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モンスターAM
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はじめまして。
モンスターAMです。
ハイブリッド絵描きです。
時々、文章だけになったり、イラストだけになったりしますが、
よろしくお願いします。
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DDT.谷口智一≫
2009-12-10 22:08
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DDT.谷口智一≫
このイラストが添付された日記
2009-12-10 22:09
SOUL RED 松田優作
09年12月10日鑑賞。
09年350本目。
ついにこの日が来た。
実は松田優作先輩の映画をスクリーンでみるのはこれが初。
不肖の後輩で申し訳ないが、事実は事実。物心ついたときにはもう先輩は雲の上の方だったし、テレビで見て「あ、この人が同じ学校の先輩なんだ」という事実は知っていても、ピンとこなかったというのが正直言ってある。先輩の生まれ育った今浦というのは、当然ながら学校の校区内だったので、子供の頃の遊び場であった。だけど、実は先輩の生家があった場所は知らない。いや、知らないうちに近くを通っている確率は高い(そのくらい今浦の隅々まで知っている)のだが、かつて特集されたテレビで見たときは既に更地になっていたのは確認している。
だからかもしれないけど、あまりに遠すぎる存在だったので、松田優作フリークが熱くなればなるほど、逆に冷めた目で見ていたというのはある。そして、この映画もそんな松田優作フリークが作ったフリークのための映画かと思っていた。だけど、確かにそういう部分はあるにせよ(なかったらこういうドキュメント形式の作品は成り立たない) 監督は松田優作直撃世代の方ではないそうだし、プロデューサーの松田美由紀さんもそういう線は外して考えたとパンフに書いてあった。
これはやはり松田優作の主演作でいいと思う。
生きているとか死んでいるとかそう言うことを超越した存在になっている松田優作という人が、残してきた軌跡をふりかえるのではなくて、過去の作品が未だに光を放って、我々の心に突き刺さってくるそれは、まぎれもなく魂が語っているとしかいいようがない。そのくらいフイルムに焼き付けられた松田優作先輩の表情は常軌を逸していて、ある意味狂っているとしか言いようのない演技は、多くの模倣を生んでも、誰一人としてあの高見に達したものがいないほどハイレベルなものである。それは闘う人の目であり、狂い人の目である。それは共演者を、カメラを、その向こうの観客をみているようでさらにその先の何かをにらみつけているかのようである。たぶん私が知る限りこんな目をした人は、松田優作と現役バリバリの頃のアントニオ猪木しかいないと思う。両者に共通項は全くないのだが、そうとしか表現できない。
劇中で松田優作さんの仕事に対する姿勢についても触れられていたが、印象に残ったのは、暴力に対する表現を、直接的な表現ではなくて、内なる暴力を描きたいという希望があったようで、その構想はアクションスタートして華々しくスタートした当初から既に頭の中に存在していたらしいということ。これは驚嘆に値する。つまりはこれ想像でしかないがジーパン刑事を演じていたときに既に「ブラック.レイン」で演じた佐藤というキャラクターの像が優作さんには見えていたのではないだろうか。そうとしか思えない。そしてCMに対してもものすごいこだわりと情熱を持って取り組んでいたそうで、鏡に向かって一人語りするギャッツビーの有名なコマーシャルも全部映画と地続きだったというからたいしたものだと思う。未だ鮮烈に焼き付いているのは繰り返し繰り返し流されていたコマーシャルでの印象があまりに鮮烈すぎたというのもあるのかもしれないなと思った。
最後に松田兄弟の父親像が本人たちの口から明らかにされているのだが、「一回もオヤジの事でぶれた話しを聞いたことがない」というのは強烈に印象に残った。「ああ、松田優作という人はやはり想像以上に凄い人だった」と言うことがこの一言でわかる。
森田芳光監督が「優作はいろんな人に対してだめ出しをすると思う」というのは、今なお松田優作が他人に対しても自分に対しても「怖い人」であり続けた、裏を返せば厳しかったという何よりの証拠だろう。そして、それが絶対的な「父性」として映画では表現されている。そう、松田優作という人は自分を厳しく律する代わりに他人をも厳しく叱責した。それは時に暴力という形で出て行ったかもしれないけど、それはまさに昔の頑固オヤジそのものではないか。ちょっと道に外れたことや、ずるがしこくなまけていたりしようものなら、怒声と共に一喝される恐怖。それはまさに昔の父親が持っていた「父性」であり、男の根幹であるように思う。すべての男たちに対して、いや、すべての人達にとって松田優作という人は絶対的な父親であり、その姿勢を死んでなお示し続けていることで、「おまえら、気ぃぬいていねぇか?あん?」という、あの独特の鋭い口調で、我々ににらみをきかせてくれる人なのだ。だから、今なお信者が存在し続けるし、新しいフリークを生み出している。
しかし、2009年という年は松田優作さんの没後20年であると同時に田中絹代さんの生誕100周年でもあった。下関を代表するふたりの映画人が奇しくも同じ年に語られると言うことはそうそう例のないことである。しかし、田中絹代さんには市の肝いりで記念館が作られるのに、松田優作さんには未だそんな話すら聞いたことがない。在日という出自がどうとかいう問題でもなかろうに、と最初は憤っていた。実際映画公開も全国に先駆けて言うならわかるが、ずっと遅れての公開である。
だが、田中絹代さんと松田優作さんでは下関に対する受け止め方も違っていたようだ。テレビなどで語られる優作さんの故郷の街は暗く、すさんでいて、一刻も早くこんなところから抜け出したいという具合に描かれていた。実際はそんな悪い街ではないのに...とは思っていたものの、今考えると優作さん世代の人達の時代にはまだ相当な差別もあったんだろうと思う。それを一切公にしないままなくなられたので、本当のところは知るよしもないが、少なくとも下関は出て行く場所であり、帰ってくる場所ではなかったように思う。田中絹代さんが自らの墓を下関に建てたのとは対照的に、優作さんのお骨は散骨されて荼毘に付されている。ただ、やはり優作さんがどう思おうと、下関出身という事実は消しようがないものだし、確かに下関ではとどまらない器であったという事であるにしても、やはり在日とか言う前に下関人であったという事は紛れもない事実である。
記念館が出来るとかできないとかはもう小さな問題でしかない。松田優作さんという雲の上の人を先輩に持った縁として、先輩の魂を継いで、後生に語っていかねばならない、そう思うようになった。
映画を見終わって、どうしても優作さんの生まれた生家の近くまでいってみたくなり、雨の降る中、傘もささずに徒歩で今浦まで行った。映画館からはものの10分とかからないところである。残念ながら雨脚が強くなってきたので生家のあった場所の近くまではいけなかったが、昔ながらのたたずまいに、なんか「ブラック.レイン」の一場面のような雰囲気を感じた。実際はそんなロマンチックなものでもないのだけど^^
まあ、朝日新聞の夕刊でも取り上げられたりして、気運は高まっていると思うので、是非とも地元で、松田優作さんを後生に語る人が一人でも多くなることを願ってやまない。そして記念館を作るなら東京ではなく、やはり下関にしてほしいというのが偽らざる気持ちである。
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SOUL RED 松田優作
09年350本目。
ついにこの日が来た。
実は松田優作先輩の映画をスクリーンでみるのはこれが初。
不肖の後輩で申し訳ないが、事実は事実。物心ついたときにはもう先輩は雲の上の方だったし、テレビで見て「あ、この人が同じ学校の先輩なんだ」という事実は知っていても、ピンとこなかったというのが正直言ってある。先輩の生まれ育った今浦というのは、当然ながら学校の校区内だったので、子供の頃の遊び場であった。だけど、実は先輩の生家があった場所は知らない。いや、知らないうちに近くを通っている確率は高い(そのくらい今浦の隅々まで知っている)のだが、かつて特集されたテレビで見たときは既に更地になっていたのは確認している。
だからかもしれないけど、あまりに遠すぎる存在だったので、松田優作フリークが熱くなればなるほど、逆に冷めた目で見ていたというのはある。そして、この映画もそんな松田優作フリークが作ったフリークのための映画かと思っていた。だけど、確かにそういう部分はあるにせよ(なかったらこういうドキュメント形式の作品は成り立たない) 監督は松田優作直撃世代の方ではないそうだし、プロデューサーの松田美由紀さんもそういう線は外して考えたとパンフに書いてあった。
これはやはり松田優作の主演作でいいと思う。
生きているとか死んでいるとかそう言うことを超越した存在になっている松田優作という人が、残してきた軌跡をふりかえるのではなくて、過去の作品が未だに光を放って、我々の心に突き刺さってくるそれは、まぎれもなく魂が語っているとしかいいようがない。そのくらいフイルムに焼き付けられた松田優作先輩の表情は常軌を逸していて、ある意味狂っているとしか言いようのない演技は、多くの模倣を生んでも、誰一人としてあの高見に達したものがいないほどハイレベルなものである。それは闘う人の目であり、狂い人の目である。それは共演者を、カメラを、その向こうの観客をみているようでさらにその先の何かをにらみつけているかのようである。たぶん私が知る限りこんな目をした人は、松田優作と現役バリバリの頃のアントニオ猪木しかいないと思う。両者に共通項は全くないのだが、そうとしか表現できない。
劇中で松田優作さんの仕事に対する姿勢についても触れられていたが、印象に残ったのは、暴力に対する表現を、直接的な表現ではなくて、内なる暴力を描きたいという希望があったようで、その構想はアクションスタートして華々しくスタートした当初から既に頭の中に存在していたらしいということ。これは驚嘆に値する。つまりはこれ想像でしかないがジーパン刑事を演じていたときに既に「ブラック.レイン」で演じた佐藤というキャラクターの像が優作さんには見えていたのではないだろうか。そうとしか思えない。そしてCMに対してもものすごいこだわりと情熱を持って取り組んでいたそうで、鏡に向かって一人語りするギャッツビーの有名なコマーシャルも全部映画と地続きだったというからたいしたものだと思う。未だ鮮烈に焼き付いているのは繰り返し繰り返し流されていたコマーシャルでの印象があまりに鮮烈すぎたというのもあるのかもしれないなと思った。
最後に松田兄弟の父親像が本人たちの口から明らかにされているのだが、「一回もオヤジの事でぶれた話しを聞いたことがない」というのは強烈に印象に残った。「ああ、松田優作という人はやはり想像以上に凄い人だった」と言うことがこの一言でわかる。
森田芳光監督が「優作はいろんな人に対してだめ出しをすると思う」というのは、今なお松田優作が他人に対しても自分に対しても「怖い人」であり続けた、裏を返せば厳しかったという何よりの証拠だろう。そして、それが絶対的な「父性」として映画では表現されている。そう、松田優作という人は自分を厳しく律する代わりに他人をも厳しく叱責した。それは時に暴力という形で出て行ったかもしれないけど、それはまさに昔の頑固オヤジそのものではないか。ちょっと道に外れたことや、ずるがしこくなまけていたりしようものなら、怒声と共に一喝される恐怖。それはまさに昔の父親が持っていた「父性」であり、男の根幹であるように思う。すべての男たちに対して、いや、すべての人達にとって松田優作という人は絶対的な父親であり、その姿勢を死んでなお示し続けていることで、「おまえら、気ぃぬいていねぇか?あん?」という、あの独特の鋭い口調で、我々ににらみをきかせてくれる人なのだ。だから、今なお信者が存在し続けるし、新しいフリークを生み出している。
しかし、2009年という年は松田優作さんの没後20年であると同時に田中絹代さんの生誕100周年でもあった。下関を代表するふたりの映画人が奇しくも同じ年に語られると言うことはそうそう例のないことである。しかし、田中絹代さんには市の肝いりで記念館が作られるのに、松田優作さんには未だそんな話すら聞いたことがない。在日という出自がどうとかいう問題でもなかろうに、と最初は憤っていた。実際映画公開も全国に先駆けて言うならわかるが、ずっと遅れての公開である。
だが、田中絹代さんと松田優作さんでは下関に対する受け止め方も違っていたようだ。テレビなどで語られる優作さんの故郷の街は暗く、すさんでいて、一刻も早くこんなところから抜け出したいという具合に描かれていた。実際はそんな悪い街ではないのに...とは思っていたものの、今考えると優作さん世代の人達の時代にはまだ相当な差別もあったんだろうと思う。それを一切公にしないままなくなられたので、本当のところは知るよしもないが、少なくとも下関は出て行く場所であり、帰ってくる場所ではなかったように思う。田中絹代さんが自らの墓を下関に建てたのとは対照的に、優作さんのお骨は散骨されて荼毘に付されている。ただ、やはり優作さんがどう思おうと、下関出身という事実は消しようがないものだし、確かに下関ではとどまらない器であったという事であるにしても、やはり在日とか言う前に下関人であったという事は紛れもない事実である。
記念館が出来るとかできないとかはもう小さな問題でしかない。松田優作さんという雲の上の人を先輩に持った縁として、先輩の魂を継いで、後生に語っていかねばならない、そう思うようになった。
映画を見終わって、どうしても優作さんの生まれた生家の近くまでいってみたくなり、雨の降る中、傘もささずに徒歩で今浦まで行った。映画館からはものの10分とかからないところである。残念ながら雨脚が強くなってきたので生家のあった場所の近くまではいけなかったが、昔ながらのたたずまいに、なんか「ブラック.レイン」の一場面のような雰囲気を感じた。実際はそんなロマンチックなものでもないのだけど^^
まあ、朝日新聞の夕刊でも取り上げられたりして、気運は高まっていると思うので、是非とも地元で、松田優作さんを後生に語る人が一人でも多くなることを願ってやまない。そして記念館を作るなら東京ではなく、やはり下関にしてほしいというのが偽らざる気持ちである。