目指す。
新宿あたりで既に10時を回っていたので、AYUMIさん
に「もしかしたら遅れるかも」とメールしておいた。
結局田町には10時15分くらいについたのだが、
階段を見てみれば「三田口(西口)」と表記されている。
「ああ、このことか...」と納得。後は、エスカレーターを
降りて目印のコージー.コーナーという店の横を通って
会場に行くだけである。そうそうこの辺で会場の名前が
「女性と仕事のなんたら館」というところまでは
思い出していた^^なんたら館って!!
しかし、そんなあやふやな記憶にも関わらず
迷わず行けよ、行けばわかるさ、アリガトーっ!!
というわけで到着してしまった。
玄関には第三回イラストレータ交流会の看板がある。
間違いない。会場まであがってみるとAYUMIさん
たちが準備の真っ最中だった。
「早すぎですよ」といわれて外で座って待つことしばし。
早めに来られていらしたほかのイラストレーターの方と
この時間を利用して名刺交換。あとであまりお話しでき
なかった方もいらしたので、ここで名刺を配ることが出来たのは
大きかった。
さて、まもなくすると「準備できました。どうぞ~」と
招かれたので室内に入ってみた。
受付で名札を受け取り、席順を決めるくじをひいた。
私は2番。で、ひとテーブルに6人。
同席させていただいたのがAmiさん、動物メイン
のイラストレーター.天城準さん、イラストレーターはちさん、
ポップなイラストレーター.まろまろさん、認定心理士イラスト
レーター.姫宮さくらさん (順不同)。
第一部は、ワークショップ。
まず最初に自己紹介用に隣の方の似顔絵を3分で描くという
お題が出された。私の肖像はAmiさんに描いていただいて、
私はまろまろさんの肖像を描かせていただいた。
私の絵は見ての通りスピード勝負の雑な絵なので
短い時間でもどうにかなるのだが、丁寧に描かれる方は
苦戦していらしたみたい。でもあがったモノはどなたのも
凄かった。
続いてはそれをもっての自己紹介。
何言ったかは...覚えていない。
そして自分のウリを知ろう、作ろうという過程にはいる。
ここで私はミスってしまった。
私のウリ...というか私のやりたいこと...
となると切っても切れないのがプロレスである。
となるとプロレスメインの...といけばよかったのだが、
なにせ世代的に古館実況の影響を強く受けた
いわゆる「古館チルドレン」な私はフツーのキャッチでは
満足できなかった。なのでつけたコピーが
「四角いジャングルの爆裂絵士」....
「はあ?なにそれ?」
これを発表したときのビミョーな空気は今でも
忘れられない。失敗した....
さらにアドバイスもいただいたのだが、やはり女性相手に
プロレスの話題はどうも...という感じになってしまい、
ビミョーなまんま終わってしまった。
今アメブロで付けている「プロレス的イラスト描き屋」は
その時の反省から、後で付けたモノである。
ただ、何も収穫がなかったわけではなくて、大判の作品に挑戦
しては?というご意見もいただいたし、貴重な時間を過ごす
ことが出来た。
第一部終了後、階下に降りて昼食。
ここでまた別な方々と同席。ランチはそこそこ量もあって、しかも安い。
東京というところはなんでもモノが高いところという
イメージがあったけど、前日の昼食に続いて今回も覆された。
そして第二部はイラストレーター交流会。
いよいよ本番である。まずは数名の方のご挨拶から始まって
後はご歓談^^ここでは皆さんの作品ファイルを生で見せていただける
上にご本人ともしゃべることが出来る。コミケなんかではまず
不可能な事がここでは可能なのだ。しかも見料は取られないし。
なんて贅沢なんだろう...
実は昼食時服薬するのを忘れていたモノで交流会の途中で
こそっとクスリを飲んでいたのだが、とにかくここではテンション
を上げて頑張った。残念ながら限られた時間内で全員の方と
ご挨拶は出来なかったが、用意してきた名刺ファイルは
いただいたお名刺でずいぶんにぎやかになった。
ありがたい話である。
そして、ここで得たモノは大きかった。
確かに即.お仕事につながったわけではないから、
形の上では手ぶらになってしまったわけだが、
絵柄もタッチも腕前も遙かに上の方々と話が出来たこと、
そしてそういう雲上人の皆さんでも実は自分と同じように
悩んだり、壁にぶつかったり、一人で墜ちたりしながら
イラストと取り組んでいるんだと言うことが
わかっただけでも大収穫だった。そしてここにいる人達と
つながれたことで、自分は一人ではないんだという
認識を強くできた。言い方は陳腐だが「絆を感じた」と
いってもいいかもしれない。
実は手すきになるとこそっとしていたことがあった。
それが皆さんの似顔絵描き。限られた時間の中でごく数名の
方しか描けなかったけど、これをもとにしてお礼状のイラスト
を描かさせていただいた。あ、これに関しての苦情は受け付け
ませんので、あしからず^^
楽しい時間はあっという間だった。
もう少しあれもしたい、これもしたいと いう思いはあったが
それはまた次回以降の宿題と言うことでここはそれでいったん
終わり。玄関口で記念撮影して解散ということになった。
が、外はあいにくの雨...やむなく入り口付近に密集する形で
集合写真を撮っていただいた。
解散後も名残つきないのかなかなか皆さんその場を離れない。
私も名残惜しかったのだが、実はまだこの後に予定が入っていたので
新宿へまたしても戻らなくてはならなかった。
なので後ろ髪引かれる思いでAYUMIさんにご挨拶して
田町駅へ向かった....(続く)
追伸
で、昨日までお礼状描きに追われていたのですが
メアドしか分からなかった方には一足お先に、住所の分かっている
方には郵便で発送したので、届くまでに時間差があります。
もし数日経って届いていないよ、という方はご一報ください。
それにしてもつくづく自分はバカだなあと思ったのは
お礼状を作っていて途中から「全員に違う画像を送ろう」
と思いついてしまったこと。そこで終わっておけばいいのに
やってしまうのが性分というか、やりはじめて激しく後悔
したのだが、恐ろーーーーーーーーーーーーーーーーしく
手間のかかる無間地獄に何度も泣きを入れそうになりながら、
描き上げた。肖像の分からない方にはその方の作風を
パクったイラストが届いたはずだが、それは苦しかったけど、
模写って結構楽しいんですよね^^勉強にもなったし。
こんな短時間でこれだけタイプの違う絵を一度に描くというのは
なかなか出来ないことだし。
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東京見聞録(3)
第三章 2月26日. 原宿~表参道~上福岡
予定では12時頃原宿駅で...としか聞いていなかった。
だが、原宿駅に着いてみたら出口は二つある...
とりあえず人気の多そうな竹下口に戻って、しばし待つ...
が、それらしい人影は現れない。「おっかしいなあ...」
と思って、引率のAYUMIさんにメールしてみると
「表参道口へきてください」とのこと。実は事前にPCの
方には変更通知が送られていたのだが、ブログを見ていなかったので
行き違いになってしまったわけである。
そして表参道口へ行くと...
やはり誰もいない...「おっかしいなあ...」と思って
いると、ケータイに着信。AYUMIさんからだった。
あちらからは私が見えているらしい。
指示されたとおり、横断歩道を渡って反対側に行くと...
発見!初めて会うAYUMIさんははたしてプロフィール画像
通りの方だった。やがて、四国から来られた大福さんと
今回のギャラリー巡りのコース設定をしてくださった
良地さん、沖縄出身のikkoさんと私の計5人が今回の
メンバー。道すがらすこし大福さんとお話しする。
意外にも香港映画はあまりみられないのだそうだ。
作風からするとなんかそっち系の世界に詳しいのかなと
思っていたけど、まあそんなものかもしれない。
「では、とりあえずお昼にしましょうか...」
.....
「え??」
....それは想定していなかった。
吉牛食ったばかりだし...ただ、
まあ朝をほとんど食っていないから、あれを朝食と
カウントすればまだ腹に入らなくはない。
どうせ東京のことだからランチったって大盛りで
出てくるはずもないし...と高をくくっていた。
店はちょっと表通りから奥まったところにある、
Jニーズショップの2階のお店。この近辺が仕事場だという
良地さん曰く「こういう裏通りに面した店は意外と人が少ない」
とのこと。果たして席は十分確保。閑散とはしていなかったが、
吉牛のような混雑はなかった。
とりあえず全員で1000円の定食を頼むことに。
待つことしばし。出てきたのは...肉料理だった。
心の中で「また肉かよっ!」ってつっこんでしまったが、
これは私が悪い。
しかも予想に反してボリュームがある。刺身、味噌汁、ご飯に肉
天ぷらまでついて、とても原宿の店とは思えない
質と量。
だが、ことのほかおいしかったので、完食してしまった。
まあ、一年前なら考えられなかった話ではあるが、ここまで
回復出来たことを素直に喜んでおこうと思った。
店を出ると、さらに裏通りへ。
ここで見知らぬ女性が我々一堂に声をかけてきた。
曰く「足が不自由なので階段降りるのに補助を御願いします」
とのこと。AYUMIさんが率先して女性の脇について
無事降下。ちょっとしたことだが、こういうことがさらっと
出来るというのはステキである。
さて、原宿と言えば若者の街である。
そして当然のように?それに比例して落書きも
多い町である。そこかしこにあるわあるわ...
ネタになりそうなモノをパシャパシャ撮影していると
一行が遙か彼方に...で、走って追いついて、また撮って
...ということを繰り返していたら、折からの曇天で
蒸していたせいもあって汗だくに。
幸い新宿西口で見切り品の微香性香水を買っていたので
においはたぶん大丈夫だと思うが、さすがに制汗剤ではないので
しかたなくリュックからタオルを出して首にかけていた。
もうこれで立派な田舎のオッサンである^^
まもなくして第一のギャラリーに到着。
ところがやっとついたと思ったら、なんとこの日は変則営業で
夕方からしかやっていないという。仕方ないので
次を目指す。途中、良地さんが仕事に戻られたので
4人で残りのギャラリーを回ることに。
しかし、ギャラリーを巡っていて思ったのは、
純粋なギャラリーがこんなにあるという事。
だいたい地方だと食堂などと兼業だったりするから
純粋なギャラリーは皆無に等しい。また作品だって
タダでは見られない。大概は美術館で入場料払ってみる
モノと相場は決まっている。
ところがここはどうだ。
何も買わないのに皆さん親切だし、行く先々でお茶まで
出してくださるし(しかもすべてホットだったので汗が
だらだら...)しかも見料は取らないのだから
こんな贅沢はないというモノである。
さすがというか、東京は恵まれているなあ
と思わずにはいられなかった。ただ、ここに住んでまでして
アートと共にいたいとまでは思わなかった。
やはり人混みはどうしても好きになれない。
途中、箸のお店や、紙のお店などに寄りつつ、表参道ヒルズ
前に出てきた。ここの並木道は当然冬なので葉があるはずもないが
枝ぶりは見事なモノである。それはそれで絵になる光景だった。
ヒルズの真向かいにお茶の専門店があったのでそこで
お茶をすることに。だが、さすが表参道。
場所がいいと値段も違う。お茶が最低でも700円はする。
財布の中身が実を言うとちょっと心配になり始めていたので
冷や冷やしていたのだが、でてきたお茶はまたしても熱々...
せっかく止まっていた汗がまたしても吹き出す結果に...
だが、確かに値段が張るだけのことはあってお茶自体は
大変おいしいモノだった。こういう機会はまあ滅多にないだろう。
ギャラリーはともかく、おっさんが一人でこういう店にはいるのは
かなり抵抗感がある。ましてや普段なら絶対寄りつかない
表参道なんて町にいると言うこと自体が奇蹟のようなモノなのだから、
こういう体験が出来たことに関しては感謝しないといけない。
お茶しながら明日の会場の確認と、近くのゆうちょのATMを
探してもらう。店を出て、それらしい場所に着いたのだが、
郵便局が見あたらない。おかしいなあと思って奥の通りを
みたら...あった!!
しかし、狭っ!!
そしてあろうことか原宿なのにATMが一台しかない。
長蛇の列出来ているし...が、ここで金おろさないと
次の目的地.上福岡までたどり着けない...
しかたなく並んでいると、座っていた老婦人が「すいません、
私が先なんで」と私の前に入ってしまった。
まあ、仕方ないなあと思ったいたら、このおばあさんが
案の定、ATMの操作が全く分かっていない。
途中私が助太刀したのだが、それでも通帳記入が出来ずに
いたら、局の人間がやっと出てきて無事終了。
やっと自分の番が来てお金をおろせた。
ほかの皆さんを雨の降る中、お待たせしてしまって大変恐縮
だったのだが、皆さん嫌な顔せずに許してくださった。
本当にありがたい話である。
表参道駅でikkoさんとはお別れ。
途中で大福さんとも別れ、AYUMIさんと私は池袋へ。
池袋から乗り換えるつもりでいたのだが、のったのが
川越までの各停直行便だったのでそのまま電車にゆられる
ことに。さすが東京育ちのAYUMIさんは電車慣れしていて
手すりや吊革につかまらなくても平気なんである。
この辺が田舎モノとは違うところである。
池袋に着いたのでAYUMIさんとはここでお別れ。
後はまっすぐ実妹の家がある上福岡まで向かうだけである。
途中に何度かメールするのだがちょこちょこ圏外になって
なかなかうまく連絡が取れない。とりあえずついてからでいいや
と思って、上福岡到着までケータイのメモ機能で日記を
つけていた。
上福岡に着く頃は既に17時を回り、辺りは暗くなり始めていた。
例によって出口が二カ所あるのでせ改札前で妹にメール。
すると「大きいビルがある方にいって待て」との指示。
外に出るとさっきは止んでいた雨がまた激しく降り出していた。
しばらくして妹が来るまで迎えに来てくれた。
実に3年ぶりの対面である。
妹の家に行くのは実を言うとはじめて。
到着して玄関を開けるとこれまた3年ぶりの甥っ子が
ともだちと玄関でたむろってゲームをしていた。
見た感じびっくりするほど大きくはなっていなかった。
そして上にあがると5歳の姪がいた。最初は怖がって義弟
(妹の旦那)の陰に隠れていたが、まもなくすると同じ
B型同士だからか、向こうから近寄ってきて、後は
ご機嫌で接してくれた。ああ...疲れがいやされる....
本当にかわいい。やはりなついてくれると悪い気はしない
モノである。
カメラを向けるとちゃんとポーズ撮るようになっていた。
この辺は3年前と違うところである。そしてうつった自分が
どうなっているのか、やたらデジカメを見たがるのである。
「おいおい、どんだけ自分好きなんだよ」っていいたく
なるくらい、姪は自分大好き人間なんである^^
ここは私と違うところだが^^
ひととおりみやげを渡して、風呂を借りる。
気がつくと足の裏が痛い...見ると豆が破れて皮がはげていた。
道理で痛いはずである。風呂から上がって夕食。
カレーだった。実は昼飯、カレーにするつもりだったのだ。
たまたま原宿前にそれらしい店がなかったので吉牛にしたのだが、
「昼カレーにしなくて良かった」と思った^^
さすがに前日睡眠時間4時間でいたので、ものすごい睡魔
に襲われはじめた。妹がPCを貸してくれたのでとりあえず
コメ返だけはして、ひととおり甥や姪と遊んで上階にあがる。
寝室で横になるとあっという間に眠りについてしまった。
やはり相当疲れていたのだろう...こうして二日目は無事終わる
ことが出来た。(続く)
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東京見聞録(2)
そうそうなれていないと言うことでは、
知らずに新宿フェイズに行ってしまったのはプロレスファンの
本能、まだ衰えずといったところだったけど、切符の買い方
がすっかりわからなくなっていて、西川口まで行くのに1800円も
出してしまった。だいたい山口にいると県内移動だけでも1000円単位
だから、隣の県に行くというのに100円単位の運賃は想像が
つかなかったのだ。だが、これも勉強である。確かに精算所で
JRの人にはにべもなく返金は拒否られたけど...
朝7時にH亭をでて、西川口の駅に向かう前に、コンビニで
軽く朝食。そのまま食べながら駅へ向かい、満員電車にゆられて
仕事に行く...何もかもが想像外である。やはり首都圏は自分のいる
ところではないと痛感した。途中H氏とは別れて私は新宿を再び
目指した。実は日が昇ると新宿という町、得意なのでうろうろしても
全くノー問題。なぜかというと以前御苑の方だけど、定宿にしていた
ホテルがあって、新宿は結構たちこち歩いて道を知っていたのだ。
とはいうもののだいぶん様変わりしていて混乱はしたのだけど。
本来は神田とアキバに行きたかったのだが、そこまで行く
時間的余裕がないので、取材場所を歌舞伎町とゴールデン街に
限定した。実は飲む、打つ、買うを一切しないくせに、
この二つの町には凄い興味があったのだ。だけど、深夜に
ここを訪れれば命の危険も覚悟せねばならない。
実際、歌舞伎町は朝から客引きが幅をきかしているくらい
だから、油断はならない。しかしゴールデン街は全く閑散として
いて、本当にどこにでもある飲み屋街という感じの
たたずまいだった。荷物を新宿駅東口コインロッカーにあずけて
歌舞伎町からゴールデン街へと入っていき、いろんな
看板を撮りまくっていった。
ところが写真を写していて気がついたのだが、ここは私有地で
写真撮影は許可がないと出来ないらしい。
だが、大半撮ってから気がついたんですよね、これが。
また、たまーにすれ違うここらへんの従業員
らしい人達にも何も言われなかったんだけど。
まあおそらく想像だが、人様にカメラを向けてトラブルになることを
回避する目的でそういうルールがあるのだろう。だが、朝では
さすがにそういうトラブルは起きようはずもなかった。ましてや
全く人物にカメラ向けていないし...
さて一通り気が済んだところで、今度は新宿西口に戻った。
理由は金券ショップで新宿ピカデリーの前売りを買うため。
実はここでやっているガンダムUCを見るのも目的の
一つだったのだ。
この作品、もともとはOVAとして作られたモノで
それが大スクリーンで鑑賞に耐えうるのかどうか不安があった。
ましてや、時間も1時間強で当日券大人一人
1800円を払う気にはなれなかった。
だから金券ショップに行ってみたのだ。
ところがさすが腐ってもガンダムというべきか...
全く置いていないのだ。これは当て外れだった。
仕方ない。時間的に余裕がなくなってきたので
やむを得ず東口に戻ってピカデリーを目指した。
ところが入ってみたら、大人当日券1200円という。
これはラッキー!!まあ本来劇場版ではないということで
こういう価格設定になったのだろう。
田舎だとまず考えられないことである。
ロビーでちょこちょこ撮影していたけど、やはり何も
いわれなかった。というかこれがフツーでしょ...
どう考えたって...
個人的には今年春リメイクされる時をかける少女が、旧作.
アニメ版との三本立てで、しかも舞台挨拶ありの
先行ロードショーとして同館で上映されるという
「時かけ祭」が凄い気になったのだけど、
あいにく前売りは完売。最も仮に当日券があったにしても
本来の目的である27日のイラストレーター交流会の真裏で
いけるはずもなかったのだが....
さてガンダムUCの出来は...これは予想に反して大画面で見ても
何ら遜色はなかった。というかむしろ劇場で見ろ!といいたくなる
ほどのできだった。オリジナルが安彦さんのキャラだし、
監督が富野さんではないので理屈っぽさもほどよくブレンド
されていて、しかも逆襲のシャアの続きという舞台設定も
秀逸で、なによりガンダムユニコーンが格好いい!!
これは久々に「ガンダムを見たなあ」という気にさせてくれる
映画だった。
上映が終わって、エスカレーターで下に降りていると
途中でエレベーターが見えたので
これ幸いと乗っていたら、なんと上に上がってしまって
また元きたところに逆戻りしてしまった。
何のことはない。
外出慣れしていないとこういう事も起きる....
ピカデリーを出てアルタ前から東口へ戻り、
荷物をとって原宿へ...実はこの時点でクスリを
飲んでいなかったのでちょっとやばい状態になっていた。
おまけに朝はおにぎり一個だったし...というわけで
原宿に着いたらなんか食べようと思っていた。
そもそも上京しても行くのが後楽園ホールと東京
ドームのある水道橋か、両国、それか神田とかアキバ
なんで、原宿は純粋にはじめて訪れる町なんである。
てか、実際こんなところ自分が合うはずないと思っていた。
若者の町だし、おしゃれでもないし...
竹下通りから駅の外に出てみると一層その感を
強くした。「なんかうぜぇ...」と思ってしまった私はもう
いい中年のオッサンである。ここには居場所ねーよなあ...
と思いつつも、とりあえず目にとまった吉牛にはいる。
ここならどこで食ったって味は同じである。
入ってみると店は思いの外狭くて、私はたまたま
潜り込めたのだけど、後から来た人は入れなくて帰る人もいた。
さすが原宿というか...感心してしまった。とりあえず
Aセット500円で腹をふくらませてクスリを飲んで、
待ち合わせであろう、原宿駅に戻った。
実はこれからこの周辺のギャラリー巡りをするのである。
だが、この時実はネットをよく見ていなかったおかげで
待ち合わせ場所が変わっていたことを知らずにいたのである...
(続く)
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